いわき・さかいバレーボールカーニバル2016 (2)
2016年8月。堺ブレイザーズの練習場である新日鐵住金堺体育館には、東日本大震災で被災した福島県いわき市の中学生たち45名が、被災地支援交流事業で訪れていました。「いわき・さかいドリームキャンプ2016」と銘打たれたこの事業はどのような経緯で誕生したのでしょうか。 事業を主催した堺市教育委員会の方にお話を伺いました。
■地域の資産として堺ブレイザーズに白羽の矢
会場では堺市教育委員会の大橋幸一さんがイベントを見守っていました。 この事業はどのようにしてはじまったのでしょうか?
「東日本大震災で被災した子どもたちのストレス対策とリフレッシュを目的として、昨年いわき市の小名浜第二中学校のサッカー部員をJ-GREEN(ジェイグリーン)に招待して、サッカー教室などを行ったんです。なぜいわき市だったのかというと、福島県にはJ-Vilage(ジェイビレッジ)がありましたが、現在は原発事故収束のための中継基地として使用されており、サッカー施設として使われていません。そこで震災以前にJ-Vilageを使用していた近隣の中学校の中から、同様のサッカー施設である堺のJ-GREENに来てもらうことにしたのです。いわき市の子どもたちも、セレッソ大阪の選手に教わり、芝生の上でサッカーが出来たと喜んでいました」
ところが、サッカー部員となると、どうしても男子生徒に偏ってしまいます。女子サッカーも盛んになってきたとはいえ、女子部員は多くありません。
「しかし、堺には地域の資産として堺ブレイザーズがあります。バレーボールなら女子部員も多い。サッカーに加えて2016年からはバレーボールでの交流事業も企画したんです。堺ブレイザーズの前部長・田中幹保さん(現在は管理部長)が堺市の教育委員会の委員だったこともあって、話はスムーズに運びました」
堺ブレイザーズは、堺市内で何年間もバレーボール教室を開催している実績もあります。
「バレーボール教室などの活動で堺ブレイザーズは堺市内でのキャリア教育の一環として役割を果たしてくださっていると思います。文科省の提唱する『生きる力』の一翼を担っているといってもいいでしょうね」
▲「いわき・さかいバレーボールカーニバル2016」には40名強のいわき市の女子バレーボール部員が参加。J-GREENで行われた「いわき・さかいドリームキャンプ2016」には女子部員数名を含む20数名のサッカー部員が参加しました。 |
こうした経緯で、2016年はサッカーの「いわき・さかいドリームキャンプ2016」に加えてバレーボールの 「いわき・さかいバレーボールカーニバル2016」 が被災地支援交流事業として開催されることとなったのです。
「参加したのはいわき市の植田中学校、植田東中学校、中央台南中学校、錦中学校の4校45名の女子バレーボール部員です。初日はほとんどいわき市からの移動でした。到着した夕方に『さかい利晶の杜』と仁徳天皇陵を見学してから宿に。2日目は初芝体育館で堺の中学校4校と交流試合を行いました。堺の子どもたちも震災当時は小学校3年生から5年生でしたから、事前に震災の事を勉強していたんですよ」
そして、3日目のこの日は堺ブレイザーズのバレーボール教室とエキシビジョンマッチ観戦がプログラムされたのです。
■いわき市と堺市の相互交流に
▲アップをお手伝い。プロアスリートの本気のスピードとパワーを間近で体感。 |
エキシビジョンマッチのために堺ブレイザーズの選手たちがアリーナでアップをはじめました。各中学から数名ずつがお手伝いをしており、残りの生徒たちは2階の観客席からの見学です。選手がスパイク練習をはじめると驚きの声があがります。
「すごいスピード! 迫力で足が動かないんじゃないか」
練習を手伝う生徒を心配(?)する声も聞かれる中、植田東中学校と植田中学校の2校の生徒と顧問の先生にお話を伺うことが出来ました。
▲植田中学校の畑中のあさんと、佐藤賢一先生。「修学旅行のUSJとビッグバンのライブで大阪に来ました」と畑中さん。「今回は教育委員会の方には本当に良くしていただきました」と佐藤さん。 |
植田東中学校の畑中のあさんは中学3年生。顧問の佐藤賢一さん曰く「宴会部長」だそうです。ポジションはライト。修学旅行やライブを見に来阪経験はありますが、これが初来堺になります。
「堺ブレイザーズを見るのははじめてですが、全日本の出耒田選手もいるチームと聞いて楽しみにしていました」
残念ながら出耒田選手は今回は不参加でしたが、畑中さんが今回のバレーボール教室で学んだことは何でしょうか?
「スパイクの打ち方や手の振りの早さを教えてもらいました。練習では次の人への2本目のつなぎ、最初のランニングの時にやったのがためになりました」
今富さんがメニューに込めた思いはちゃんと伝わっていますね。畑中さんが昼食で交流したのも、今富選手と松岡祐太選手だったそうです。
▲エキシビジョンマッチが始まりました。真剣なまなざしでプレーを見つめます。 |
顧問の佐藤さんに、今回の被災地支援交流事業についてどのように受け取られているかを聞いてみました。
「交流が目的だとお聞きして気軽に参加できて良かったです。試合が目的だと勝ち負けが出てきますから。今、いわきでは普通の生活が営めているので、思ってもらえているのは嬉しいけれど、申し訳ないという気持ちもあります。ただ、震災直後に大阪に避難した経験を持つ子どももいますし、本人はいわき市にいるけど家族はまだ大阪にいる子もいます。また避難区域からいわき市に避難して来た子どももいます。畑中も南相馬からいわき市に来ました」
小学校1年生の時にバレーボールをはじめた畑中さんは3年生の時に震災にあって、バレーボールを続けることが出来ませんでした。バレーボールを再開したのは中学生になってからです。2016年8月の現在、南相馬市の一部は帰宅困難地域に指定されたままです。
状況が様々な子どもたちがいる中で、今回の事業にどんな意義を感じられたでしょうか。
「以前、出耒田選手が当時インターンシップで所属していた『つくばユナイテッドSunGAIA』のバレーボール教室に招かれたことがあるんです。その時もすごい選手がいると思っていたら、全日本選手になられました。そんな出耒田選手のいるチームの、日本のトップの選手たちの言葉は私達の言葉より沁みる言葉だと思います。つながりを作るとVリーグに興味を持つだろうし、TVで見た時にもあの選手だと思うでしょう」
昨日の中学生同士の交流試合も貴重な体験でした。
「堺の中学生たちとも交流させてもらえて、バレーボールを通じて関わりを持たせてもらえたのは大きいです。こういう機会に(大阪に避難していた時に出来た)友達と再会できたりするといいですね。今回はいわき市から堺に来ましたけれど、逆に堺からいわき市に来てもらったり、交流事業として発展させていけたらと思います」
一方向の支援交流事業でなく、双方向の交流事業への発展を。長く事業を続けるためには、いわき市や被災地を実際に体感するそうした変化も必要なのかもしれません。
▲植田中学校の吉田怜樺さんと、吉田裕先生。吉田怜樺さんも修学旅行で一度大阪へ。「子どもたちの笑顔が沢山みられた」と言う吉田先生ですが、ご本人は「笑顔は苦手」とのこと。ちなみに2人とも吉田姓ですが、血縁関係はありません。 |
「堺のチームは粘りがありました」
というのは、植田中学校女子バレーボール部のキャプテン吉田怜樺(れんか)さんです。
「こういう交流事業はあった方がいいと思います。堺の(中学生)チームはどんな人たちが来るんだろうと楽しみでした。他のチームの人たちとも話したりしていいなと思いました」
今回のバレーボール教室では、どんな手ごたえを感じたでしょうか?
「バレーボール教室ではトスについて色々教えてもらいました。足の向きとか細かなこともです。チームとしても声の出し方ひとつで変わることを学びました」
1人の選手としても、あるいはチームとしてもバレーボール教室を機に成長できそうですね。
▲集中してプロのプレイをジャッジ。 |
顧問の吉田裕さんは、こうした生徒たちの成長を今回の成果と捉えています。
「ありがたいお話で来てみたら朝から晩まで至れり尽くせりで、支援してくださっている心が伝わってきました。被災地支援ということについて、自分も津波で被害を受けましたし、子どもたちの中にも個々では色々ありますが、震災からは時間もたって、一日一日を過ごしていくことが大切という時期になっています。いわき市では被災地だからということを感じながらの毎日ではありません。いわき市と堺市の双方が元気になって、お互いのパワーの源になればと思います。復興というよりも、子どもたちの成長・交流という意味合いで良かったと思います。バレーボール教室では、バレーボールを楽しそうにやっている姿、子どもたちへの声のかけ方などから学ぶことがありました。今日は子どもたちの笑顔の姿がいっぱいみられたのが、我々教師としてはありがたかったです」
堺からは遠い福島県で暮らす人々の想いや様子というのはなかなか実感しにくいことです。また、わたしたちはつい「被災地」という言葉でくくりがちですが、地域によって個人によって個々それぞれなのだということも忘れがちなのかもしれません。阪神淡路大震災を例に見ても、一見神戸のまちは美しく蘇ったように見えますが、20年経た今も復興が完全になされたとは言えず、むしろ生活再建が日増しに遠ざかっている人々もいます。震災は、表向き見えなくなってから長く続くのです。
コートではエキシビジョンマッチがはじまり、プロの試合を真剣にあるいは楽しそうに生徒たちは観戦しています。試合のラインズマンや得点掲示係なども、引き続き生徒たちから数名派遣されています。生徒たちの視線を受けて、選手たちも手を抜けないことでしょう。
この支援交流事業を通じて、いわき市と堺市の中学生同士、教師同士、プロバレーボール選手や行政関係者、様々な人たちが交流したことは互いに意義のあることです。今後も長く続くことによって意義は深まっていくのではないでしょうか?
新日鐵住金堺体育館