インタビュー

小松清生 大和川市民ネットワーク事務局長(前篇)

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profile
小松清生 
 
泉大津市出身。 
1972年~堺市立五箇荘・五箇荘東・新浅香山・向丘・錦小教諭・退職後東浅香山小に勤務。  
1996年 「大和川かるた」制作 
1997年~2000年 大和川河川環境保全モニター 「わたしたちの大和川」編集委員  
2004年~2012年 大和川流域委員会委員  
2008年~大和川市民ネットワーク事務局長  
2011年 「歴史たんけん堺」を発行  
2016年 大和川市民ネットワークが「わたしたちの大和川2016 web版」発表
 
 
文化や歴史を知る現場で、まちづくりの現場で、そして子どもたちと接する現場でよく見かける女性の姿があります。彼女は小松清生(すがお)さん。長らく堺市内の小学校で教員をつとめ、「先生」の範疇にはとうてい収まらない広範囲な活動を退職後も活発に続けています。 
「つーる・ど・堺」にもたびたび登場していただいているのですが、今回は活動の中核ともいえる「大和川」にまつわる活動を軸に、小松さんそのものにスポットをあててみました。 
 
 
■「大和川かるた」を出版 
小松清生さんは、1972年に堺市立五箇荘小学校で教員となります。  
ここで郷土学習の魅力に気づいた小松さんは、分離校・五箇荘東に転勤して後「堺かるた」に影響されて、地元五箇荘に焦点をあてた「五箇荘歴史かるた」を制作します。小松さんと大和川の縁は、「五箇荘歴史かるた」で「大和川の付け替え助けて浅香の稲荷」「田や畑の水路を泳いだ鮎どじょう」「洪水を防ぐ常磐の捷水路(しょうすいろ)」などの札を書いたことからのようです。 
1979年度五箇荘東小学校の4年生と大和川のつけかえを学び、そのロマンに魅せられたことが始まりです。3月終業式の午後、担任全員と児童の半数以上が参加し、柏原の大和川付け替え地点まで「自主遠足」したのがうれしい想い出だそうです。 
 
現在の堺市と大阪市を隔てる大和川は、実は人工の川です。約300年前に行われた大和川の付け替え工事によって、奈良盆地から下り途中で大きく曲がって北上し淀川に注ぎ込んでいた流れを、堺の海に向かうよう方向転換して直進させたのです。
この大工事はわずか7カ月強しかかかっていません。決して楽な工事ではないのにもかかわらずです。なんといっても、大和川を直進させると上町台地にぶつかってしまいます。台地を避けるコースをとってもいいようなものですが、そうは出来ませんでした。 
その後、1988年に大和川が目の前にある新浅香小学校に異動し、4年生を担任します。  
イメージ「当時は大和川は汚くて、川遊びは危険とされていました。そんな中、川に悪さをしにいくような子どもたちの話を聞いてあげる教員は珍しい存在だったと思います」 
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▲2016年10月 五箇荘小学校4年生の授業で子どもたちの考えを聞く小松さん。
 児童には近しい先生だったのでしょう。そんな小松さんは、堺市初等教育研究会社会科部会の研究授業を依頼され、大和川の付け替えについての授業に真剣に取り組むことになります。 授業案を話し合う中で、「1887年(明治20)年の地図がよくわかる、立体地図にしてみたら」という意見をもらって実行。提案授業では、子どもたちの発見や愉快な発表が続きました。 
「台地を避けるために北寄りのコースをとれなかった理由も見えてきます。北に進むと人口密集地の住吉にぶつかってしまいます。『住吉さんがあるんやったらあかんな』と子ども自身が気づきました」 「依網池(よさみいけ)を通り、上町台地の中でも比較的低くなっている浅香山の谷(狭間川)につないでいる。だから、浅香で大きく曲がっていると気づいていった」そうです。 
こうして小学校の近くを大和川が通ることになった。そんな事実に、子どもたちは大和川を身近に感じることになったことでしょう。
 
 
1995年度の4年生は3年生からの持ち上がりで、昔のくらしの学習で「五箇荘歴史かるた」に親しみ、まちを探訪しました。大和川学習に役立ち、大和川再生を呼びかける「大和川かるた」を作りたいと考えていた小松さんは、秋の大和川学習の中で、江戸時代に付け替え運動を推進した中甚兵衛の10代目中九兵衛さんにお会いすることができました。高校の恩師川本美智代さんの紹介で、大和川を深く研究されていた彼谷利彬先生と出会い、中さんを紹介していただいたのでした。 
中さんの授業は子ども達や教師たちに強い印象を与えました。彼谷さんと中さんは「大和川かるた」の発行を喜ばれて全面協力され、小松さんの認識不足やまちがいを正されました。お二人との出会いが無ければ、「大和川かるた」が世に出ることは無かったと言えそうです。 
小松さんは保護者の了解を得て、かるたの絵を子どもたちに描いてもらいました。「授業で取り組んだのですが、やっぱり子どもたちの個性が出るんです。名前が『か』ではじまる子は『亀の瀬の岩にぶつかる水しぶき』の札を担当し、魚釣りが好きな子が皆からおされて『チヌ スズキ 川が育む海の幸』を担当したり、勉強好きの子が『新田の開発請負い商人ら』の札を選んだりという具合でした。  
授業で使ったのは1時間だけで、印刷屋さんのアドバイスもあって色塗りは小松さんが担当しました。 「ばらばらで塗ると濃度が薄くてうまく印刷できなかったりするんです」  
1996年3月、「大和川かるた」を出版。 小松さんの人生が大きく転換することになります。 
  
■河川モニターとして広域の活動を開始 
小松さんの出版された「大和川かるた」は注目され、河川関係者にも評価されることとなりました。そして、ある依頼が舞い込みます。  
「1997年に河川法が変わり、河川の管理に市民参加が求められるようになりました。『大和川かるた』が認められたこともあって、私は建設省一級河川大和川河川環境保全モニターになれたんです」  
この河川モニターは、一級河川一本につき一人配置されました。   
「河川モニターになれたことは本当に良かったですね。4年間務めて他所の情報も入ってくるようになりました。年に1回見学や学習会があり、いろいろな資料がもらえました」   
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▲2016年9月には国土交通省大和川河川事務所の「亀の瀬地すべり資料館」等で、「亀の瀬トンネル見学会」を行いました。   
翌年、大きな事業が提案され、その事業に小松さんも携わることになりました。建設省(後の国土交通省)の事業で、大和川をテーマに小学校4年生以上の総合的な学習に使える副読本を制作するというものです。  
後に「わたしたちの大和川」研究会と名前が決まりました。1999年に完成した副読本「わたしたちの大和川」は、小学生向けにイラストや図がふんだんに使われ平易な文章ながら、地理・歴史・文化・環境・生態系など多角的に一本の川を取り上げた、類のない一冊となったのです。 
 
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▲「わたしたちの大和川」初版の表紙。
 
この間、大和川を巡る環境も次第に変化してきました。  
小松さんが教員になった頃の大和川は水質汚染ワースト1となった、汚れた川でした。  
「戦前や戦後すぐの頃は、子どもたちが川遊びを楽しみ魚をとる美しい川でした。それが、高度成長期の乱開発で、山や森が保全されなくなった。住宅地が急増しても下水道が整備されない。コンクリート3面張りと呼ばれるような川の改修で、汚れたままの水が流れる。大和川の長さも68キロと、一級河川にしては短くて、浄化能力は決して高くない。そんな状況が重なって、ワースト1の川に変貌しました」  
しかし、きれいな大和川を願う官民の努力が続きます。下水道整備がすすみ、市民による清掃活動やマナー向上もあって、大和川の水質は劇的に改善されました。  
大和川のクリーンキャンペーンなどの啓もう活動も行われました。コンクールでは、子どもたちの絵や作文が募集されたのですが、回を重ねるうちに変化が起きているそうです。  
「昔の絵は、川の汚さや捨てられたゴミを描くものが多かったのですが、しだいに美しい川を描いてアピールする絵が増えてきたんです」  
今の大和川には鮎が遡上し、子どもたちが川遊びをすることも出来ます。 
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▲大和川水辺の楽校での活動で川遊び。
 しかし、小松さんには、まだ大きな夢があります。  
「利よりも害 港つぶした大和川」と、「堺かるた」でも詠まれたように、付け替えられた大和川によって堺の繁栄が奪われたという「大和川悪者説」の修正です。   
その状況が変化する兆しがみられます。  
「2004年。それは堺の大和川にとって変化の年だったと思います」 

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▲川での遊びってどんなことをしてたんですか? 「エビや魚がなんぼでもとれた。川原の砂をほって湧いてくる水を飲んだ。おもしろかったなあ(笑) 常磐町92才 津山孝三郎さん(左) ▲「大和川河口は貝が湧く海やった。今も大和川は捨てたもんやないで。こんなタコが獲れるのも大和川のおかげ。子どもらの元気な活動が希望や。」ウナギ獲りの名人・漁師歴70年。大和川クラブの活動を応援してくださる出島漁港の高田利夫さん 80才(右)
大和川市民ネットワーク
(後篇へ続く)

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