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千年の神事 こおどりのルーツを訪ねて 1

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堺の舞踊として良く知られるものに「雀踊り」と「こおどり」があります。似た語感からか、混同されることもありますが、戦国武将・伊達政宗に呼ばれた堺の石工が、築城祝いに仙台で踊った踊りにルーツを持つ「雀踊り」に対して、「こおどり」は堺市南区の櫻井神社に奉納される神事です。両者は、人を喜ばせる祝いの踊りと、神に捧げる踊りというように、起源から大きく違うのです。 
雀踊りは、過去につーる・ど・堺で取り上げさせてもらいました。今回はじめてこおどりを取材しようと調査を開始した所、 
「こおどりを取材するなら、櫻井神社だけではなくて、鉢ヶ峯にもいかなければいけませんよ」 
と堺市文化財課より助言をいただきました。鉢ヶ峯寺地区では、夜も明けきらぬ早朝からこおどりの神事がはじまるというのです。 
そんなわけで祭の日の朝、暁光の中を、南区の上神谷(にわだに)の奥深くにある鉢ヶ峯へと向かいました。 
 
 
■こおどりの朝 
石津川の谷筋として穿たれた上神谷の上流にある鉢ヶ峯寺地区。こおどりは、この鉢ヶ峯寺地区で鎌倉時代あるいは室町時代初期から続く神事です。 
神事のお世話係は地区の人が持ち回りで担当し、当家(とや)さんと呼ばれます。その中でも本当家(ほんとや)さんのお宅には、すでに多くの人々が集まっていました。皆、こおどりのための衣装をすでに身に着けて準備万全。 
大広間で始まった出発式では、御神酒(子どもたちにはジュース)を手にし、縁起物として紅白かまぼこやごまめをつまみます。 
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▲本当家(ほんとや)・北野誠さん(右)の家で、出発式が行われました。
 
今年(2016年)に本当家を務める北野誠さんにお話を伺いました。 
「私が当家を務めるのは二回目で、前回は27か8才の時でした」 
北野さんは現在66才ですから、30~40年に一度のペースで当家は回ってくるのです。 
「神事も年につれてある程度は変化していきますが、基本は変わらぬよう台帳があって、それに基づいて『当家うつし』という引継ぎを行います。当家の役割は、朝の出発式の準備に、三か所の休憩所でお茶の準備をしたり、櫻井神社でのお昼の準備、終わってからの打ち上げの準備があります」 
25人の踊り手だけでなく関わる何十人もの人たちのためのお世話ですから、大変な労力になります。 
「大変ですが、名誉なことですし、当家をやってと頼まれれば断れませんよ」 
■練り歩きから國神社へ 
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▲こおどり一行が鉢ヶ峯寺地区を練り歩きます。
出発式を終えた7時過ぎ、本当家の大広間で太鼓と鐘が鳴らされると、ご神燈を掲げ持つ龕燈灯持(がんとうあかりもち) と音頭取りを先頭に、こおどりの一行が出発します。 
一行の中でなんといっても目を引くのが、赤と黒、2体の鬼神です。 
鬼神は、頭に髪を頂き、鬼の面をつけ、筒袖と股引きを着こんで、手には太鼓、背中には「かんこ」を背負っています。「かんこ」とは、竹籠に産衣を着せ、そこに竹ひごに色とりどりの切り紙を巻いた「ヒメコ」を何十本と挿したものです。このヒメコには神が宿るとされています。 
この鬼神を守るように背後に控えるのが、こちらも赤と黒の天狗です。天狗は「かんこ」は背負わず、太鼓の代わりに三尺ほどの棒を持っています。 
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▲ヒメコを無数に挿したカンコを背負った鬼神。
鬼神と天狗は中踊りを担当します。その後ろから、外踊りの新發知(しんぼち)・太鼓打・鐘打・扇振が続きます。 
総勢25名のこおどりの前後も、「鉢ヶ峯寺こおどり保存会」と「鉢栄会」のハッピを着たメンバーがいて、なかなかの大行列です。 
音頭取りが「おかげ節」を歌いながら、一行は集落の道を八の字を描くようにして練り歩きます。 
「伊勢は津で持つ よーいせーこーりゃせー 津は伊勢で持つよーいせーこーりゃせー」 
 
この「おかげ節」が聴こえてくると地区の人たちは、こおどりが近づいてきたとわかります。玄関先で一行を出迎えヒメコを受け取ると、ヒメコは魔除けとして玄関先に飾られます。 
かつては、このようではなく、鬼神が背負うヒメコを村の人が奪い合う形だったとか。鬼神は人々の災厄を引き受ける役割を持ち、天狗は鬼神の前さばき、先導役の役割です。 
  
ちなみに、現在外踊りの若者たちは、揃いのピンク色の手覆いをつけていますが、かつては付き合っていた女性から、身に着けていた襦袢に刺繍をして作った花柄の手覆いをしていたとか。ちょっとロマンチックな風習ですね。 
 
 
■奉納演舞 
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▲こおどりの一行が國神社を参拝します。
練り歩きの一行は、鉢ヶ峯寺地区の國神社にたどり着きます。 
明治43年に櫻井神社に合祀されるまでは、この國神社の神事としてこおどりは行われていたのです。一行は、國神社の境内に入って参拝してから、近くの駐車場で一休みし、最初の演舞を行います。 
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▲口元を隠して途切れずに歌う音頭取り。秘めた神事であることを感じさせます。

 
中踊りの鬼神と天狗が四角に並ぶと、その周囲を半円状に外踊りの面々が取り囲みます。  
龕燈灯持の足元には、音頭取りがしゃがみこんで歌うのですが、この時2人の音頭取りは編笠で口元を覆い、歌が途切れることのないように、2人の息継ぎをずらして歌うのだそうです。  
歌は道歌からはじまり、ついで新發知の口上、やかた踊り、また新發知の口上、あひき踊り、おかげ節と続きます。  
新發知は、三尺の長く赤い投頭巾をかむり、 右手に軍配を持ちます。新發知が口上をあげるときは、鬼神と天狗も四隅に蹲踞し、外踊りと中踊りの二重の結界の中で新發知は舞います。軍配の長い房が翻り、なかなかの見所です。 
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▲鬼神と天狗の中踊り。
 
國神社前での演舞は20分。 
その後、ふたたび「おかげ節」を歌いながら、櫻井神社を目指します。櫻井神社へは、休息や車移動を挟み、到着は10時ごろになります。 
 
この日、櫻井神社では秋季例大祭が行われており、境内も周囲も人でごったがえしています。丁度、上神谷地区の5台の地車の宮入りが行われています。華やかな雰囲気の中、とりとして鉢ヶ峯寺のこおどりが宮入します。 
 
昼食などを挟んでから、いよいよ演舞の始まりです。 
國神社前の演舞では、観客はもっぱら地域の人たちでしたが、櫻井神社ではこおどりを目当てに上神谷地区の人々や観光客も姿を見せています。大きなカメラを構えた人たちも囲む中、こおどりが始まります。 
 
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▲櫻井神社では、丁度上神谷の地車の宮入が行われていました。

 

 
 
櫻井神社の演舞を終えても、実はお役御免とはなりません。この後、一行は、依頼された店舗や施設、新築の家をまわり、練り歩き演舞を披露していくのです。 
 
 
その起源は数百年に遡るこおどりの、これが今日の姿です。 
しかし、この古い伝統はその歴史にも関わらず、長い空白の時期があり、消失の危機があったのです。後篇は、神事の中断と、復活の物語に迫ります。 
 
 
取材協力:堺市文化財課 

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