インタビュー

井上裕介 バレーボール選手(堺ブレイザーズ)

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profile
1983年生まれ。岡山県岡山市出身。
ポジション:リベロ。
出身校:玉野光南高(岡山)→国際武道大
前所属チーム:大分三好ヴァイセアドラー
トップレベルのアスリートはどうやって生まれ、どんな人生を送るのでしょうか。
堺市をホームタウンとする堺ブレイザーズ(バレーボールV・プレミアリーグ)に所属する3選手の現役引退が発表されました。その3選手とは、リベロの井上裕介選手、ウィングスパイカーの伊藤康貴選手、ミドルブロッカーの木村泰輔選手です。3選手がVリーガーとして挑む最後の大会になる第67回黒鷲旗全日本選抜大会を前に、これまでのバレーボール人生を振り返るお話を伺うことができました。
まずは井上選手に登場していただきます。
■Vリーガーになりたいという思いをずっともって
井上裕介選手のポジションは守備のスペシャリスト・リベロです。過去にはサーブレシーブ賞やベストリベロに選出されるといった受賞歴を誇り、堺ブレイザーズでのキャリアは10年になりました。コート上では、ピンチの状況でも一際熱い表情と声で、自分よりずっと大きな仲間たちを鼓舞し続けている姿が印象的でした。
では、そんな井上選手のバレーボール選手としてのルーツはどこにあるのでしょうか?
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▲背番号2 井上裕介選手。ポジションはリベロ。
――井上選手がバレーボールをはじめたのはいつからで、どんなきっかけだったのですか?
井上「小学校3年生の時ですね。スポーツ少年団で学校の先生がバレーボールを教えていて、僕は運動が好きな方でしたので、お前も来るか? と誘って頂いて体育館に見学に行ったのがきっかけです。スポーツはなんでもやっていて、バレーボールは楽しかったですね」
――その後、高校は地元岡山の玉野光南高校、大学は千葉の国際武道大学に進まれました。バレーボールでやっていこう、Vリーグでプレーしたいと思われたのは、どのタイミングですか?
井上「中学、高校と目標ではありましたけれど、今思い起こしてみると、小学校の文集だったり、ボールの寄せ書きだったりで、ずっと『プロになる』『オリンピックに出てメダルをとる』なんて書いてましたね。その思いだけでずっとやってきたのかもしれません。本格的に意識したのは大学に行って、プロがより身近になった頃。大学の恩師にもV(リーグ)に行きたいと言いました。それで、最初は大分三好ヴァイセアドラーさんに採用していただきました」
■チームへの献身
2006年から2008年は大分三好ヴァイセアドラーに。そして2008年から堺ブレイザーズに入団します。
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▲井上選手は、練習でも一際大きな声を響かせています。
――井上選手は、これまでずっとリベロ一筋なのですか?
井上「中学の頃はスパイクを打ってましたよ。レフトでした。高校からはリベロですね。年代別でもリベロで、時にはセッターに入ったりもしました」
――リベロというポジションをされていて、どういう時に一番やりがいや、楽しみを感じるものなのですか?
井上「相手がいい状態で打った攻撃を(レシーブで)取った時ですね。リベロは点数を獲れるポジションではなくて、レシーブでしか貢献できないので、こういう時がチームに貢献できて楽しいですね」
――井上選手は、試合を拝見していても、ピンチの時でも誰よりも声を出して熱く盛り上げる姿が印象的です。やはり意図的にされていたのですか?
井上「周りを盛り上げようとはしていました。チームの流れを見ながら、周囲の選手の表情などを見ながら、極力ネガティブにならないように。チームの雰囲気が悪くならないようにしていました」
――これまでのキャリアの中で、一番の思い出というと何ですか?
井上「やはりチームで優勝したことですね。2012/13年のシーズンで優勝できました。その前の優勝が震災(東日本大震災)の影響でシーズンを途中で切り上げた中での優勝でしたから、最後までみんなで戦いきった中での優勝には強く思い入れがあります」
――個人的にはベストリベロを受賞されたりもしていますが?
井上「(笑)そうでしたね。もちろん嬉しかったのですが、準優勝での受賞でしたので、もらっていいのかな? という気持ちも強かったですね」
準優勝でも不満足。勝って当たり前という強い堺ブレイザーズを井上選手はチーム第一の献身で支えてきました。しかし、強豪堺ブレイザーズの輝きは、2012/13年シーズンの優勝の後、次第にかげりを見せていきます。
■堺ブレイザーズ再生のためには?

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▲逆境の試合でもチームメイトを鼓舞する。


――優勝に手が届かないどころか、堺ブレイザーズの成績はここ数年ふるいません。サポーターとしても、歯がゆいところです。一体、この低迷の原因はなんだとお考えでしょうか。
井上「スタッフから要求されることに対して、もっともっと選手がレベルを上げていかないといけない。個々のスキルアップをしていかないといけないと思います。監督も2度代わりましたが、監督が代わるとチームのカラーも変わる。選手はそれに対応していかないといけない。そういう大変さが選手にはあったと思います。しかし、お互いの個性を尊重してチームとしてまとまっていけば勝てるようになるはずです」
――今シーズンは、結果としては残念でしたが、若い選手が戦力として台頭してきた印象がありますね。
井上「若い選手が試合を経験しました。経験するたびに成長してきたので、来季はその経験を活かしてくれたらと思います」
――今シーズンの井上選手は、同ポジションの今富稜介選手と交互にコートに出る起用法でした。井上選手から見た今富選手はどんな選手ですか?
井上「僕は今富選手に反応スピードでは絶対敵わないです。今富選手は努力する選手で、元気でチームを盛り上げる。若い選手ですがリーダーシップもある。チームの中心になっていってもらいたい選手です。僕はもう引退しますけれど、強い堺ブレイザーズを作っていってほしいなと思います」
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▲井上選手がチームを託す1人、リベロの今富選手。
今富選手をはじめ若い選手にチームを託して、井上選手はコートを去ります。では次のキャリアについてはどう考えられているのでしょうか。
■バレーボールには携わっていきたい

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▲次世代のバレーボール選手を育むコーチを目指すという井上選手。この夢も諦めずに挑み、叶えて欲しいですね。

――井上選手が引退を決意されたきっかけは何でしたか?
井上「僕自身はまだやれるという思いもあったのですが、契約満了で引退することにしました」
――他のチームで現役をということはないのですか?
井上「それは無いですね(笑)。まだ何も決まっていないのですが、バレーボールには携わっていきたいと思っているので、コーチとしてやっていけたらと思っています」
――堺ブレイザーズの地域活動では、子ども向けのバレーボール教室などでコーチをされたこともあると思うのですが、自分はコーチとして向いていると思われたりしたのでしょうか?
井上「向いているとかは全然思わなかったですね(笑)。指導は本当に難しいです。自分の学んできたことを、相手にわかりやすいように伝えることは難しいなと思います」
――井上さんご自身が一番影響を受けた指導者はどなたですか?
井上「大学の時の先生ですね。もっと変わらなきゃと思わされました。それまで僕は自分のことしか考えていませんでした。岡山ではバレーボールをしていて、挫折を味わったこともなく、いけるいけると思っていました。関東の大学に行かせてもらって、レベルの高い所へ行って、まだまだ足りないと思わされました。先生には協調性が無い、もっともっと周りのことを見て、選手のことを見て動かないとダメだと言われました」
――今のプレイスタイルからはまるで想像つかないですね。
井上「僕はもとから負けず嫌いなのですが、大学でも絶対に負けたくないと思ってやっていて、今この状況で自分が何をしなきゃいけないのかと考えることを学びました」
――大学で先生に教わったことが、Vリーガーになってからの井上選手のプレイの土台になったようにも思えますね。
井上「それはそうですね。Vリーガーになって堺ブレイザーズでも活かされたと思います」
■夢は叶う
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▲諦めずに努力を続け夢を叶えた井上選手。
――堺ブレイザーズで所属した10年、堺市の住み心地はどうでしたか?
井上「僕は都会が苦手なのですけれど、堺は田舎過ぎず、街過ぎず、良かったですね。ご飯も美味しかったし」
――思い出の場所なんかはありますか?
井上「うーーん。どこだろうな。……やっぱり金岡のホームゲームの雰囲気は、どこに行っても味わえるものではありませんでした。あそこでやれたのは、すごく僕にとって良かったです。一体感がすごく感じられて、より熱を感じながら後押しされる。すごくありがたいことだなと思います」
――井上選手のプロフィールを拝見すると、座右の銘に「諦めなければ夢は叶う」とありましたが、夢は叶いましたか?
井上「ああ(笑)、堺に来たばかりの時に書きましたね。そうですね。バレーボール選手としては叶ったところもあります。厳しい状況だったかもしれないけれど、高校でも大学でも、Vリーグ選手になれるのは一握りです。諦めずに頑張ってきたのは良かったと思います。人が助けてくれた。人の縁で堺ブレイザーズに来れた。そういうことには感謝しています」
――諦めそうになった時はなかったのですか?
井上「大学の時に試合に出られないことがあったのは挫折でした。でも諦めなかった。腐らずに努力してきたのは良かったです」
――これからVリーガーを目指そうとする子どもたちや若い選手にアドバイスはありますか?
井上「努力することを怠らない。自分の目標を持って努力し続けないと、そこの目標には近づいていかない。強い気持ちを持って頑張って欲しいなと思います」
――では、最後に堺ブレイザーズを応援している、堺のファン・サポーターの方にメッセージをお願いします。
井上「本当に熱いファンの皆さんに叱咤激励をしていただけることで、僕自身も頑張ってこれたし、支えていただけたと思うので、なんとか最後にいい恩返し、なんとかいい形で終わっていけたらと思います。どんな状況でも変わらずに声援し続けてくれたことは、僕にとってはありがたいことでした」
堺ブレイザーズ
新日鐵住金堺体育館
堺市堺区築港八幡町1番地(新日鐵住金堺体育館内)
電話:072-233-2264 
FAX:072-233-2248 
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