香港お宅訪問 ”みんな団地で育った”

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海を越えて香港に行ってきました。
香港も、堺と同じく港町として発展した都市です。港町ならではの、見知らぬものを歓迎する開放的な文化の香りが漂っていました。
今回は、香港で知り合った香港人のZ氏から、「香港文化の根底を知りたければ、public housing(公屋)の文化をしらなくちゃいけないよ。香港人の8割はpublic housingの影響を受けているんだから」と強く勧められ、公屋を案内してもらうことになりました。
公屋とは、日本でいえば公営団地のこと。堺でいえば、南区の泉北ニュータウンにも似た計画都市で、抱えている問題もなんだか似ています。これはレポートせねばなりますまい。
Z氏の案内で行く香港公屋訪問スタートです。
■みんな団地育ち
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▲沙田区を流れる城門川。対岸の公屋は、新しいタイプのようです。

香港の中心エリアから、鉄道を乗り継いで小一時間。案内されたのは、Z氏の生まれ育った沙田(Sha Tin)区と呼ばれるエリアです。沙田駅を降りると、空が広く緑と水の豊かな郊外のベッドタウンといった風情で、香港中心部の喧騒に満ちた都会の様子とはまるで対照的です。
「沙田の沙とは砂のことで、かつては砂だらけの田(日本でいう畑)が広がっていたんだ。もちろん今はそんなことはないけど」
その日は気持ちのいい晴れた日でしたので、少し寄り道をして沙田の中央を流れる城門川沿いの道を歩きました。この川は谷間を流れる様子が城門のようだったから、こう名付けられたのでしょう。下流に向けて両岸の平野部は急に広がり市街化しています。
「今はすごく綺麗だけど、以前は上流に工業地帯があって、川は汚染されものすごい悪臭だったんだ。10年ぐらい前から政府が川の浄化に力を入れて、工業地帯も移転させたので綺麗になったんだ」
Z氏の言うように、川岸も遊歩道が整備され、散歩やサイクリングを楽しめる市民憩いのスペースとなっていました。
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▲一階部分が商店街に。飲食、物販に学習塾などもありました。
では、そんな自然環境に囲まれた公屋は、どんなものなのでしょうか。建物群に近づくと、壁面に「○○邨」と書かれています。
「邨は村っていう意味で、いくつかの棟でひとつの邨になっているんだ。邨の形式は年代によって変化していて、40年前のものは一直線に棟が並んでいて、30年前のものは四角に囲むようになっているよ」
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▲「○○邨」の「××樓」は、日本風に言うと「○○団地」の「××棟」になるんでしょうね。
邨は、文字通り村のような一つの完結した生活空間になっていました。
中庭的なところにplayground(遊び場=公園)があって、若者がバスケットボールをしたり、お年寄りが将棋を指したりしています。各邨ごとに、小学校や中学校もあるようです。1階には小さな個人商店の連なる商店街があったり、邨によってはちょっとしたショッピングモールが付随していて、レジャーから教育、ショッピングも邨内でほとんど済ませてしまえそうです。
そればかりか、邨と邨の間も屋根付きの回廊でつながっているので、回廊を通っていけば、雨にぬれずに駅まで移動することだってできそうです。
堺の泉北エリアも歩車分離が進んでいて優れた都市設計だと感じますが、香港の公屋は更に機能性が徹底しているように思います。
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▲Z氏が卒業した中学校。校庭に取り囲まれた日本の学校とは印象が違いますね。
Z氏の通った中学校の前も通りました。
公立の学校ではなく、キリスト教系の学校とのことです。
「キリスト教系の学校のうち、半分は英国国教会系で残り半分はカソリック系かな」
イギリスの植民地だったことから、英国国教会は一般的なのですが、イエスズ会の宣教師フランシスコ・ザビエルの名前を冠した学校もあり、ほぼ拮抗しているようです。
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▲日の暮れたplaygroundの東屋で将棋を続けるお年寄りたち。
■シャッター商店街とショッピングモール
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▲古いタイプの公屋にあったショッピングモール。

学校からすぐ近くには日本でもお馴染みの建物に出くわしました。
イオンモールです。イオンのラッピングに包まれた建物に驚いていると、Z氏は別のことに驚いていました。
「マクドナルドが出来てる! 僕が中学生のころは無かったよ。ランチでマクドナルドを食べたい時は、15分もかけて歩いて買いに行ったのに」
香港の中学校はお昼休みに外出してもいいんですね。それもちょっと驚きです。
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▲イオンが進出していました。セブンイレブンもよく目につきましたね。
香港の公屋も、泉北ニュータウンと同じように、建造から40年、30年という時間がたち、建物自体の老朽化と住人の高齢化が問題となってきています。
公屋1階の商店街の店舗も空き店舗が増え、シャッター商店街のようになっている所も少なくないそうです。
「この辺りは、駅や区役所も近くて人気だから大丈夫だけど、空き家と老朽化が問題になっているところもあるよ」
駅周辺の一等地では、日本でいえばタワーマンションのような雰囲気の最新型の公屋が建ち、商店街の代わりにイオンのようなショッピングモールが出来ているのでした。
■消えゆくもの、生まれるもの
随分歩いて日も暮れて、お腹もすいてきました。
Z氏が案内してくれたのは、「大排檔(tai pai don)」と呼ばれる屋外食堂でした。日本だとひなびた観光地なんかにありそうな、ラフな雰囲気の大衆食堂です。
すでに人でごった返していましたが、奥の方にテーブルを見つけて席をキープしました。
注文したのは、香港では一般的な車仔麺という麺料理。車仔というのは、手押し車のことです。昔は手押し車に、麺・具・スープを積んで売って歩いたのだとか。麺・具・スープの種類は沢山あって、お好みの組み合わせをチョイスして注文するスタイルは昔も今も変わりません。
どうせなら日本にはない珍しいものをと、豚の血の煮凝りや魚の皮のフライなどを選んでみました。
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▲大排檔は人気で大混雑。
「僕の家の近くの大排檔は最近閉鎖してしまったんだ」
と残念そうなZ氏。
そこで、本日の感想としてこんなことを聞いてみました。
……イオンなどのショッピングモールが出来て、昔ながらの商店街や大排檔が無くなっていけば、香港の公屋文化も消えていき、アイデンティティの危機になるんじゃないの?
「それについては2つの意見がある。昔ながらのものを無くしたくないという意見と、一方で変わり続けることこそ香港文化だという意見。僕は最終的には変わってもいいと思う」
愛着を持って公屋文化を案内してくれただけに、Z氏の意見は意外にも思えました。
「僕もこの大排檔は残って欲しいと思っているよ。今、意見は丁度半々ぐらいなんだろうけど、若い世代は巨大ショッピングモールが香港文化だって言うだろうね。20年後は僕は50歳になって、その頃にはすっかりそうなっているだろうね」
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▲Z氏と一緒に食べる車仔麺。日本のテレビドラマが好きで、日本のバンド「アジアンカンフージェネレーション」の熱烈なファンで、台湾公演にもいったとか。「抽選でサインがもらえて、最高に幸せだった」とのこと。
この日見た公屋文化にしても、40年ほど前に生まれた文化です。それが時代とともに、変化していった変遷も知ることが出来ました。同じように、これからも変わっていくのでしょう。
国際的な港町の香港には、絶えず見知らぬものがやってきます。それを受け入れることで香港は発展してきました。その姿には、朝鮮半島や大陸、南蛮や近代西洋の見知らぬものを受け入れてきた堺の姿が重なりました。
変わっていくことこそが香港文化。香港のパワフルさの根源は、ここにあったといえるようです。

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