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堺酔人酩物伝 4 400年の利休井戸が語る

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観光客でにぎわう『さかい利晶の杜』と道を挟んで隣接する『利休屋敷跡』。かつては無粋なフェンスに囲まれ、雑草の茂る空き地だった場所が、利休が産湯をつかったとも言われる井戸も綺麗になり、石碑が建てられ整備されました。
この利休井戸を手がかりに、酒造に欠かせない「水」にまつわる話を調べてみました。
■400年の時を経た『椿井』
再建された利休の井戸は、味のある古びた木材で井戸屋形(いどやがた)が作られています。これは、はやりのエイジング加工ではなく、利休時代の古材が使われています。屋敷跡の観光ボランティアさんの話によると……。
「この井戸は『椿井(つばい)』と呼ばれていました。名前の由来は、井戸の側に椿の木があったからだとも、椿の木を焼いた炭を井戸に沈めて水の味をまろやかにしたからだとも言われています。この井戸に使われている木材は、京都大徳寺山門の金毛閣から昭和大修理の際に出た古材を分けて頂いて作ったものです。柱の表面を見てください波打っているでしょう」
これはカンナではなく、当時使われていた釿(ちょうな)という道具で表面を削ったからだそうです。
大徳寺の山門は、応仁の乱以降荒れ果てていたのを、利休の寄進もあって再建されたもの。その際に利休への感謝をこめて山門に利休像を安置した事が、後の利休切腹につながったという話は広く知られています。利休時代のものというだけでなく、縁も深い古材で作られていた井戸屋形でした。
そして、『椿井』は恰好だけでなく、今も生きた井戸なのだといいます。その井戸に流れる水脈から、堺の酒造の繁栄と衰退の謎が垣間見えるのでした。

 

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▲400年前の古材の表面は波打っている。
■井戸に恵まれた町
堺と水にまつわる話をしてくれたのは、観光ボランティア協会会長の川上浩さんです。
「もともと堺は良い井戸の多い町だったんです。『開口神社』の『金龍井』は有名でしょう。それにこのあたりの『宿院』という地名も、もともとは『宿井(しゅくい)』という地名だったんです。それだけ井戸が多い土地だったんです」
昔は数多くあった井戸によって、「酒処・堺」の銘酒が支えられてきたのです。
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▲川上さん曰く「堺弁では『イ』で止まらずに『イン』と言ってしまうので、いつのまにか『宿井』が『宿院』に代わってしまったんです。急に変わったわけではなく、時代と共に変わっていったので、私が実際にお会いしたことがあるお婆さんは『シュクイ』と発音されており、驚かされました。そのお家の家系ではずっと『シュクイ』と呼んでいたんでしょうね」
川上さんによれば、これらの水脈は大阪湾の砂の堆積層であるこの周辺に降った雨水が濾過されて水源になったもの。古墳の数多くある粘土質の丘陵地帯とは水脈を別にするのではないか? と。
「『椿井』は、南東の大安寺(南旅篭町)にある井戸と同じ水脈で、さらに東のコニカミノルタ事業所(大仙中町)の井戸とも同じかもしれないんです。一度調べて見られては面白いと思いますよ」
これは思わぬ宿題をもらいました。
堺の酒造が途絶えてしまった理由の一つは良水が減ったからだとされています。そして、良水が減った理由は、臨海工業地帯などの工業化によって地下水を過剰に汲み上げ地盤沈下したからではないか? などと言われていました。
しかし、川上さんはより緻密な説を披露してくれました。
■大失敗の都市計画 断たれた水脈
「堺は大空襲によって焼野原になりました。酒造も大打撃を受け、衰退の一因となっています。しかし、その後の都市計画の大失敗が一番の問題だったんです。行政は、都市再建の計画をするにあたって、地下水の水質や水量の調査はしたのですが、水脈の調査はしなかった。水脈を考慮せずにした戦後の都市計画で、地下深くの基礎工事を伴う大きな建物が建てられるなどして、水脈がぐちゃぐちゃになってしまった」
川上さんはずさんなまちづくりによって水脈が断たれたのだといいます。
「これは行政も失敗だったと反省していました。そして決定的だったのが、阪神高速道路です。東側の環濠『土居川』を埋めて巨大な阪神高速道路を作ったことで、完全に水脈がおかしくなってしまった」
阪神高速15号堺線の工事で1965年に環濠が埋立てられ、1970年に高速が開通しますが、これは丁度堺の酒造の終焉時期にあたります
「数年後には阪神高速の耐震期限がやってきますが、これに合わせて阪神高速を撤去して環濠を復活すべきだと私は考えています。耐震工事をして耐用期間が延びたりすると、環濠復活はもう何十年も先の話になってしまうでしょう」
川上さんは、観光ボランティアらしい視点で語ります。
「著名な観光地を思い浮かべて欲しいんです。倉敷、近江八幡、小樽……運河や環濠、いい水辺があるんです。水辺があれば人はそこに集まってくる。下道の道路をつぶせないのなら、土居川公園を半分にしてもいい。環濠が復活して、今ある環濠クルーズでまちを一周できたら素晴らしいと思いませんか?」
巨大な構造物が無くなり、環濠が復活した時、堺の景観は一新されるでしょう。その時、水脈までもが復活するかはわかりませんが、夢のある話ではありませんか。

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