狐の啼く森1 「能勢・信田の森」

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今回の取材は勘違いから始まりました。 
「行基のまち」を訪ねる目的で、行基開山の能勢妙見山で開催された「山の日フェスタ」で天然記念物のブナ林を案内してくださった「ブナ守の会」副会長の信田修次さんにお礼のご挨拶をした所、 不思議な話をしてくださったのです。
「私の家系は堺から引っ越してきたんですよ。今でも、あの安倍晴明の父親である安倍保名の墓守りをしているのですが、今度お墓があるシノダの森を案内しましょうか」 
平安時代の陰陽師・安倍晴明といえば、古典をはじめ映画や漫画・ゲームにも登場するビッグネーム。堺市のお隣の和泉市にある「信太の森」の出生伝説も有名です。 
この時、筆者はすっかり保名のお墓があるのは和泉市の「信太の森」だと思い込んでいました。 
 
しかし、事実は違いました。後日、改めて連絡を取る時になってやっと気付いたのです。信田さんのおっしゃる「シノダの森」とは、妙見山の足元、能勢町田尻にある「信田の森」だったのです。 
なぜ北摂に「信田の森」と安倍保名のお墓があるのか。それはなんとも興味を惹かれる秘密がありそうではありませんか。 
その秘密を探りに北摂「信田の森」と泉州「信太の森」を巡る旅に出かけることになりました。 
 
 
■「信田の森」の伝説 
堺から信田の森へ。 
大和川を越えて、建物のぎっしりつまった大阪市を通り抜けると、大阪平野の彼方にあった山並みが近づいてきます。阪急宝塚線から能勢電鉄を乗り継ぎ、青々とした北摂の山襞へと分け入ります。 
信田さんと落ち合ったのは、休日となれば山歩きファンで賑わう「妙見口」駅。 
「お久しぶりです。小さい車ですいませんが、どうぞ」 
信田さんのきびきびとした運転で谷間を行くと、車窓の向こうには、9月の緑深い山並みが見えます。谷底の川の両岸には、すでに黄金色に染まる田んぼが広がっていました。 
地元で生まれ育った信田さんが、「日本一の里山」と誇る風景です。 
「能勢の田尻地区に信田という家は三軒あって、安倍保名の墓守りを務めてきました」 
信田さんは、その一軒の家系です。 
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▲日本一の里山・能勢。広い谷間は貴重な耕作地だったのでしょう。
 
やすなはん、と親しみを込めて呼ばれる、安倍保名。 
人形浄瑠璃や歌舞伎などでも有名なお芝居の筋によれば、安倍保名は泉州信太の森で罠にかかった白狐を助けます。その狐が妻となる葛の葉で、生まれた子どもが安倍晴明です。 
「葛の葉を助けた時に受けた怪我を治しに能勢の霊泉に湯治に来て、そのままここが終焉の地となったと伝わっています」 
 
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▲何気ない道路の脇にある「信田の森」の入り口。
妙見山のすそ野をぐるりとまわり、しばらく走ると車は信田の森のとば口にたどり着きました。車を止め、信田さんの先導で道路脇の目立たない坂道に分け入ります。 
「この森は自然林ではなく、放置林になります」 
ここは人の手が入った場所がいつしか自生した木々で覆われて出来た林なのです。
急な坂道を少し登ると巨大なクヌギの木があり、それをくぐると境内になっていました。 
「いつ頃からか、このクヌギの木の根っこをなぜると運がつく、受験にご利益があると言われるようになりました」 
 
人気のない境内には正面に小さなお社が、左手に石碑と宝篋印塔がありました。 
これが安倍保名のお墓です。刻んである碑文を見ると、没年は応和2年(962年)。72才で亡くなったとのことです。 
 
 
■墓を守るもの 
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▲南北朝時代の宝篋印塔のある安倍保名のお墓。

安倍晴明は伝説に彩られた人物ですが、実在した歴史上の人物です。 
その父や家系については諸説ありますが、保名は物語上の人物と見なされることが多いようです。しかし、ここにお墓があり、代々続く墓守の子孫である信田さんが目の前にいるのは、なんとも不思議なことです。 
記録によれば、この森に能勢頼通によって稲荷社が勧進されたのは1574年で、本能寺の変以後の動乱で能勢氏がこの地を失う以前のことのようです。宝篋印塔は、それよりも200年以上は遡って室町時代初期のものとされています。 
一体どんな経緯があって、信田家は堺から能勢に移り住み墓守りをするようになったのかは、信田家にも伝わっていないそうです。ひょっとすると能勢氏よりも古くからこの地に根を下ろしていたのかもしれません。ロマンチックな空想をすれば、湯治に来た保名についてきた泉州信太の一族が、主の死後、ここを故郷にちなんで信田と名付けて住んだ……そんな想像も浮かびます。 
 
過去から続く信田の森の神事としては、22日が祭事の日とされています。 
「8月22日と12月22日には、社殿にお参りをして、お経を唱え、中央でかがり火をたきます。お供えと同時に、ご馳走がふるまわれ、お酒を飲みます。昔は、夜店まで出たんですよ」 
この祭事は信田家が担当して今でも行われています。 
 
信田さんは、先祖の暮らしぶりについてはつつましいものだったろうと言います。 
「それこそ、平家の落ち武者のように、ひっそりと隠れ住んでいたんじゃないでしょうかね」 
能勢の中心地で城下町だった地黄(じおう)から信田の森がある田尻は離れており、山深いエリアでした。そこで息をひそめるように数百年、あるいは1000年も信田家はお墓を守っていました。 
 
 
■霊泉と日本一の里山 

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▲保名が葛の葉と傷を癒した霊泉はこのあたりから湧き出ていたとか。
信田の森と道路を挟んである河原には、まさに霊泉の湧き出た跡があります。ここで保名が葛の葉と共に傷を癒したという霊泉です。伝説と現実の狭間にいるのは、やはり不思議な感覚です。 
「ここに来る途中に温泉宿があったでしょう。有名な宿なんです」 
この里山に霊泉と言われる温泉が湧き出るのは、多田銅銀山があるからでしょう。 
行基が能勢の地を開いたのは、多田銅銀山の銅を奈良の大仏のために使うためだと言われています。これも行基さんが繋いだ縁といえるでしょうか。 
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▲兵庫県唯一の炭焼き師・川西市の今西さんの作った菊炭。
 
信田の森を後にして里山を信田さんの案内で、能勢の歴史が刻まれた旧跡を巡りました。 
能勢町を含めたこの一帯は「日本一の里山」を謳っています。 
信田さんは、このキャッチフレーズには根拠があると言います。 
「日本一の里山というのは、4つのポイントからです。それは歴史・文化・景観・生物多様性の4つです。歴史というのは、多田銀銅山や炭焼きの山として続いてきた歴史です。文化とは、炭焼きによる茶道文化への貢献。その炭焼きが今も行われているから森が手入れされ、里山の景観が保たれ、里山ならではの希少な動植物が存在する生物多様性もあるのです」 
能勢には小谷義隆さん、川西には今西さんと、現役の炭焼き師が山と里、そして炭と茶道でまちを繋いでいる。だから、ここは日本一の里山といえるのです。 
 
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▲国の指定天然記念物である「野間の大けやき」。樹齢1000年以上。こちらも古い歴史のある蟻無神社のご神体でした。
野間の大けやき、能勢氏の菩提寺である清普寺を巡り、能勢妙見山の本院である関西身延真如寺では能勢の歴史を教えていただいた植田観肇副住職にご挨拶。そして、能勢氏の居城である地黄の陣屋跡にたどり着きました。 
地黄城の陣屋跡は、昨年まで中学校がありました。かつては信田さんも、田尻からここまで遠い道を通ったそうです。子どもたちが学び遊んだ学舎も校庭も今は人影もありません。 
地黄城の目の前を通る道は能勢街道で、銅や炭が池田に向かって運ばれ、軍勢も行き来した歴史の道です。 
 
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▲石垣だけが残る地黄の陣屋跡。昨年までは地元の中学生たちの声が響いていたのでしょう。
行基の築いた土台に、能勢氏が開発し、妙見山の信仰と共に長い歴史が続いていました。 
その一頁に安倍保名の伝説もあるのですが、本当にただの伝説なのでしょうか? 信田の森や墓石にお社があり、長年続く神事を守る一族もいる。とすれば、どこかに伝説と史実の接点があるはず。 
 
信田さんもご自身のルーツには興味を持っていたそうです。 
「私の若い頃にTV番組の『てなもんや三度笠』が流行って、主人公のあんかけの時次郎の決め台詞が『泉州は信太の生まれ、あんかけの時次郎』で、泉州の信太は先祖がいた土地だなと思っていました」 
信田さんは泉州信太の森にある聖神社にも足を運んだものの、手がかりはなかったそうです。 
 
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▲信田さんと、能勢妙見山副住職の植田観肇さん。
こうして取材を終え、「妙見口」駅まで信田さんに送り届けてもらいました。 
「能勢はとても1日では回れませんから今回は触りだけです。ご自身で何を見たいのか決めて、もう一度来られるといいと思いますよ」 
その言葉通り、この谷間には何重にも積もった歴史の層があり、他では失われた里山の景観がそれを守り続けていました。一体、この能勢に生きつづけた信田の森と、和泉の信太の森にどんな関係があるのでしょうか。 
 
和泉市に何か手がかりはないものか。筆者は堺に帰ってリサーチをしてみました。すると、まさに信太の森にある「信太の森ふるさと館」では、特別企画展「陰陽道の世界」をやっているというではありませんか。 
北摂の「信田の森」から、今度は泉州の「信太の森」へと足を運ぶことにしました。 
中篇後篇へつづく)
 
 

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