香港文化を知りたければ「団地」を知れ……と香港市民Z氏の案内で郊外にある沙田地区の団地を巡った前回(
香港お宅訪問)。今回は、伝統芸術から現代アートまで、一般的な意味でのいわゆる「香港文化」について迫ります。
■香港文化博物館へ~香港文化は港文化
「中国ではこう言うんです。唐代のものを見たければ日本へゆけ。清明代のものをみたければ韓国へゆけ。中華民国時代のものは台湾へ。では香港は……」
Z氏が言うように、アジアの周辺諸国は長い歴史ある中国文化の影響を受けています。本家本元が過去のものとして忘れ去ったり、薄れてしまった後も、周辺にはタイムカプセルのように残ったのかもしれません。では、中国文化はどのように香港に残っているのかを知りに行きましょう。
まず足を運んだのは、沙田の香港文化博物館でした。
「ラッキーだね。今日は無料で入ることが出来るよ。開催中の特別展は政府が力をいれていて、そういう展覧会がある時は無料になるんだ」
特別展ほど高くなりがちな日本の博物館や美術館とは逆の発想に驚かされます。ついでに筆者のような外国人でも無料になるのも驚きです。
特別展は「清朝皇帝の婚礼衣装展」だったのですが、これは丁度展示品の入れ替え日で残念ながら非公開でした。企画展としては「ブルース・リー展」が開催中。
言わずと知れたブルース・リーですが、父親は広東演劇の役者でブルース・リーは父のサンフランシスコ巡業中に出生します。企画展では香港に帰国して育った幼少期から、ブルース・リーの人生を丹念にたどるような展示がされていました。カンフー映画の大スターというだけでなく、武術家そして思想家としても知られるブルース・リーを多角的に、もっといえば全面的に伝えようという意図があるように思いました。
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▲ブルース・リー展「武・藝・人生」。 |
いくつかある常設展では、このブルース・リーの父もそうだったという広東演劇のコーナーも充実していました。寺院の境内などに組み上げる仮設の芝居小屋の原寸展示もあるのですが、それはまるで日本の田舎芝居のようでもあるし、竹で組み上げられる作りは、今なお香港の近代高層建築現場で活躍する竹で足場を作る文化の起源を思わせます。
「広東演劇は、北京や上海、中国中の演劇の要素を取り入れて発展していったんだ」
とZ氏。そうした広東演劇の雑食性は、独自のものなのでしょうか?
「香港は港だから。船で多くの文化の影響を受けたのです」
南船北馬というように、中国大陸南部は川が網の目のように張り巡らされており、船が一般的な移動手段です。展示によると、広東劇団は紅船という船に100人にもなる一座が居住しつつ移動して、行く先々の港町で公演したというのです。こうした機動性の高い劇団だから、広い中国大陸各地の演劇文化と接触し、貪欲に吸収して発展したのでしょう。
漂白の芸能の民、加えて船の民であった広東劇団にとって、国境を越えること、新しいものを取り入れることはたやすいこと、もっといえば本能だったのかもしれません。
それはブルース・リーがそうであったように、海外へと活躍の場を広げ、「電影」といわれた映画の世界も取り込んでいったのです。香港映画の起源は、ずっとずっと古くからあったのではないでしょうか。
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▲広東演劇の芝居小屋は、こんなど派手なデコレーション。 |
この博物館はなかなか巨大で、特別展や企画展以外にも常設展や企画展がありました。
常設展は、大金持ちのコレクションが死後遺品として寄贈されたもの。名誉を重んじる香港人は、文化や教育に貢献することにステイタスを感じるのだそうです。
また、企画展として現代の若いデザイナーによるファッション展が開催されていました。これは伝統工芸を現代ファッションに取り入れるというテーマで、意欲的な作品がいくつも展示されていました。奇をてらいすぎで、伝統と前衛の融合が馴染んでいない印象もありましたが、このちぐはぐさも気にせず貪欲に飲み込んでいくパワーこそが香港的といえるかもしれません。
■まちのアート、ストリートの表現者
一方で、博物館には収められていない現在進行形の文化とはどこで出会えるのでしょうか。日本のアート雑誌の香港特集を手掛かりに、街中のアートギャラリーを捜してみました。すると、中心街にほど近いメインストリートに面した細長いペンシルビルを発見しました。
14階立ての最上階にはギャラリーカフェがありました。このスペースのキュレーターであり自身もアーティストであるスージーさんにお話を聞くことができました。
「このビルは上から下まで、ギャラリーやアーティストのアトリエになっています。いくつかのアトリエは見学も可能です。このギャラリーではアーティストの作品を買うこともできますし、時々イベントや勉強会を開催しています。セルフサービスでドリンクのサービスもあります。料金はドネーション(カンパ)制になっています」
カフェスペースでは初老の男性がモバイルPCで何か作業をしていました。こうした古いビルや空き倉庫をアートスペースとして使う動きがあるのだそうです。
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▲雨傘革命でメインストリートを占拠した様子を描いたアートブック。香港で出会った若者たちの多くは、この占拠に参加していました。 |
おすすめの作品として見せてもらったのは、蛇腹で2mほどの長さに一枚の絵を広げることができるようになっている本でした。
その絵は、お世辞にも上手とはいえないものですが、不思議な迫力がありました。描いているのは路上にあふれ出ている人々の様子です。
「これは雨傘革命の様子を描いたもので、絵を描いたのは雨傘革命で通りを占拠(オキュパイ)した参加者の1人でアーティストではありません。アーティストが助けて一冊の本にしたのです」
2014年に起きた雨傘革命は日本でもメディアを賑わしました。
これは香港特別行政区長官を決める選挙が、普通選挙でなく中央政府の意向を反映し事実上親中派しか立候補できないことに抗議して若者たちが官庁街のメインストリートを79日間にわたって占拠したものです。参加者の多くは30代以下、20代の学生たちでした。雨傘は、警官隊が使用する催涙ガスに対抗する防具として傘を使ったことから、抵抗のシンボルとなったのです。
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▲香港のレインボーパレード。スタッフが言うように、この数日前大阪でも多様性を訴える「ミナミダイバーシティフェスティバル」が開催されており、マイノリティのフェスティバルやパレードは世界中で行われています。 |
他のアートスペースやギャラリーなども覗いてから外に出ると、小雨降る中、突然派手なパレードが行われていました。どこまでも続くような長い列で、多くの人が虹色の傘やコスチュームを身に着けていました。ドラァグクイーンや同性同士で手をつないでいる人たちもいます。国際都市らしく人種も様々な笑顔のパレードで、沿道にいる人たちも自然なものとしてパレードを受け止めているようでした。
これはレインボーパレードのようです。虹色はLGBTといわれる性的マイノリティを表す多様性のシンボルなのです。急きょ追いかけて、スタッフらしき人に話を聞いてみました。偶然にも日本語を勉強中の学生さんで、日本語で答えてくれました。
「これはレインボーパレードです。リーガルライツ(法的な権利)をもとめてのデモなんです。たとえば同性婚など、マイノリティの権利を求めています。このようなパレードは今では世界中で行われているんですよ。このパレードには大学生たちが多く参加していますが、参加しているのは大学生ばかりではありません」
通り過ぎていくパレードの参加者は、多くが20代の若者たちです。手に持つ旗やバナー(幕)から見ると、大学ごとに数十人から100人以上の集団を組んでいるようです。
「アイムバイ! アイムゲイ! アイムレズビアン! アイムトランスジェンダー!」
とコールしていますが、 LGBT当事者だけでなく、いわゆるアライ(支援者)も共に歩いているパレードのようでした。インタビューに応じてくれたスタッフにお礼を述べると、挨拶もそこそこに慌てて走り出していきました。パレードの先は、かつて雨傘革命で占拠した官庁街のようでした。
次回は、そんなアクティブな香港の若者たちが通う大学を覗いてみます。