失われた風車の風景を求めて(3)
水汲みの重労働から農民たちを救った「石津の風車」は、昭和25年頃までの最盛期には、大和川下流域から泉南にまで普及し、400基近くも林立し風に羽根を回転させ続けていました。
その後、役割を終えた「石津の風車」ですが、社会景観工学の岡田昌彰教授による2006年の調査では12基の風車が小学校や公園でモニュメントとして残されていることが判明しました。
2013年になって岡田さんは再度調査をするのですが、7年間でいくつかの変化が起きていました。
■失われた風車と発見された風車
2013年に、堺の風車を移設していた豊中市の日本民家集落博物館でシンポジウムがありました。台風被害で破損した博物館の風車が、募金などの協力を得て修復された記念のシンポジウムでした。
岡田さんは、そのシンポジウムに招かれることになり、それに合わせて風車の現状を再調査しました。すると、
「2006年の調査の時に12基あった風車のうちの2基が取り壊されていたのです。しかも、1基は『ソニー子ども教育科学プログラム』で受賞していた五箇荘東小学校の風車です」
子どもたちの「科学する心」を育むことを目指したこの賞を受賞するのは簡単なことではありません。それだけ五箇荘東小学校の風車は評価されていたのにも関わらず、風車は撤去されてしまいました。
「当時風車に関わった先生はもうおらず。2013年には、どなたも風車が賞を受賞したこともご存じありませんでした」
なんとも残念なことです。風車に限らないことですが、学校での取り組みは、どれだけ素晴らしいものでも、熱心な先生が転校や退職でいなくなると、活動が立ち消えてしまうことがあります。
「市小学校の教頭先生は風車の保存に非常に熱心な方で、色々お話をお聞きすることが出来ました。(市小学校で撮影した風車の写真をお見せすると)そう、この風車です。でも、その先生ももう市小学校にはいらっしゃらないのではないでしょうか」
▲市小学校の風車。カラフルな色彩が印象的。 |
一方で、新しい発見もありました。
「新しく2基の風車が発見されたのです。新湊小学校と浜寺公園海浜生物観測場に2003年以降に風車が新造されていました。新湊小学校の風車は、ちゃんとブレードの回転するものだったのですが、近所の方から音がうるさいという苦情がきて、回転を止めてしまったそうです」
それにしても、使用されなくなってから何十年たってからも新造される風車は、少なくとも堺の人たちにとっては価値のあるものだと言えそうです。それに加えて、堺から離れた豊中でも風車は寄付金が集められて修復されるということは、何か普遍的な価値がこの風車にはありそうです。岡田さんの研究に、その手がかりを求めてみましょう。
■風車は文化遺産なのか
修復記念シンポジウムでは、堺の風車ははたして文化遺産なのか興味深い議論も交わされたようです。
「堺の風車は文化遺産(ヘリテージ)とは呼べないという反対意見も多かったのです」
実際にすでに揚水風車としての役割も果たしていないし、もとあった場所から移設され同じ風景とはいえなくなっています。
「反対意見に対する反論として、面白かったのが『伊勢神宮と同じじゃないか』という意見があったのです。伊勢神宮など日本の神社の中には、何十年に一度建て替える文化がありますよね。西洋の石の文化では建築物はずっと同じものが続いていくけれど、日本の木の文化は建て替えるけれど同じものだとする。堺の風車は最初は木造で作られていましたが、同じ機能で鉄製に作り替えられていく。それも面白い」
▲かつては木製だった風車。(写真提供:柴田正己氏) |
「さらに堺の新造風車が面白いのは、たとえば製造者である中野正治氏自身が新造したものもあることです」
製造者自身が作り、同じ機能を有しているのなら、それは違うものなのか、同じものなのか。やはり同じものと言えるのではないだろうか? そんな議論になるのも、堺の風車がキマイラ的な特徴を持っているからでした。
「この揚水風車は丁度、構造物と機械の両方の特徴をもっているのです」
建物などの構造物は移設・複製は出来ないけれど、風景を形成する。機械は(軽量・小型であれば)移設・複製は出来るけれど、風景は形成しない。しかし、揚水風車は移設・複製も可能で、(群となって)風景形成もする。景観工学から見た時に、興味深い存在だったのです。
「以前のように農業地帯にわっと並んで建つ風景を再現することは無理です。しかし、小学校や公園に細々とでも地元の人々の熱意で風景が残っていることに大きな価値があるのです。風景を残したそのストーリーと熱意に大いなる価値がある。堺の風車は景観というよりはヘリテージです。しかし、景観とは景観の持っている意味や背後のストーリーも含めて景観として捉えるべきです」
たとえば工場景観も、その背後にある産業を知ること、産業を知るとさらに都市を知ることになる。そういう目で見ると、風車は堺の産業や歴史を知る上でも非常に優れた存在であることがわかります。
「当時は風車を使って農業をやっていたという地域の歴史、社会勉強にもなります。たとえば、スマホなんかは良く使っていても構造を知らずに使っていますが、風車はローテクだからわかりやすい。風の力でクルクル回るのは面白いし、教材にはもってこいじゃないですか。復元はそれほど難しいものではないし、また新しく作ってくれるところがあってもいいのではないかと思います」
岡田さんにそれだけ絶賛される堺の風車。
五箇荘東小学校で取り壊されてしまったのはつくづく残念なことですが、2000年代に入っても新造されたように、更に新しい風車を普及させていってもいいのではないか。その機能が使命を終えてなお、愛されている風車には、それだけの教育的価値、そしてビジュアル的な価値が風車にはあるように思えます。