インタビュー

落語家 桂紅雀(2)

桂紅雀
profile
桂紅雀
1971年生まれ。滋賀県滋賀郡出身。堺市在住。

1995年9月 故桂枝雀に入門。1996年4月。京都・東山安井 金比羅会館「桂米朝落語研究会」にて初舞台。レギュラー番組は、びわ湖放送「テレビ滋賀プラスワン」(土曜日12:00~12:20)。
滋賀生まれの若者が、北海道で落語に出会い、惚れた枝雀の弟子になるべく日本中を追いかけてついに桂紅雀という落語家になりました(前篇)。2年間共に暮らした桂枝雀は、他人だった弟子に財布もあずけ、風呂上がりにすっぱだかで体を拭かせるような男でした。紅雀さんは、「怖くて、尊敬していて、とても可愛い人だった」といいます。しかし、紅雀さんが弟子入りしてわずか3年半で天才落語家枝雀は自ら死を選び帰らぬ人となります。
■桂枝雀の横顔
何度断られても諦めずに日本中を追いかけ弟子となった紅雀さんにとって、枝雀師匠の死がどれほど大きなものであったのかは想像もつきません。17年たった今、紅雀さんはこう言います。
「人の死ぬことには関与できないでしょう。その人の人生なのだから。そういうことを思うにはだいぶ時間がかかりましたけど」
考えてみれば紅雀さんの落語家人生は、枝雀さんが亡くなってからの方が圧倒的に長いのです。
「今でも、若い子たちが師匠にあたる人と語らっているのを見ると、いいなぁと羨ましい気持ちにはなりますね。何しろ僕は空気でしたから。お前はいらない人間なのだからと言われてましたので、一度も師匠に意見を言ったことはありませんでした」
でも落語家として成長することで、いつか認められた紅雀さんが枝雀さんに意見し、落語について語り合う日々があったのかもしれない。もちろん、どんな未来があったかのか確かめようのないことですが。
桂紅雀
紅雀さんから見た落語家としての枝雀さんはどんな人だったでしょうか。紅雀さんが特に好きだという落語家は、当然師匠の桂枝雀さんと、あとは桂米朝さん、笑福亭仁鶴さんだそうです。
「うちの師匠と仁鶴師匠は、お2人とも初代桂春団治が好きだとおっしゃっているのですが、滋賀県出身の僕がきくと(桂春団治の)関西弁のリズムが早すぎたりもするのですが、それが好きな2人の落語が僕は特別好きなんです。お2人は面白さの種類が違うんだけれど、仁鶴師匠が『えー』というだけで面白い。仁鶴マジックですね。こういう可笑しさのことを『フラ』といいまして、なんというか説明は出来ないけれど、可笑しさが漂っている。それが『フラ』です。仁鶴師匠の『フラ』は尋常じゃない」
では、枝雀さんの芸の面白さ特徴はどんなものなのか、お弟子さんから直接語ってもらいたくなります。しかし紅雀さんはそれは出来ないとおっしゃいます。
「師匠は『身内が(身内の芸のことを)そんなに語るものではない』とゆうてはりました。それは多分、身内はその芸人がどれだけの努力をしているか、その裏側を見ている、見てしまっている。芸ではない部分も。だから、うちの師匠の芸のことは語れないです」
一方で枝雀さんの人柄については、紅雀さんの口から汲めども尽きぬように語られます。
「あれだけ落語のことしか考えられない、あれだけ落語のことを考えられる人を見たことはないです。四六時中そのことばかり考えていました。うちの師匠はなんでもやりたがるんで、お芝居とかも面白そうやと思ってやってみるけど、やっぱり違ったとすぐ辞める。落語が一番楽しそうだし、一番苦闘していました。色々やらはったけど、ずっと続いたのは落語と英語と仏教の三つぐらいじゃないでしょうか」
色んな分野を経験すること、そのすべてを枝雀さんは落語のために注ぎ込んでいたのではないでしょうか。
では、今度は落語家・紅雀さんの芸についてもお聞きしていきます。
■自己表現のための落語を追及する
落語では演目に入る前にまくらという導入部があります。このまくらは演目の内容を予測させるフリにもなるし、落語家さんが注目しているトピックスが出てくることもあります。桂紅雀さんのまくらでは、時事ネタ政治ネタも遠慮なく出てきます。
「生で消え物なんだし、言いたいことを言おうというのがあります。別に制約があるわけではなくて、自主規制を自分でかけているだけなので、僕は政治的なことだって言います。それがたまたま政権批判になることもあれば、政権擁護になることだってあるかもしれない。僕は言いたいことを言っていいと思う。自分が言いたいことを言えない舞台は務めたくないですね」
多くの表現者が批判を恐れて、社会的な問題・政治的な問題には口を閉ざし、あたりさわりのないことにばかり終始しがちな昨今、紅雀さんの姿勢は古風にすら感じます。
桂紅雀大笑
「なんのために芸をするのかは芸人それぞれだと思うんです。それはそれぞれ芸人の立ち位置の問題です。顧客満足度のためにやるのが芸人という人もいます。僕は自分の満足度のためにやります。もちろん、集まってくれたお客様が満足してくれないと、というのはあるので、まるまる自己満足だけではありませんが」
なんのために表現し、何を優先しているのか。これは落語だけでなく、音楽でも文章でもアートでも、おそらくあらゆる分野の表現者に共通して言えることかもしれません。
「たとえば楽屋内で思っていることが、舞台では全然見えないのも芸の力ですから、(思っていることと演ることが違うのも)芸人としてはいいことだと思います。でも僕自身がしたいことは自己表現です。これはどの商売でも、どの仕事、職種でも一緒でしょう。お金のためにやっている人、自分の目指すもののためにやっている人もいる。みんなそれを悩みながらやっているんじゃないでしょうか。かくいう僕もかっこたる信念があるわけではないんです。自己表現を貫くつもりでも、今日はお客様に合わせてしまったな……と、そう思う時もあるんです」
しかし、そんな紅雀さんだからと、オファーされる仕事もあるようです。
紅雀さんは、故郷の滋賀県のテレビ局「びわ湖放送」の番組「テレビ滋賀プラスワン」のレギュラーを務めています。この仕事をするようになったのは、ちょっとした経緯がありました。
「県政番組なんですよ。これはどうしても堅い番組になるから、それをどうにか興味を持ってもらえるようにしたいと局の方が考えていたそうです。それで滋賀にゆかりのある人間で人を探していたところ、偶然の出会いがあって向こうから声をかけていただいたんです。そんなことってめったにないことですから、事務所のマネージャーも半信半疑でお話を伺いに行きました。出会ったのが2月で、3月に話を伺うと、4月からの番組だというじゃないですか。もう驚きましたけど、それが4年続いていますね」
高座で時事問題も取り上げる紅雀さんには、堅い内容であってもそれをかみ砕いてわかりやすく面白く伝える力があります。びわ湖放送にとっては、まさに求めていた人材だったのではないでしょうか。
では、紅雀さんにとっては、テレビの仕事は高座と比べるとどうなのでしょうか?
「収録ということもあるんですが、番組でも面白いこと、好きなことを言おうとしていますよ。面白いと思って言ったことが使われない時もありますけれど(笑)。ただ、ライブと違うのは、やっぱりお客様の生の反応がないことですね。ライブの反応があるわけじゃないのにやっていけるタレントさんはすごいなと思います。TVタレントとライブの芸人は別物ですね」

桂紅雀かしげ
やはり紅雀さんは、お客さんの反応を力に変える、根っからのライブの芸人さんということでしょう。お仕事もライブが中心です。
「びわ湖放送の収録以外では、落語会があれば行くという感じですね。生の落語の方が、自由度があるし、返りがある。生の舞台は代えられないものがあって、お客様の人数が多かろうと少なかろうと同じです。箱が大きいと気負ったりする時もありますけど、客席とグルーブできた時は多い時も少ない時も一緒です」
そんな紅雀さんにとって、これまで最高の舞台といえばどんな舞台でしょうか。
「楽しかった時は何回もありますが、衝撃を受けたのは、うちの師匠とやった時です。これは忘れられない。その時、僕は前座で出て自分でも受けた話やと思ったんですが、師匠とはなんでこんなに違うんやろうと(驚かされた)。別次元の方が存在する。客席からの音が違うんです。笑いの音と波が違う。未だにそれを追い求めていますね」
今や中堅落語家の紅雀さんが『別次元』と語る枝雀さんとはどれほど巨大な存在だったのでしょうか。
それではと「あの時の笑いの音」を追い続けている紅雀さんに、枝雀さんを含めた名人たちの偉大さについてお聞きすると、少し意外な答えが返ってきました。

■名人の芸とは?
桂紅雀カウンター
これまで名人と呼ばれた落語家たちの芸はどれほどすごかったのか。身内の芸については語れないとおっしゃっていた紅雀さんですが、一般論としてならどうでしょうか。
「僕なんかが生意気なのですが、落語自体も進化しています。昔よりは名人が出来辛くなっていると思います。笑いのパターンも、面白いことの種類も増えています。一方で、(お客様との)話題の共通項が少なくなっています。たとえば一昔前なら、『松田聖子』は誰でもわかっている『こと』でしたが、今はそんな存在がいない。『EXCILE』や『AKB48』という名前ぐらいは知っていても何を歌っているのか知らなかったりする。流行語大賞だって、あの言葉は今年の言葉やったん? ということが多いでしょう。以前は強烈な出来事だったら2~3年は使えたのに、今は腐るのも早い。ライブをする上で共通項を見つけるのが難しいですね。逆に、これ知っているやろうと思っても、それが早すぎたりもしますし、かえって知らないことで面白いことを見つけたりする方がお客様を掴めたりする。その辺が昔とは違ってきていますね」
言葉といえば落語で使われている言葉の問題もあります。
「言葉が生きていないんですね。へっついってなんだ。かまどのことだ。じゃあ、かまどってなんだって。言葉はどんどん変わってきています。うちの師匠は、言葉が変わっていくことに向き合った落語家でした。けれど一方で『そやかて人間こそばいところはこそばいもんやで』ともゆうてはりましたね」
それは時代が変わっても、言葉が変わっても、人間の心を動かすツボのようなものは変わらずあるということでしょうか。
枝雀さんの落語をライブで聞くことはかないませんが、残された音源や動画で過去の枝雀さんら名人の落語と、紅雀さんら今の落語家さんの落語を聞き比べたくなるようなお話でした。

桂米朝事務所

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