インタビュー

木村泰輔 バレーボール選手(堺ブレイザーズ)

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profile
1987年生まれ。愛知県豊明市出身。
ポジション:ミドルブロッカー
出身校:星城高(愛知)→愛知学院大
トップレベルのアスリートになるために必要なものは何なのでしょうか? 身体能力? 恵まれた才能? それが全てなのでしょうか?
2018年4月に現役引退が発表されたバレーボールVプレミアリーグ堺ブレイザーズの3選手に、これまでのバレーボール人生を振り返ってもらいました。最後は、トライアウトで堺ブレイザーズに入団した木村泰輔選手です。華々しい活躍を果たした選手とはいえないかもしれませんが、そんな木村選手だからこその話を伺うことが出来ました。堺ブレイザーズ愛に満ちたインタビューをどうぞ。
■堺ブレイザーズに魅せられて
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▲背番号15 木村泰輔選手。ポジションはミドルブロッカー。
――木村選手がバレーボールをはじめたきっかけは、いつどのようなものだったのでしょうか?
木村「僕には二つ上の姉がいて中学校の部活でバレーボールをしていました。それに憧れてというわけでもないのですが、姉がやっているから自分もという程度の理由で中学校の部活でバレーボール部を選びました。身長も大きな方でしたし」
――部活としてバレーボールをはじめた木村選手がVリーガーを目指すようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
木村「そうだな……ターニングポイントは2つありましたね。1つ目は中学校3年生の時、非常勤の先生でバレーボールをやっていた先生から、強い高校に行ってみないかと星城高校に推薦してもらったことですね」
――強い高校に行って実力的に通用しましたか?
木村「いやいや、ポカーンって感じでしたよ。中学校は弱小クラブで、高校は強豪校。僕はほぼ初心者でした。でも、高校の先生も先輩も温かく迎えてくれました。軽い気持ちだったのは確かですが、それが最初の入り口でした。その次のターニングポイントは、その高校の時に先生からVリーグの試合を見にいって来いと言われて、愛知県の大会に行ったのです。嘘だって言われるかもしれませんが、それが堺ブレイザーズの試合だったのです」
――へー! 偶然というべきか、必然というべきか、驚きですね。
木村「堺ブレイザーズの試合を見て、Vリーグってこんなにすごいんだ。俺もVリーガーになりたいと思ったのです。だから一番入りたかったのは堺ブレイザーズです」
――Vリーガーを目指して大学にも進んだのですか?
木村「大学はVリーガーになりたい気持ちはそのままに、どうやったらVリーガーになれるのかすごく考えてやっていました。関東リーグのような強いリーグではなかったけれど、チームメイトにもう1人Vリーガーになりたい子がいて、仲が良かったわけではないのですが、お互いリスペクトし合うような不思議な関係でした」
――学生時代のキャリアを振り返るとどうですか?
木村「高校生で一番良かったのは春高バレーで全国3位ですね。チームメイトの中には他にもVリーガーになってJTでプレーしている選手もいます。全国にも出ることが出来て、恵まれた世代だったと思います。
■Vリーガーを目指しトライアウト
堺ブレイザーズに魅せられてVリーガーを目指した木村選手ですが、まっすぐに堺ブレイザーズに入団できたわけではありませんでした。
――木村選手が最初に所属したのはFC東京でしたよね。
木村「はい。トライアウトで。堺ブレイザーズのトライアウトを受けていたのですが、この時はFC東京さんとの方が縁があったのだと思います」
――FC東京はどんなチームでしたか?
木村「熱がある人が多かったです。チャレンジリーグから上がったばかりで、結果こそ負けてばかりでしたが、それでも勝とう勝とうと思っていた。それでも前へ進んで行く、強くなっていく実感を感じながらプレーしていました。選手同士も仲が良かったですよ」
――FC東京というと、サッカーJリーグの印象が強いですよね。応援もサッカー風で。
木村「はい。本当に素晴らしい応援でした。(PA機材も使わず)人の声(のみ)で応援してくれると伝わるものありました。遠征で応援する人数が少ない時でも、大きな声を出して応援してくれて。あれは今でも忘れられなく、心に残っています」
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▲FC東京の応援風景(2013年堺大会)。ドラムと声、手拍子だけの応援は独特のもの。
――その後、大分三好ヴァイセアドラーにチームを移りますが、これは何がきっかけだったのでしょうか?
木村「FC東京にいた頃の怪我もあり、環境を変えたいという事もあって自分から退団しました。いろいろチームを探し回って大分三好ヴァイセアドラーに拾ってもらいました」
――環境が変わって不安などはありませんでしたか?
木村「チームに不安はありませんでしたが、リーグがひとつ下がることには不安はありましたね。ただ、大分は温泉の多い所で、僕は温泉好きなので、土地にも合っていました。短い期間でしたが、大分にいたことはいい経験でした。間違いなく」
■憧れの堺ブレイザーズへ
狭き門をくぐりトップリーグのバレーボール選手になった木村選手でしたが、まだ本当の望む場所にはたどり着いていませんでした。高校時代に衝撃を受けて憧れた堺ブレイザーズという場所に。
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▲木村選手は、堺ブレイザーズではバレーボール選手として練習に専念できていますが、FC東京時代はガス関係、大分三好ヴァイセアドラー時代は病院の仕事にも従事していました。「それもいい経験になっています」。
――他のチームにいる間も堺ブレイザーズへの入団を目指していたのですか?
木村「はい。堺ブレイザーズに入るためにはどうしたらいいのか考えていました。自分の悪い所を消すよりは、得意な所を伸ばした方がいいと考えて、僕の得意はブロックとクイックだったので、そこを伸ばしていこうと考えていました」
――それで、堺ブレイザーズにはトライアウトを受けて入団されたのですね。
木村「これも悩みました。大分にいるべきかどうか。でもずっと長くいたらダメだと思って、悩みながらもトライアウトを決断しました。丁度堺ブレイザーズも監督が代わられたばかりでした。また伊藤康貴選手の怪我があって、選手が足りないという状況もありました。結局、タイミングが良かったんですね」
――堺ブレイザーズへの入団が決まった時はどんなお気持ちでした。
木村「本当に嬉しかった」
――一体どんなチームでしたか?
木村「もう熱意ですね。いちばん熱いチームでした。何事にも手を抜かない。たとえば、練習のはじめにボールゲームをするのですが、体をほぐすためで勝っても負けてもいいようなゲームなのに堺ブレイザーズでは本気で勝ちに行く。自分でもそういうのを求めていたので、かなり肌に合うと感じました」
――これまでのキャリアでの一番の思い出はなんでしょうか?
木村「いちばん最初に堺ブレイザーズのユニフォームで試合に出た時でしょうか。たしかリリーフサーバーで入ったのですが、ガチガチに緊張してサーブを打つ前にボールを床でぽんぽんとする時に、足のつま先にぶつけてしまってボールが転がってしまったのです(笑) 慌ててボールを追いかけて、それから打ちました。なんとかサーブを入れることは出来たと思います」
ようやく夢を叶えた木村選手でしたが、一方で堺ブレイザーズのチーム成績は次第に下降線をたどろうとしていました。そんな中で、木村選手は現役生活の後半戦をどのように過ごしていたのでしょうか。
■チームとして勝つために必死に
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▲試合中のチャレンジ時、コートに出ていない選手は円陣を組んで結果を待つ。
――木村選手が入団された時期は堺ブレイザーズがかつてのような勝って当たり前というような状況ではなくなっていました。
木村「そうですね。自分は勝ち続ける環境を知りません。リーグを通して負ける試合が多かった。みんなモヤモヤしていました。僕はその中でどういうことが出来るのかを考えました。プレーではそんなに貢献できなかったけれど、自分に出来ることは何でもしようと思っていました。練習でもサーブを打つ役や、荷物を運んだりのヘルプ、普段の声掛けも心がけました」
――堺ブレイザーズの試合を見ていると、コートに立っていない選手も団結して声援を送っている姿が印象的でした。
木村「選手としては試合に出て活躍するのが一番、自分でも戦うのが一番です。でも、自分が出ていなくても勝つために何ができるのか、それを自然に出来る人が堺ブレイザーズには多かった。また、それを笑う空気が無かったんですね。本気の人を笑わない。選手としては結果が全てであり、やっぱり勝たなきゃいけない。それをみんなが理解していたからこそのアクションでした」
――とはいえ、木村選手は試合出場機会も限られている中、控え中心で気持ちは切れなかったのでしょうか?
木村「Vリーガーを目指したきっかけはこの堺ブレイザーズでした。Vリーグでやるのは堺ブレイザーズという認識で、堺ブレイザーズでプレーするのが目的でしたから、気持ちが切れることはありませんでした。目指したものをやれている中で、色々と工夫をしていました。試合に出る機会は少なかったけれど、レベルの高い中でやれているのが良かった。それに対してネガティブになることはなかったです」
■最後の大会で感謝を伝えたい

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▲練習終了後、治療院の先生からアドバイスをもらう。


――ついに現役を引退されることになりましたが、引退の理由は?
木村「チームからお話をいただいて、世代交代という意味で自分は引くことにしました。もちろんできることならずっとやっていたい。でも、プラスの事を言うなら、世代交代は理解していますし、今いる選手の活躍や成長がすごく楽しみだと思っています」
――ちなみに、木村選手からファンの皆さんにこの選手は注目だよ、という選手はいますか?
木村「それはやっぱり同じ高校の後輩で、ミドルブロッカーの山﨑貴矢選手ですね。山﨑選手はパワーが持ち味で、決して器用なタイプでもないし、大きさも僕と同じぐらいで大きくはない(193cm)のですが、それでもスパイクを打つときの力強さやサーブは注目してください」
――今後のキャリアについては、どうされるおつもりでしょうか?
木村「僕には妻と子どもがいて、家族に支えてもらったバレーボール人生です。その恩返しをしたいです。バレーボールに関われたらいいなと思いつつ、家族を優先してあげたいなと。ただ、今は最後の大会で優勝する。その目的があって、雑念がない状態ですので、大会が終わってからですね」
――先ほど練習後にアイシングもされていましたが、怪我でしょうか?
木村「リーグ開幕前に肩の怪我があったのですが、それは治りました。今は試合に向けて調整をしている所です。練習の後にも、リハビリで通っている治療院の方に来ていただいていました。そうして応援してくださったみなさんに、最後の大会で恩返しをしたいという思いが強いです」
■明確な目標と意志を持つ
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▲「明確な目標と意志を持つことがトップレベルのアスリートになるために大切なこと」と木村選手。
――堺の住み心地はいかがでしたか?
木村「堺は良かったですよ! 人が明るい。明るい人が多いと思いました。思い出に残る場所は、大仙公園や、家族で行った南楽園やハーベストの丘。堺を満喫しましたね」
――堺のファンにメッセージをお願いできますか?
木村「まずは4年間ありがとうございました。最後の大会で皆さまに良い結果を報告できるように、プレーでも感謝の気持ちを伝えるように全力でプレーしますので応援よろしくお願いします。今後とも堺ブレイザーズを応援してください」
――もうひとつ、これからバレーボール選手を目指す子どもや若者にもメッセージをお願いできますか。きっとこれから選手を目指す誰もが才能に恵まれた存在というわけではないと思うのですが、そんな未来の選手たちに木村選手からアドバイスを送っていただけませんか?
木村「僕も実力はトップレベルのアスリートになるのにギリギリのところだったけれど、明確な目標と意志を持つことがトップレベルのアスリートになるために大切な事です。そのために、今何ができるのか、何年後何をするのか、周りの人に話を聞いたりしながら具体的にやっていけば、おのずと道が見えてきます。それは自分1人では無理なことです。人間関係を大切にして、色んな人に感謝の気持ちを持つことが大切です」
現役を引退することになった3人の選手のインタビューいかがだったでしょうか。
3選手にとって最後の大会となる、第67回黒鷲旗全日本選抜大会は、2018年4月30日より、大阪市の丸善インテックアリーナ大阪(大阪市中央体育館)で開催されます。ぜひ、会場へ足を運んで応援し、選手と一緒になって闘ってみましょう!!
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堺ブレイザーズ
新日鐵住金堺体育館
堺市堺区築港八幡町1番地(新日鐵住金堺体育館内)
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第67回黒鷲旗全日本選抜大会グループ戦組み合わせについて

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