進化する陶工 阪本健さんに聞く『定番のうつわ展』(1)

阪本健
堺市中区に窯を開いている陶芸家阪本健さんは、昨年ちょっと珍しい体験をしました。
それは映画出演、それも手だけの映画出演です。
副業で手タレをしているとかではなくて、それはこんな経緯でした。
映画『嘘八百』は、2018年に公開された堺を舞台に「幻の利久の茶器」を巡る騒動を描いた映画です。その中で、陶芸家役の俳優佐々木蔵ノ介さんが作陶するシーンで、手の代役を務めることになったのが阪本さんだったのです。だったのですが……。
「やっぱり役者さんってえらいもんですね。一通り代役をするつもりでいたのですが、佐々木さんは(土をこねる)菊もみを覚えてこられたのです」
高台
▲『嘘八百』では手の吹き替えも担当。※本当は焼く前にくり抜く作業を行います。
結局、阪本さんが手の代役を務めたのは、器を作る上で一番難しいシーンだけでした。
「最後に(器の裏の)高台をカンナでくり抜くシーンがあるのですが、これは難しくてそこだけ吹き替えをしました」
そんなわけで、『嘘八百』をこれから観るという方は、佐々木蔵ノ介さんの作陶シーンに注目です。2人の手の違いは……?
「佐々木さんの手は、かなりがっしりした手で、僕の手よりも大きいです」
心もち手が小さくなったら、阪本さんの手ってことですね。
さて、この阪本さんですが、もともと堺市出身ではありません。堺市に転居されたのは10年ほど前のこと。今職場としている辰巳窯は、中区の町中の緑の庭園にあるログハウスを利用した作業場という不思議な空間です。
その阪本さんが、2018年9月に自身が企画する2度目のグループ展『定番のうつわ展』を中区の「ぎゃらりいホンダ」で開催されるということで、インタビューをする機会を得ました。
一体どんな経緯で、堺に来て、しかもこんな不思議な場所で窯を開くことになったのでしょうか?
■何もやったことがないのに陶芸家の弟子に
阪本健さん
▲陶芸家の阪本健さん。
阪本さんは、寝屋川市出身。父は画家として活躍する阪本修次さん。
画家の息子が、陶芸家になったというのは、父子相克のような何かドラマチックな出来事でもあったのかとお思いきや、
「画家になりたいとは思ってなかったのですが、自分が勤めて働くようなイメージもなかったんです」
陶芸家への道が開かれたのは引越しがきっかけでした。
「生まれは寝屋川だったのですが、突然家族ごとの引っ越しで兵庫県の篠山市へ引越しすることになったのです。今でこそ少し開けてきましたけれど、当時はコンビニに行くにも往復1時間はかかるところで、こんなところで10代を過ごすのかと思いました」
10代の少年にとっては不便な田舎町でしかない篠山市ですが、陶芸の世界では六古窯の1つ丹波焼で知らぬものとていない陶芸の都だったのです。
父の絵
▲父で画家の阪本修次さんの作品が、辰巳窯を見守っている。
将来の夢もなく、かといって就職もリアルに考えられなかった阪本さんは、父親から近所の陶芸家への弟子入りを勧められます。
「親に勧められて言われるがままに弟子入りをしました。当時は景気も良かったので、弟子を取ってもらえる体制でした。景気が悪くなった今なら、難しかったでしょうね。ただ当時も今も、僕のように焼き物についてまったく何も知らない人間が入ってくることは珍しかった」
陶芸家に弟子入りするような人間は、大抵親が陶芸家だったり、学校で陶芸を学んでいたりとそれなりの経験者ばかりだったそうです。
乾燥
「僕はバンドブームの中バンドをしたりチャラチャラしていました。土を触っても、土が乾いているのか乾いていないのかもわからない状態。何も出来ない弟子で、師匠は大変だったと思います。僕自身も、こんなに出来ないものかと不甲斐なさを感じて、気持ちは厳しかったですね」
では、主体性も経験もない状態で陶芸の世界に入って、どうやって阪本さんはモチベーションを保つことができたのでしょうか。
「家から近かったからなんとか窯元に通えたのだと思います。弟子なので師匠から褒められることはまずなかった。面白さも何も分からないことだらけ。失敗しないよう、失敗しないようにと思いながら、ツボを全部落としてしまったり。でも、田舎の土地柄で、誰の息子が誰の所の弟子になってとみんな知っているんです。陶芸は好きではなかったけれど、辞めるわけにはいかなかった。とりあえず辞めないでおこう。今辞めたらもったいないとは思っていました。ただそれだけで全く将来のビジョンもなかった」
■独立へ
何も知らない素人で、辞めるに辞められない状態だった阪本さんですが、長年続けるうちに陶芸に楽しさを感じるようになってきたそうです。
「師匠は陶芸のことには厳しかったけれど、その他のことは優しかった。その時は怖かったけれど、今となってはこの人がいなかったら人生が変わっていたやろな、という先生でした。その師匠の下で修業を続けるうちに、ちょっとずつ楽しくなってきました。今でもそうなのですけれど、やっている限りはそうでしょうね。窯から出てくる時のワクワク感が一番楽しい」
乾燥
▲「黒化粧」「紅粉引」の技法を使った酒器。
やっと楽しくなってきた所ですが、阪本さんは壁にも突き当たります。
「師匠からは『弟子の間に自分の作品を作れ』と言われるんです。自分のカラーを持てるように、空いている時間に、職場のものを好きに使わせてもらって自分の作品を作ったり、展覧会を見にいったりしていました。でも、言われたからやっているだけ。自主性が全くなかった。何をやってもよくわからない。師匠のお父さんから、『10年はおれよ』と言われていたのですが、5年目の時に『長いな』と思いました。それで『来年独立したいです』と伝えて、自宅兼用の窯をたてたのです」
こうして出来たのが、今も窯の名前として使っている辰巳窯でした。
「辰巳というのは、窯を作った土地の名前です。丹波焼には800年の歴史があって、今は立杭という地域で盛んなので丹波立杭焼ともいいますが、立杭に移る前は辰巳にあったそうです」
丹波焼の原点のような場所で窯を開いた阪本さんですが、その後、堺へと窯を移すことになります。
辰巳窯の前
▲堺へ移転した辰巳窯の前で。
「丹波から離れるとなった時、堺へというか、大阪へ移転するとは考えてなかったのです。大阪で焼き物をしている人はいますが、土地は高いので引っ越して暮らしていくのは難しい。また、お客様も年配の方だと必ず『これは何焼きなの?』と聞いてきます。陶芸の世界では地域名の入った何々焼がブランド名なんですね」
丹波焼というブランド名を捨ててまで、土地も高い大阪へ出てきたのは一体何故なのでしょうか?
「それも人の縁というしかないですね」
阪本さんを助けた「人の縁」とは一体どんなものだったのか、続きは後篇で。
辰巳窯
住所:堺市中区深井中町897-1
定番のうつわ展
日時:2018年9月6日(木)~15日(土) 11:00~18:00(最終日16:00)
会場:ぎゃらりいホンダ(堺市中区深井沢町3134)
アクセス:泉北高速鉄道「深井」駅より徒歩5分
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