チャラチャラしたバンド少年が、画家の父の勧めで陶芸家に弟子入りして6年。最初は土の見分けも出来ず、ただ失敗だけを恐れていた弟子だったのが、自主性を持とうと窯を開いて独立するまでになりました。そして六古窯の丹波から離れる移転先に選んだのは、なぜか自分でも当初は考えてもいなかった堺でした。
陶芸家阪本健さんが篠山市で陶芸家への道程を伺った
前篇。後篇のスタートは、新天地・堺へやってくることになった経緯について。
■プレゼンテーションで生まれた一棟
|
▲「コミュニティの場にしたい」という想いに応えて生まれた辰巳窯。阪本さんはグループのイベントなどで陶芸教室を開催されています。 |
現在の阪本さんの辰巳窯は、堺市中区の手入れの行き届いた庭園の中のログハウスにあります。ひなびた町中の住宅地の真ん中にこんな空間があることも不思議ですが、その中で窯を開いて日々作陶している阪本さんの存在もなんだか不思議です。
「ここに来たのも人の縁ですね」
と、阪本さんはいいます。
「ちょっと不思議な場所でしょ。ここは老人ホーム内という、言ってみれば特殊な場所です。ここはテレビなどでもお馴染みのロングライフグループの老人ホームで、ログハウスが建っている場所も、もともとは施設の駐車場だったのです。それが社長の『コミュニティの場所として使って欲しい。誰でも気軽に入れる場所にしたい』という意向で改築されることになったのです」
丁度その頃、施設でヘルパーとして働いていたのが、阪本さんの奥さんのお母さんの友人でした。おかげで改築の情報が人づてに阪本さんに伝わります。
|
▲老人ホームの敷地内ということもあり、安全性の高いコンピュータ制御の電気窯を使用している。 |
「コミュニティの場として喫茶店にするという案があがっていると聞きました。僕は企画書を書いて、こんなことをやりたいというのを社長に直談判しにいったのです。すると、喫茶店は喫茶店で建てて、もう一棟建てようということになったのです。もともとの計画になかったのに、ポンポンと話が決まってしまいました」
思わぬ縁をきっかけに、阪本さんは子どもが小学校にあがるタイミングに合わせて丹波から堺市へと引っ越してきました。窯の名前も引き続き自分が育ち、丹波焼の原点の土地の名を冠した「辰巳窯」の看板を掲げました。
■産地ブランドから作家ブランドへ
独立し、堺市へ移転したといっても、陶芸家としてやっていくのは簡単なことではありませんでした。
「景気がいい時代に、焼き物ブームがあったのです。その頃、焼き物ファンだった方たちは、今でも『何々焼なの?』と聞いてこられます。当時は信楽焼の作家、有田焼の作家といった具合に、何々焼であることがブランドでした。しかし、今はそうした垣根が無くなってきました。産地じゃなくて、作家がブランドになる。堺へ来る時に、時代が変わってくるだろうという予感はありました。そして、予感通り、今はその人のスタイルが重視される時代になったと思います」
産地ブランドにこだわらない時代がやってきたのは幸いでした。
|
▲陶芸家の阪本健さん。 |
「堺に来てみたら、住めば都でしたね。仕事をとるのにも移動がしやすい」
人の行き来も活発な都会だからこそ、人との出会いも頻繁になります。
「これも人の縁ですね。堺に来た時にある人と出会って、百貨店の催事に誘われました。僕なんかが入っていいのかな? という思いもありましたけれど、阿倍野の近鉄百貨店の催事で一年間出させてもらったのがいいきっかけになりました。それでようやく陶芸家として独り立ちできたのです」
阪本さんは、こうして堺へ来てプロの陶芸家として足場を固めることが出来たのでした。
「大阪の堺でやっているので、僕の作っているものは丹波焼とは言えません。今でも時々『何々焼なの?』と聞かれる時はあるのですが、その時は『若いときに丹波焼で勉強させてもらいました。今は地元の土を使って、技法は丹波焼で教わったものを使ってやっています』と言うようにしています。やっぱり、いろんな人に助けてもらっている。さしてもらっていると感じることがあります。陶芸家といっても特別じゃないんやで、と。先生、芸術家と言われるようになると、勘違いしやすい仕事ですけれど」
では、陶芸家としての阪本さんの個性はどのようなものなのでしょうか。
■泉州土で紅粉引
阪本さんの作品を見せていただきました。ざらっとした質感のある器が並びます。
「丹波焼は食器と茶道具で有名です。茶器で名をはせている方もいらっしゃいますが、僕は食器をメインで仕事をしていて、オブジェや人形、アクセサリーはやりません」
棚の中には、食器以外には存在感たっぷりの抹茶碗もありました。
「抹茶碗は値段が高いのでそれほど売れるものでもないのです。自分のテイストをおみせするために置いていたりするのですが、展覧会の時に手をとって気に入られた方が買われることがたまにありますね」
|
▲阪本さんが修行した篠山市の丹波焼は食器と茶道具でも名を馳せています。 |
食器のオーダーが、阪本さんが一番やりがいを感じる仕事ということになるのでしょうか。
「そうですね。相手が求めているものを理解して、自分のカラーを出していくその工程が好きです。作家のテイストは大切ですけれど、食器は料理を盛って100%になります。料理が乗った時に美味しく見えないといけない。そんな中で自分のカラーをどれだけ出していくのか、お客様のニーズにこたえるためにも、自分の引き出しは多く持っていないといけません」
そうした対応力を身に着けるのも一朝一夕ではなかったことでしょう。
|
▲クラックのある粉引を使った器。 |
では、阪本さんの特徴的なカラーとはどんなものなのでしょうか。
「僕は質感が好きなんですよ。僕が使う技法に、土の上に土をコーティングする『粉引(こひき)』という技法があります。表面にこうしたクラック(割れ目)ができるたりする。器で自分の世界観を出せたりするのです」
持たせてもらうと、手の感触が気持ちよく、つい唇をあてたくなります。
「粉引も色々あって、黒いのは『黒化粧』といいます。僕は自分のオリジナリティのあるものをと思って紅い粉引で『紅粉引(べにこひき)』と呼んでいるもので器を作っています」
『紅粉引』が施された阪本さんの食器や酒器は鮮烈な紅が彩っています。華やかな食卓の様子が目に浮かぶような器です。
|
▲阪本さんのオリジナルである紅粉引を使った酒器。 |
「器に使っているのは泉州土という赤土で、この上に粉引で土をかけて焼きます。泉州土は、岸和田で須恵器の復元に取り組んでいる方が使われている土で、決して使いやすい土ではないのです。簡単に言うことを聞いてくれる土ではなくて雑味がある危うい土なのですが、僕はこの土が好きなんですよ。業者さんからは色んな土のカタログが送られてきますが、今はこの泉州土ですね」
堺にやってきて、陶芸家と独り立ちするのを助けてもらう人との出会いをした阪本さんですが、土とも出会われていたようです。阪本さんが堺の中でも、古墳時代に日本最大の須恵器の製造地だった陶邑(すえむら)があった中区に居を構えたのは、ひょっとしたら土に呼ばれたのだろうか、そんな不思議な縁に導かれたようにも思えます。
■定番のうつわ展
すっかり阪本さんの地元になった堺市中区の「ぎゃらりいホンダ」で、2018年9月6日から15日にかけて開催されるのがグループ展『定番のうつわ展』です。参加するのは、阪本さんを含め4人の陶芸家です。
「堺に来てからご近所の『ぎゃらりいホンダ』さんにも大変お世話になっていて、企画展は去年に続いて2回目です。去年は、作家の軌跡をたどるということで、これまでの年表を作ってもらって掲示したのですが、これは面白かった。陶芸家として顔見知りでも、どんな人生を歩んできたのか案外知らない。今年は『定番のうつわ展』ということで、10年以上活動している陶芸家に、昔から作っている定番の作品を出してもらい、その器にまつわるエピソードもキャプションで説明をつけてもらう」
|
▲阪本さんの「定番のうつわ」。手前が「森のスープカップ」。奥が「春待ち小鉢」。 |
こうした企画は、阪本さんがギャラリーに持ち込んだ企画だとか。どうしてテーマのある企画展をするのでしょうか。
「新作を出すのもいいのですが、やはり持ち込み企画は面白くないといけませんよね。何かテーマがないと面白くないでしょう。堺でやっている以上は、いろんな人に自分のことも、『ぎゃらりいホンダ』があるってこと、こんなことをしている人がいるってことを知ってもらいたいのです。だからもう一歩踏み込んでやりたい」
昨年は年表というわかりやすい形で陶芸家の人生を見せる企画展。今年は、陶芸家の顔ともいえる作品を並べることで、より深くその陶芸家の事を知れる企画展になるのではないでしょうか。
|
▲画家の息子として生まれ、丹波で修業し、堺で名実ともに陶芸家となった阪本さん。技法を研究して新しい作品を生み続け、企画展をプロデュースするなど進化する阪本さんに今後も期待! |
阪本さんの半生を振り返ると、父親の言われるがままに陶芸家に弟子入りし、主体性のない日々に苦悶していたことが遠い日のようです。堺に根を下ろし、自分のオリジナル作品を追及し企画展もリードする。土を練るところから、じっくり時間をかけて焼き物が生み出されるように、阪本さんという陶芸家が出来上がるにも長い時間が必要だったということのように思えます。
興味を持たれた方は、阪本健さんが企画された「定番のうつわ展」でぜひ直接作品を手に取ってみてください。
辰巳窯
住所:堺市中区深井中町897-1
定番のうつわ展
日時:2018年9月6日(木)~15日(土) 11:00~18:00(最終日16:00)
会場:ぎゃらりいホンダ(堺市中区深井沢町3134)
アクセス:泉北高速鉄道「深井」駅より徒歩5分