インタビュー

落語家 桂紅雀(3)

桂紅雀堺東
profile
桂紅雀
1971年生まれ。滋賀県滋賀郡出身。堺市在住。

1995年9月 故桂枝雀に入門。1996年4月。京都・東山安井 金比羅会館「桂米朝落語研究会」にて初舞台。レギュラー番組は、びわ湖放送「テレビ滋賀プラスワン」(土曜日12:00~12:20)。
落語家桂紅雀さんは、人気落語家桂枝雀の最後の弟子です。前座を務めた時に体験した客席の笑いが押し寄せてくるような別次元の師匠の落語をいまだに追い求めていると言います。自分の芸は自己表現のためと言い、言いたい事は言うと時には時事問題を語る紅雀さんは、柔和な雰囲気の中に硬派で求道的な一面を秘めているようです。
この日は紅雀さんの地元で紅雀さんの落語会も開催したことがある馴染みのお寿司屋『すし半』さんでお話を伺いました。まるで子どもの頃からのご近所さんのようにお店の方とも親しんでおられますが、紅雀さんの故郷は滋賀県。堺に来る前も、吹田市で暮らしてました。こんな風に、地元に愛される
3回(前篇中篇)に渡った連載の最後は、そんな紅雀さんと堺のかかわりから始めましょう。

■地域で暮らす
紅雀さんが堺へ越してきたのは9年前のことです。
「それまでは師匠のお宅が吹田だったこともあって、吹田に住んでいたんですが、結婚して堺へ越してきました。奥さんの仕事が看護関係で、当時は堺区が勤務先だったんです。僕はどこに住んでいてもいい仕事ですから」
吹田に住んでいた時も地域寄席があり、お世話になっていたそうです。
「吹田でも千里山に寄席があって、今でも呼ばれます。地元意識をもっていただいてありがたいですね」
桂紅雀・井澤孝幸
▲桂紅雀さんと同い年の井澤孝幸さんは『すし半』さんの二代目です。
落語会を開催したこの『すし半』さんとの付き合いは4年ほどとのことですが、これは地元のお寺との付き合いから縁が広がっていったものなのだそうです。
「北区の愛染院の野口真龍さんという方が、お寺でイベントを開催されたりする非常に面白い方で、僕もそのイベントで知り合いました。『すし半』さんは、野口さんから紹介していただいた縁です」
愛染院は堺市の有形文化財に指定されている江戸時代初期の貴重な近世寺院建造物です。
お寺が文化財ということもあって野口さんは堺市の文化財課ともつながりがあり、重要文化財『町家歴史館山口家住宅』でのイベントを考えていた堺市文化財課に紅雀さんを紹介します。
そのイベントこそが、2017年で第6回を数えた『落語で語る堺あれこれ』です。
「第1回は落語だけだったんですが、2回目からは地元の文化的な活動として、毎年包丁鍛冶や与謝野晶子、古墳などとコラボレーションをするイベントになりました。お客様からは文化的なことに僕が茶々を入れることで面白おかしく聞くことが出来て、講座としては面白いと評価されているそうです。僕としてはもっと笑いを取れたやろという時もあるんですけれど」
紅雀さんは、僕は半信半疑ではあるんですけれどと、謙遜されますが、そもそも文化財課のテーマ設定がかなり無茶ぶりではないでしょうか。包丁鍛冶、与謝野晶子、古墳という落語と関係なさそうなテーマから落語で語り、専門家と座談会で司会役も務めねばならないのですから。
難しいことを簡単に言うことこそ難しいもの。この役目は紅雀さん以外にはなかなか務まらないように思います。
■落語家の見た堺
では、9年暮らした堺は、桂紅雀さんから見てどんなまちなのでしょうか。
「堺は住みやすいし、地元にすんなり受け入れてくれているし、古いものと新しいものが共存できているのでいいまちだと思いますね。ただ、大阪に行きやすいというのもあって、すぐ大阪に行ってしまうでしょう。でも交通機関は便利だし、余裕に全部ここで出来るのにもったいないと思いますよ。もっと若い人が堺自体を盛り上げた方がいいんじゃないか。もっと堺東に行けばいいんやないかと思ったりします。まず地元を中心に盛り上げられたらと思うんですけれど」
桂紅雀
住環境は申し分がないけれど、政令指定都市でありながら地元での盛り上がりが希薄というのは、多くの堺市民も指摘することです。
では、落語をする上ではどんなまち?
「落語ファンはどのまちにも変わることなくいらっしゃいます。堺もそうです。しかし、堺東に利久寄席、山之口商店街におたび寄席と近場にいくつも地域寄席があるのはすごいと思いますよ。土壌としてはとてもいい。また、落語を聞こうというのはあっても、趣味の方たちで落語をやろうというところもあまりありませんしね」
これは芸事を庶民が嗜むという、堺の町人文化がいまだに消え去ることなく残っている証なのかもしれませんね。

■芸に欲深く
最後に芸人としての紅雀さんのこれからについて尋ねてみました。
「僕がやりたいのは自己表現です。それをやり続けることは完成しない。おもろいことを常にやり続ける。でかいホールでやりたいかというとそうでもない。テレビに出て売れたいかというとそうでもない。僕は売れたいとか、金が欲しいとかいう欲深さがあまりないんですよね。年とともに欲が減退してきたのも良くないなと思うんです。もっとギラギラ感がある方が、人間としてはともかく芸人としては絶対そっちの方がいい。売れたい、金が欲しい。ストレートな欲求を持っている方がいい。ところが僕は元からそんな人間ではないから、そんなものはないんで、それについてはぶれていますね」
欲望がストレートな方が観客にとっては親しみやすいということがあるかもしれません。しかし、紅雀さんのように自己表現のために芸をするという芸人さんも、職人気質で一途な印象で好感をもたれるキャラクターではないでしょうか。師匠の枝雀さんも、やっぱり芸に一途な面が愛され尊敬された方だったようにも思えます。
桂紅雀
「うちの師匠を見ていると、天才でありながら努力をする。満足しない。努力しつづけている。前を常に見ておられました。これはうちの師匠だけでなく、米朝師匠、ざこば師匠、南光師匠も同じで、みんな前を向いている。形やアプローチは様々ですよ。稽古をするとか、稽古以外でも自分を磨くとか、いろんなやり方をされていますが、常に前を向いているのは変わらない。だから、僕ごときも前を見ていこうと思うんです」
色んなタイプがある中で、紅雀さんは芸に嘘をつけない生真面目なタイプのように思えます。そんなところも、どこか師匠譲りだったりするのではないでしょうか。
「細かいテクニックは端々のこと。細かいテクニックがうまいから『それ』が生まれるわけではない。大きく包まれた時には関係のないものです。そのためには、テクニックがあったり、感情の揺さぶりがあったりもするのですが」
紅雀さんの言う『それ』とは、客席と共に生み出していくグルーブのことでしょうか。あの前座を務めた時に枝雀さんの舞台から押し寄せてきた笑いの音、押し寄せてくる波。
「同じことをやっても落語はどんどん進化しています。進化もし、退化もしています。僕は落語は古典芸能ではなく大衆芸能だと思っています。常に大衆とともに無いと落語は成立しない。古典にしても、創作にしてもそれは同じ作業です。僕も創作はしますし、古典は長くやっている分しっかりしていますけれど。実は覚える作業というのはちょっとしたことなのです。落語に必要なのは、自分の骨となり、肉となりする作業です。創作落語は自分で作るというだけで、骨と肉を作る作業は(古典と)一緒です」
紅雀さんが、いつの日か追いかけていた「笑いが押し寄せてくる」別次元の落語にたどりつくのか、それは誰にもわからないことでしょう。でも、紅雀さんという人は迷いながらもずっと前を向いて進み続けるのではないでしょうか。若い日に純粋に枝雀師匠を追って日本中を追いかけたままに、その紅雀さんの旅はまだまだ続いているように思えるのです。
桂紅雀堺東

桂米朝事務所


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