音の輪で歴史的建築物、伝統芸術、クリエイターなど、堺の文化遺産をつなぐ堺輪音をプロデュースするクラリネット奏者の稲本渡さん。そのルーツに迫ります。(
前篇)
■プロを目指す
父・稲本耕一、兄・稲本響、弟・稲本渡の、稲本ファミリーは音楽一家として長く活動してきました。音楽一家に生まれ、子供の頃から音楽に親しみ、順調にプロになったかと思いきや、稲本さんは実はプロになるつもりはなかったのだそうです。
「家族は望んでいたんですが、中学の時にはプロになるつもりは無くて、音楽で高校進学したくなかった。そこで父がいい吹奏楽部がある高校を紹介してくれて、見学にいったら気に入って、ここならいいかなと」
入学した淀川工業高校では全国トップの名門吹奏楽部の部長も務め、全国選抜大会で史上初の春・夏グランプリを受賞するなど輝かしい成績を残します。
「高校卒業を前に進路希望を書くときも就職希望でしたが、担当の先生に『稲本くんは音楽にいかなきゃダメでしょ』と強く言われたんです。それなら、子どもの頃からやっていた音楽は特技として生かしたいと思っていたし、音大にいって普通の就職をするのもいいかと思いました」
そんな稲本さんでしたが、音楽のプロへと大きく気持ちを動かす出来事がありました。
ひとつは、父・耕一さんと一緒にいった老人ホームの敬老の日のボランティアでの経験でした。
「高2の時に一度行って、1年後にもう一度行くことになったんです。向こうの方と打合せで昨年と違うプログラムを提案したら、同じでいいとおっしゃるんです。『そんなわけにはいきませんよ』と言うと、『去年の方はほとんどおられませんから』と言われて驚きました。そこはいわゆる終末期の方のための施設だったんです」
1年ぶりの演奏で、稲本さんは眼前のお年寄りが自分を拝むようにして演奏を聞いていることに気づきます。
「おばあさんが涙を流しながら聞いておられて、その姿を見て体が震えました。その人にとって音楽は仏だったんです。後で知ったのですが、1年間の内でそのコンサートの後の1週間に亡くなられる方が一番多かったんだそうです。『ええもんをきかせてもらった』と皆旅立っていかれる。音楽にそんなとてつもない力があるのなら音楽の道を目指したいと、その時に思ったんです。それがもうひとつの理由でした」
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▲堺区錦之町にある堺テクネルームは自宅町家を改装した音楽ホールです。まちの方が下駄ばきでクラシックを楽しめるようにと、平成元年に作られ、毎月のようにコンサートが開かれました。 |
そしてもうひとつは、
「丁度、ドイツに留学していた兄からいい先生がいるからと呼ばれて、その先生の前で吹いてみたら、『この年でこんなに吹けるのは聴いたことがない!』とありえないぐらい大絶賛されて。こんなに絶賛してくれる先生がいるなら、プロでも通用する演奏家になれる可能性があるのかな……とだまされた(笑) プロになるのもいいかな……と思ったのが、ひとつ」
こうしてついに音楽家への志を持った稲本さんはグラーツ音楽大学へ入学し、最優秀で卒業します。帰国後は2011年まで佐渡裕さんの兵庫芸術文化センター管弦楽団に所属。その後は自らの演奏活動だけでなく、コンクールの審査員やプロデュースなど活動の幅を広げ、プロとしての道を歩んできたのでした。
■音楽のすそ野を広げる
しかし、音楽のプロになるのは実に厳しく、音楽大学を卒業した音大生でプロになれるのは1%程度にしかすぎません。そんな中でプロになった稲本さんは、大きなアドバンテージを自覚していました。
稲本さんがクラリネットをはじめたのは5才。音を出すまでに随分時間がかかるはずのクラリネットが、もってすぐに音が出たそうです。
「クラリネットを手にして1週間後にはもう舞台に立っていました。だから、僕は芸歴だけでいうと30年になるんです。この世界では『100日の練習より一回の本番』というんですが、お客様が『いいね』といってほめてくれたり、失敗して自分で悔しい思いをしたり。それがとてもいい経験でした」
並外れた舞台経験が、どれほど稲本さんを後押ししたことでしょう。
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▲「3人のジャンルが違ったのが良かったですね。父は民謡、兄は自作、私はクラシックです。互いのジャンルを尊重できるスタンスを取れたんです」堺テクネルームではその三人が揃ったコンサートも頻繁に開かれました。 |
しかし、多くの音楽家の中で大手の事務所に所属して音楽に専念できる人間はごく一握り。多くの若手は舞台に立つのも一苦労です。
「ほとんどの若手は自分たちでホールを借りて、チラシを手撒きして音楽活動をしているんです」
稲本さんが、『音屋組』を設立した目的の一つは、若手の音楽家たちに舞台に立つ経験を与えることでした。
「若者の発掘、プロモーションを行っています。イベントを主催される方にしてみれば、出演料も高くないし、プログラムなども我々ベテランが監修しているから安心して頼んでいただけます」
こうしたイベントの中にはチケットが1000円前後のイベントもあります。ヨーロッパの立見席とはいかないまでも、かなりお手頃な価格です。
「音楽好きの人口を増やしていけば、いずれリターンがあるはずです。次の世代につなげていく場を提供することが、すそ野を広げていくことになります」
次世代への取り組みはそれだけではありません。学生コンクールも開催しました。
「『堺学生管楽器ソロコンクール』では、岐阜や名古屋・岡山からも応募がありました。審査員はハイレベルな方々に来てもらい、その審査員も驚くほどレベルの高い子が集まりました」
2015年の12月には、入賞者披露演奏会も行われます。このコンクールから、堺をステップにして多くの若者たちが世界へ羽ばたいていくことになるかもしれません。それは計ることが出来ない文化的な資産になることでしょう。
稲本さんが、こうした次世代を見据えた活動を続けるのにも理由がありました。
■父から引き継いだものを次世代へ引き継ぐ
父・稲本耕一さんは、晩年に喉頭がんの治療で声帯を失い、普通ならクラリネットの演奏が不可能になるところ、特殊な発声法をマスターし、クラリネットの演奏にも応用していました。
2014年2月、体調を崩し入院していた耕一さんは、病院内でコンサートをしたいと訴えます。先生や看護師さんに恩返しを、同じ病に苦しむ患者さんを力づけることになれば、という願いからでした。共演を頼まれた渡さんは、当時多忙で乗り気ではありませんでした。
「『またそのうちにね』と言うと、『どうしてもすぐやりたい』と言うんです。それでなんとかスケジュールをあけて、病院内のロビーでコンサートをやったんです」
車椅子に乗った耕一さんが力を振り絞ったコンサート。目に涙を浮かべる患者さんら聴衆の中、耕一さんは笑顔を浮かべ、その脇には稲本さんがよりそっていました。そしてその演奏から1週間後の3月5日。稲本耕一さんはご自宅で息を引き取られたのでした。
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▲ロビーコンサートで共演した稲本さんに拍手を送る耕一さん。 |
「父の葬儀には本当に沢山の方が来られて『親父ってこんなに堺の人に愛されていたんだ』と、そして生前の業績を知って『こんなにも堺で色んな事をしていたんだ』と兄と一緒に驚きました」
稲本さんは、耕一さんの言葉を思い出します。
「父の時代にはクラシックは認知されてなかった。自分の時代はやっとクラシックは知られてはきたけど、まだまだ広まってはいない。クラシックが一般的になるのは、まだ先の世代だと思うんです。父からは『自分は渡に引き継ぐから、渡も次の世代に引き継げ』と言われました。これは僕の使命だと思っています」
響さんと渡さんは、音楽家であっても違う方向へと歩んでいきました。
「ある人に言われました。『2人はそれぞれまるで違う仕事をしているね。響くんは東京で(音楽を)拡散していく仕事。渡くんは地域密着の仕事』だって」
名は体を表すのか、音楽を一般に広く響かせる響さんと、音楽を地域に根付かせ橋渡ししていく渡さん。丁度、渡さんは『アクロス』という吹奏楽団も組織したのですが、この命名は「渡る」を英訳したもの。
「音楽を引き継いでいく、橋渡ししていくという意味なんです」
この『アクロス』は普段はソリストとして活躍する音楽家による楽団ですが、若手の音楽家も演奏に加わります。
「ベテランと一緒に活動することが若手にもいい経験になる。いわゆるアカデミー的な役割も果たします」
まさにベテランから若手への『橋渡し』が行われる楽団なのです。
■思いが形になっていく
2015年の秋はイベントが目白押しです。
「11月7日にはチンチン電車内でのコンサート。11月15日には妙国寺で堺輪音vol.2。11月21日には、山口家住宅で若手によるコンサートです。400年を経た木造建築の乾いた木材特有の響きを楽しんでください。400年前の曲も演奏します。織田信長の安土城には、当時の西洋の楽器が持ち込まれていたという記録があるらしく、南蛮人(ポルトガル人)の故郷ポルトガルの曲が演奏されたでしょう。400年の時を経た建物で、織田信長や堺の茶人たちも聞いたであろう400年前の流行歌を聞いていただければと思います」
今後も独特の興味深いイベントが矢継ぎ早に開催されます。
「皆さんが半端ないぐらいに協力してくれるのでやっていけてます。商工会議所の方や色んな方も『昔お父さんにお世話になって』とよく言われます。滅茶苦茶忙しいんですが、思いが形になっていくので充実していますよ」
五感で楽しむことが出来る新しいスタイルのコンサート『堺輪音』。音楽家が自ら設立した会社『音屋組』。それは堺の文化資産を活かし次世代へと受け渡していく試みであり、その背景には父から受け継いだ使命を果たそうとする稲本渡さんの思いがあったのでした。
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▲イベントの中には奥さんからのアイディア協力もあるとか。忙しいが充実しています。 |
株式会社音屋組
堺市北区長曽根130-42
S-Cube106-D3
TEL:072-257-0120/FAX:072-257-0122