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世界最大級の杭が守る川 1

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大和川は奈良盆地の水を集めて、河内平野へと流れ込みます。その奈良と大阪の県境には、まるで人目には触れないのですが、現代の工業技術が駆使され世界最大級の対策工事によって、川の安全が守られているというのです。今回は、「大和川市民ネットワーク」が主催した「亀の瀬資料館とトンネル見学会」に参加させていただきました。
文字通り、ディープな地下の世界へ読者の皆様をご案内いたします!
 
 
■地すべりとの闘い  
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▲亀の瀬の地名の由来の一つとなった巨大な亀岩。大和川の川面にどっしりとした存在感を見せています。

「亀の瀬」は奈良と大阪の県境にあり、大和川の川面から突き出た巨大な亀のような巨岩がその名の由来の一つです。ここは北の生駒山系と南の金剛山系の出会う地点で、幾度も大きな地すべりによる被害を引き起こしてきました。この地で地すべりが起これば、道が土砂で埋まって不通になるだけではなく、川が堰き止められ町を浸水するなど、大きな被害をもたらします。 
 
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▲「亀の瀬地すべり資料館」の展示資料があり、地すべりの歴史と対策工事について丁寧に解説していただきました。
記録によると明治以降の地すべり被害は三回起きています。 
明治36年には、関西本線のトンネル東口が崩壊。堤防が決壊し、広大な田畑が水につかり20戸の家屋が流され崩壊し、特に王寺駅南方の被害が甚大でした。 
昭和6年から7年にかけて発生した地すべりでは、川床が9mも隆起し、関西本線の亀の瀬トンネルは崩壊。この時も王寺町で大規模な浸水被害が発生しています。 
戦後の昭和42年では、地面が26mも移動して川幅は1m狭まり、南岸の国道25号線は1m隆起しました。この影響は残っており、国道25号線は今でも1m隆起したままで、車で走ると違和感を感じるそうです。 
 
 
驚くことに、現代の感覚では信じられないのですが、昭和6年から7年の地すべり被害が新聞報道された後、復興工事を一目見ようと毎日1万人から2万人もの見物客が訪れたといいます。現場には土砂を滑り落とすシューターが設置され、受け取った土砂をトロッコによって奈良側に持ち出す作業が続けられていました。そこには見物人向けに飲食店や土産物の出店まで出て、地すべりを撮影した絵葉書が大人気だったとか。 
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▲昭和7年の地すべり復興工事の様子。
 
このお祭り騒ぎは、被害が甚大なわりには死者が出ない(出にくい)という地すべり被害だからこそといえるかもしれません。 
混同されがちなのですが、土砂崩れと地すべりは別物です。土砂崩れとは、30度以上の急こう配の傾斜地で起こるもので、限定的なエリアで突発的に発生します。突発的なために、逃げ遅れて巻き込まれ不幸な死者を生むことがあるのです。 
それに対して地すべりは30度以内の緩やかな傾斜地で、継続的で大規模に発生するものです。これは予兆を伴いゆっくりと進行するため、事前に逃げ出したりしておけばめったに人的被害が出ることがないのです。 
 
亀の瀬は地質や地形から、北の生駒山系の土砂が南に向けて動く地すべりが4万年以上前から引き続き起こっています。  
この4万年の地すべりに終止符を打つべく、最新技術を駆使した戦いが始まったのは、昭和35年のことでした。 
 
 
■地すべり防止の戦い 
昭和35年に調査をはじめ、以後50年に及ぶ長く続いた大規模な工事は、大きく2種類にわかれます。 
ひとつは、直接地面に杭を打ち込むなどして力づくで土砂の流出を抑える「抑止工」。そして地すべりを引き起こす原因を取り除いていき地すべりを起こりにくくする「抑制工」です。 
 
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▲下流から上流を撮影。左手(北)の生駒山系が右手(南)が金剛山系に向けて土砂が滑り、地すべりが起きていた。
世界最大規模の直径6.5m、長さ約100mの巨大な杭55本を含めて、大小あわせて170基も地面に打ち込んでいったのが、「抑止工」です。地面が動かないように、硬い岩盤のある奥深くまで長く打ち込み、約6000トンの力を受け止めるため、強く頑丈な杭を多数打ち込んだのです。 
過去、国道25号線や関西本線を利用された方は、亀の瀬付近で何年もの間も巨大なクレーンが多数稼働していたのを覚えているかもしれません。それはこの巨大な杭を打ち込む工事だったのです。なにしろ、杭のため地面に穴を掘るのに一本に2年から3年かかり、へしゃげないように太い鉄筋を巻ながらコンクリートを流し込んでいくのに1年はかかるのです。 
 
そして、「抑制工」として行われたのは、地すべりを引き起こす要因となる地下水を集め排水する、排水トンネルと集水井(しゅうすいせい)などの工事です。 
完成した杭は地下に埋め込んでいるので見ることは出来ませんが、排水トンネルの見学は可能です。
資料室で勉強した後は、いよいよ大規模な工事によって生まれた地下世界へ足を踏み入れます。 
 
 
■排水トンネルの中へ 
「亀の瀬地すべり資料館」から道路を挟んですぐに1号トンネルの入り口があります。 
入口には、見学者を迎える亀の瀬のシンボルとして亀のレリーフが刻まれていました。 
案内してくださったガイドによると、排水トンネルは7本あり、その延長は7.2kmになるそうです。 
「今日は、1kmある1号トンネルのうち、200mを歩いてもらいます」 
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▲愛嬌のある亀のレリーフが刻まれた1号トンネルの入り口。
 
トンネルに入ると、中の温度は少しひんやりと感じられます。 
「トンネル内の温度は15°から16°。これは1年を通じて変わらず、夏は涼しく冬は暖かいのです」 
床面の中央には溝が刻まれており、トンネルの奥から外に向けて水が流れ出ています。 
 
「1号トンネルは昭和44年に完成したのですが、その割には新しいと感じませんか? これは平成17年に作り直されて、直径2mから約4mに拡張工事が行われたからです。その際に、地面から垂直に掘られた集水井の底とぶつかり、トンネルの天井に繫いでしまったので、1号トンネルからは集水井を通じて外を見上げることが出来るのです」 
ガイドの言葉通り、1号トンネルをしばらく進むと、天井に大きな穴があき、表面を水がしたたり落ちています。これが集水井で、毛細血管のような細いパイプ・集水ボーリングを通じて集められた地下水が流れ込んできているのです。 
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▲1号トンネルの入り口から奥を見る。
集水井をくぐって、さらに奥へ進みます。 
するとトンネルの幅が急に小さくなっています。この先は昭和44年の古いトンネルで、これ以上先には進めそうにありません。あたりには集水ボーリングが天井から何本も突き出し、地下水が絶え間なく流れていました。 
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▲水が流れ落ちる集水井の底から上を見ると、かすかに外の光が見えました。
排水トンネルは時折枝分かれしており、案内なしに入れば、帰ってこれなさそうです。まるで迷宮のようですが、実際、このトンネル工事で驚くべきものを掘り起こしているのです。 
 
それは昭和7年に崩壊し、すっかり埋まったと思われていた、明治時代の鉄道トンネルの遺構です。後半では、この偶然発見されたトンネル遺構の見学をレポートします。 
 
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▲拡張前の古いトンネルにたどり着きました。ここが今回の見学会1号トンネルの終着点。
亀の瀬地すべり資料室
所在地: 〒582-0013 大阪府柏原市峠28−1
電話: 072-971-1381(国土交通省 大和川河川事務所 調査課)

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