ドバイからの来訪者~山本家の過去帳~(1)

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『つーる・ど・堺』に、不思議な問い合わせの電話がかかってきました。問い合わせの主は、堺出身で今はドバイ(アラブ首長国連邦)とナイロビ(ケニア)で事業を営む山本恵章さん。直接の電話の主は、長野県軽井沢町にお住まいの山本さんの奥さんでしたが、問い合わせの内容は山本家のルーツに関するものでした。
「『つーる・ど・堺』の記事に、山本家の過去帳に載っているのと同じ名前の人物が出てくる。詳しく話が聞けないだろうか?」
その人物の名前とは、鳥井駒吉。アサヒビールの創始者として知られる人物です。
■山本家のルーツをさがして
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▲左から山本恵章さん。ご住職の佐野さん。鳥井洋さん。
ドバイから帰国するのを待って、山本さんとお会いしたのは、山本家と鳥井家の菩提寺である最勝寺。そこには最勝寺・住職の佐野英准さんと、鳥井駒吉のひ孫にあたる鳥井洋さんが待っていました。
「山本家は戦前は宿院のあたりで瀬戸物を手広く扱っていたときいています。戦災で家が焼け、山本家は加賀屋のあたりに引っ越したそうです。父・恵三は三国丘高校から信州大学を出て、スーツの仕立てをするようになり、その後堺の津久野でふとんの打ち直しをはじめたんです」
山本さんの父、恵三さんは、起業家精神旺盛な人でした。
「起業家というのでしょうか、平岡町に大阪音楽学院と堺予備校を作ったりしたのですが、42才の若さで亡くなりました。私がまだ高校生だった頃です。ですから、私は父から先祖の事を何も聞いていなかったんです」
成人して大きな企業につとめ、海外で忙しく働いていた山本さんは、42才の時に独立を決断します。
「丁度父が死んだ年に独立しました。父の起業家精神を受け継いだんだと思います。ドバイやナイロビを拠点にアフリカで起業しました。ずっと家族とアフリカ、ドバイ暮らしだったのですが、今は家内は軽井沢、二人の子供たちはメルボルンに住み、私は日本とアフリカを行き来しています」
年を重ねる中、山本さんは次第に自らのルーツが気になり出しました。
「先祖のことはふとん店を継いだ弟に任せっきりで、何もしてこなかったことに気づいたんです。それで先祖のことを知りたくなって、実家にあった過去帳を見てみたら、見慣れない名前が出てきました」
過去帳の冒頭に、
「幼名 鳥井伊助長男 鳥井駒吉 通称 山本米吉 二代目」といった文字が見えます。
幼名が鳥井駒吉で、通称が山本米吉? そんなことがあるのでしょうか? そもそも鳥井駒吉とは誰なのか?
インターネットで「鳥井駒吉」を検索すると、アサヒビールの創始者と出てきてびっくり。その時に『つーる・ど・堺』の記事も目にしました。
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▲鳥井駒吉の名前が載っている過去帳。この過去帳はご住職が驚くほど立派なものでした。「一人一人、四百回忌まで表になっている。こんな過去帳は今ではありませんよ」

 

「恵三の父で私の祖父山本謙次は、もともと北尾という家の生まれで山本家に養子にもらわれたのだそうです。北尾家は今でも大浜でお米屋さんをやっています」
鳥井家も、駒吉の父伊助が、養子として米問屋をしていた鳥井家を一時的に継いだことでしられています。米問屋の鳥井家と、米屋の北尾家で何かつながりがあったのでしょうか?
鳥井駒吉のひ孫で、鳥井駒吉の半生記を調べた洋さんは、山本さんと会う前に下調べをしてくれていました。
「鳥井家に山本という親戚はおりませんでした。戦災もあって、鳥井家の記録は半生記以外は何も残っていないので、それ以上のことはわかりません。なので、ここからは私の推測なのですが、山本さんは鳥井家の大番頭さんだったのではないでしょうか? だから過去帳の写しを預かったのでは?」
過去帳の冒頭には、鳥井駒吉自筆の覚え書きまであります。両家の関係は深いものだと思わせるものです。通称欄は備考欄的に使われたのではないか、と推測されました。
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▲山本家のお墓を挟んで。

 

最勝寺には、鳥井家のお墓と山本家のお墓の両方がありました。奇しくも出会った山本恵章さんと、鳥井洋さんの二人で手を合わせお参りをします。
しかし、山本家のルーツを探る手がかりは、ここでぷつりと切れてしまったのでした。しかしまだ諦めるわけにはいきません。
「北尾家に行きましょう」
山本さんの一言が、まさかの展開を呼びます。
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▲お寺の奥にある鳥井家のお墓にも手を合わせます。

 

第2回へ続く)

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