「仁徳さん」が守る水

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「仁徳さんのお堀の水が枯れたのって見たことがないでしょう」
NPO法人堺観光ボランティア協会理事長川上浩さんの視線の先には、大仙陵古墳とも仁徳天皇陵古墳とも呼ばれる巨大古墳……今回は「仁徳さん」としておきます……の三重の堀が水を湛えています。
たしかに、水不足の酷暑の夏でも、「仁徳さん」のお堀が枯れたというニュースはきいたことがありません。
その秘密は一体どこに……?

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▲人気の観光ガイドの川上浩さん。

■精緻で合理的な水利システム
「実はこの三重の堀の水位は同じじゃないんですよ。枯れないように、溢れないように、三つの堀で水位を調整する仕組みがあるんですよ」
この三重の堀は、内側から、
「第一濠(ぼり)」「第二濠(ぼり)」「第三濠(ぼり)」と名付けられています。実は、最初からこの三つの堀が今の形であったわけではありません。
川上さんから見せて頂いた貴重な資料から三つの堀について転載します。
●第一濠
「御山内(墳墓)を築成するために砂を掘り出した跡。掘り出された土は板で作られた枠の中に盛り、一層ずつ杵つきで突き固められたもの。版築といわれる技法で、厚さ10cm×20cm×30cm程度の大きさ。中国の竜山文化から今に至る。
 竜山文化:中国新石器時代における二文化の新しい時代(紀元前4~5世紀ごろ)」
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▲第三濠東側を中央の拝所から南に向けて撮影。
●第二濠
「御山内(墳墓)を築成するために砂を掘り出した後も工事は続けられ、工事中に雨水が溜まる事は避けられず、第二濠(堀)を作り、雨水を排出した。」
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▲第二濠東側を中央の拝所から。川上さんが観光客にガイドをしています。
●第三濠
「明治32~35年に亘る大工事で三重にした。本来、三重目は全周してなくて、南側前方部側のみの”コ”の字型と推定される。第三濠には9ヶ所に堰が設けられ、その堰と堰の間は貯水の役目を果たし濠の水位を調整する役目を持つ。濠と云うよりもため池。貯水の目安は、毎日、職員の方が天気予報を確認し、勘と経験で調整している。」
つまり、第一濠は古墳を作るための土砂を掘った跡。第二濠は工事中に第一濠にたまる雨水を排出するために作ったもの。第三濠が全周の形になったのは明治になってからで、機能は堀というよりはため池。
二つの取水口から入れた水を九つの堰で調整しながら、細かく水位を調整していきます。
第一の取水口である北側の導水路から第三濠の西側に流れた水は、堀の機能によって、そのまま前方部へ流されるか、余剰な分は西側にある「樋谷余水吐」から外に逃がされるようになっています。
また西側に第三濠と第二濠を繋ぐ余水吐があり、第三濠から溢れた水は第二濠に流れるようになっています。第二濠の水位はここで調整されます。
第二濠と第一濠を繋ぐ通水管は、西側の中央あたりにあります。第一濠と第二濠の水位は同じになります。
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▲「三国ヶ丘駅」近くにある取水口。芦ヶ池からひかれた水がここから取り入れられます。

第二の取水口として、第三濠の東側には周辺の用水路から溢れた水が流れ込むようになっています。この水は前方部東側にある第三濠から第二濠への通水路を通って、第二濠へ流れ込みます。
全体としての排水は西側一か所のため、西側の水位が低く設定してあり、濠の渇水や堤の決壊を未然に防いでいるのだそうです。
なんとも合理的で精緻なシステムが構築されていたことに驚かされます。
■「仁徳さん」が果たしてきた役割
大阪湾の砂が堆積してできた海側と違い、古墳の多い丘陵地帯は粘土質で、水利には苦労する地帯だったようです。7世紀前半に川をせき止めて作られた狭山池から用水路が作られ以北の一帯を潤していましたが、長らく「仁徳さん」の堀は狭山池の水が引かれていたそうです。この堀の水も農業用水として使われていました。古代から現代に至るまで、その水が近郊の大地に生きる人びとに恵みを与えたのですから、どれほど多くの人たちがその恩恵に浴したことでしょうか。

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▲大仙公園内にある堺市博物館に隣接する池ももともとは農業用のため池だったとか。
「今は百舌鳥八幡駅の近くにある芦ヶ池から水をひいてます。芦ヶ池には二つの井戸があり、真夏の最大蒸発量200トンにも対応して供給しているんです」
現代になって、この芦ヶ池の水を「仁徳さん」に引くには、厄介なものが生まれました。芦ヶ池と「仁徳さん」の間には、JR阪和線「三国ヶ丘」駅があります。この駅と線路は丘を掘り下げて作られています。これでは、水の道が分断されてしまいます。
「どうして水を通したと思います? 巨大なパイプを通したんです。『堺市をうるおすみずのみち』と名付けられており、JR『三国ヶ丘』駅のホームからも見上げることが出来ます。ぜひ見てください」
芦ヶ池からひかれた水が、太いパイプで駅ホームを越えて古墳の堀へ。意外な所に古代と現代のコラボを発見です。
このように、三つの堀が時代を経て成立していったように、遺跡であっても「仁徳さん」は、現代に生き、変化を続けているといえるのかもしれません。

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▲芦ヶ池から「仁徳さん」を繋ぐ「堺市をうるおすみずのみち」は阪和線「三国ヶ丘」駅の上を通っています。
「仁徳さん」をはじめとした古墳群の素晴らしさは、町中にあって付近住民の生活風景の中に溶け込み、時に実用の中にもあったことではないか。世界に誇るべき所があるとすれば、その大きさや古さではなく、住民と共にあった「生きた遺跡」であることではないか……そんな風にも思えた「仁徳さん」と水にまつわるお話でした。このロマンにあふれながらも生活に密着したインフラでもある古墳が、今後も多くの人々を潤しつづけることを願います。

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