インタビュー

ホタル研究家 岡本欣也

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ホタル研究家 岡本欣也
profile
水生生物研究家
平成23年度 堺市功績者表彰(環境保全関係)受賞 (堺市長表彰)
平成26年度 環境大臣表彰(地域環境保全功労者)受賞
路地裏にある年代物の平屋のお家は、ぐるりと水槽に囲まれていました。
お家の主は岡本欣也さん。「地域環境保全功労者」として環境大臣表彰を受賞された、堺のホタル研究家です。年齢はインタビュー時で72才、本業は布団屋さんで学歴は中卒で高等教育機関で生物学を学んだわけではない岡本さんですが、岡本さん宅には大学の先生までが門をたたくといいます。
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▲自宅の前は水族館状態。
■エアポンプなしの水族館
「全部エアポンプを使ってないよ」
岡本さんのお家を壁のように取り囲む水槽、そのどれにもエアポンプが使われていません。どうして使わないんですか? という問いに岡本さんの答えは快活です。
「そりゃ、お金がかからないもの」
これだけの水槽にエアポンプを使えば電気代は馬鹿になりません。水槽も、もらったり捨ててあったものを拾ってきたりと、岡本さんの水族館は安上がりですが、安上がりだけではない効果もありました。
「ポンプを使えば水は綺麗で見やすいけどそんな自然環境はないよ。でも、こうして水草を沢山いれて自然のままの環境にすれば、自然と同じような魚たちの生活を見ることが出来るんだ」
岡本さんの水槽は、室内インテリア的としての水槽とはまるで違って、生き物の存在感が浮き彫りになる水槽です。

 

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▲水草一杯の水槽。張り付いているのはホタルの幼虫のエサになるカワニナ。
家の裏にまわっても水槽が積まれていました。
「昔は地主さんに許可をもらってここに川を作っていたんだ。最初はトンボをかえしたり、ホタルも放し飼いにしていたよ」
最初、トンボの繁殖を行っていた岡本さんは、1978年に新聞の取材を受け記事になりました。その際に、次はホタルを……という話になって、ホタルの人工繁殖に挑んだのです。
「(ホタルで有名な)菅原神社に行ってホタルの卵を一房もらってきたのが最初です。『夏場は氷柱をたてておきなさい』とアドバイスされたんですが、そうもいきません。家庭用の冷蔵庫を壊して製氷機を取り出して改造し、温度を下げたんです」
人工繁殖は成功してホタルは飛びました。岡本さんは注目を浴び、新聞だけでなくテレビにも出演し特集が組まれたりもしました。
多くの人が失敗するホタルの人工繁殖に、岡本さんが成功したのはなぜか。それは子供の頃からの経験と強い思いがあったのでした。
■川に囲まれ育った少年時代
岡本さんのお家から少し坂を下った谷間は、今はアスファルトの道になっていますが、岡本さんの子供の頃は川だったそうです。
「ジデンジ川という川でね。どういう漢字を書くかは知らないよ(笑)(※)。砂利の川で生き物がたくさんいた。少し上で池とつながっていて池にはウナギも住んでいた」
ジデンジ川から百舌鳥川、百済川、石津川に合流にという水系の川に囲まれた環境で育ち、生物が大好きだった岡本少年。しかし、当時は終戦直後の厳しい時代でした。
「親は厳しい親でね。生活も苦しくて、息抜きに魚を飼いたいと思っても許してもらえなかった」
少年の心を癒してくれたのは川の魚や虫たちだったのです。
「中学を卒業してすぐに奉公に出て、工事現場や色んな所で働いた。どこも厳しくて仕事を選んだりなんて出来なかったね」
働きながら、ハンダごて、電気工事の技術まで様々な技術を身につけていきます。

 

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▲右手の川上から、左手の川下へ。岡本さんが遊んだジデンジ川も今は道になっている。
がむしゃらに働いた岡本さんはやがて独立もし、結婚もし、子供も出来ました。子供を育て始めると、周囲の環境が岡本さんの子供時代とがらりと変わってることに気付き、驚きました。
「たくさんいた生き物が川からいなくなっていた。川の底と両岸の三面がコンクリで覆われ、時には蓋もされ、池とのつながりも断たれていた」
子供たちが川遊びをすることが出来なくなってしまったことが岡本さんを悲しませました。子供たちに生き物たちのことを教えなければと思った岡本さんが目にしたのは、捨ててあった台所の流しでした。
「昔のお宅によくあったコンクリートの流しが使われなくなって、捨てられていたのを利用して水槽を作ったのが最初です」
水槽の中の環境づくりはすべて我流で、試行錯誤しながら生き物が暮らせる環境をこつこつと作り上げていったのです。
岡本さんの水槽では沢山のホタルが育ち、夜空を美しく彩るようになりました。
※ジデンジ川:堺たんけんクラブの小松清生さんに調べていただいたところ、もとは十連寺川(ジュウレンジ)と呼んでいたのが訛って「ジデンジ川」となったようです。(『もずの梅町ふるさと話』/百舌鳥梅町伝承委員会 より)
■誰もマネできないホタル研究家に
TVでも取り上げられるようになった岡本さんに、下水処理場や緑化センターなど市の施設からもホタルの人工繁殖を手伝ってほしいと依頼が来るようになりました。
しかし岡本さんがアドバイスを送っても、簡単にはホタルは飛びません。何万もの卵から40~50匹を飛ばすのがやっと、1500の卵から数十匹を飛ばす岡本さんとは大きな違いです。
「僕は全然お金をかけずにホタルを飛ばすけど。みんなお金をたくさんかけてやっているけど、それでも上手くいかないみたいだね」

 

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▲ホタルのケージには水を抜いたり足したりできるパイプがとりつけてあります。これも岡本さんの工夫です。
その違いはどれだけ肌で自然を知り、自然から学んでいるのかのようです。
「川からは絶えず水があがって、土手の土に適度な湿度を与えてあげる。そんな環境を作らなければいけない。僕はパイプを半分に切って土に埋めて、湿地帯と同じような環境になるよう工夫したりしている」
成功にいたるまで何度何度もトライアンドエラーを繰り返しているのです。
岡本さんの活動はホタルに留まっていません。
キリギリスなど育てた虫の声を市役所や地区の区民まつりに出品したり、小学校に出かけて行ったりもしました。川の自然環境を取り戻そうと、百済川に葦を植える活動を上野芝小学校・神石小学校の子供たちと一緒に取り組みました。
岡本さんの家には、子供たちに自然環境の事を教えるパネルが沢山おいてあります。
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▲岡本さんのお宅には、こんなお手製のパネルが沢山あります。
■川は大地の血管
岡本さんは一時ホタルの人工繁殖をやめていましたが、請われて再開しました。
「魚などは全部やめて、当時飼っていたものは万博の施設に寄贈したよ。虫を飼ったりしてたけど、2000年に和歌山県の南部川村というところから、町おこしにホタルの人工繁殖をやりたいと声がかかって再開することにしたんだ」
南部では、岡本さんの指導の下、ふたたび沢山のホタルが飛び交うようになりました。
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▲百舌鳥小学校には岡本さんの作ったホタルのケージがあります。
こうした長年の功績が認められ、今回の環境大臣表彰の受賞となったのです。
環境への関心は以前とは比べ物にならないぐらい高まっているといえるかもしれません。しかし、岡本さんは言います。
「僕は神様が人間より先に植物や動物を作ってくださったんだと思う。そこに人が稲作をするために上に池をつくり、下に池をつくり開拓し、動物が住み、植物が生え茂り、動物も住めるような環境が出来上がったと思う。雨が降っても、まず山の水は上の池にたまり、それから下の池に流れるといった風になっていた。川は血管のようなものです。なのに、全部コンクリートで川を覆ってしまった」
水はどこかで留まることなくノンストップで川に流れ、川はただの水の通路となってしまった。すぐに激流が生まれてしまう。
「水害があるからというので土手をコンクリートで固めるのもわかる。たしかに水害は減ったかもしれないけれど、激しい水の流れがくればどこかで決壊する。イタチごっこだよ」
生き物たちも海と川がつながり、池へと続くことで暮らしてきた。なのに、今の川は段差になっていて容易に魚が上流へ上がれないようになっています。これではウナギのような魚が生息しやすい環境ではない。シラスウナギの漁獲制限をしても、川の環境を取り戻さないと根本的な解決にはなりません。
「堤防や堰を作ってしまうといくらお金をかけてもそれを壊してもとに戻すことは難しい。だからせめて今ある自然環境を大切にしたいと思うよ」
次世代にどんな自然環境を残せるのか。考え込まされるお話を伺っていると、
「おっちゃん。こんにちはー」
と子供たちの声が。

 

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▲岡本さんの自宅で生まれたホタルの光。
ご近所の一家がホタルを見に遊びに来たのです。なんとお母さんも小さい頃から、岡本さんのホタルを見ていたとのこと。
子供たちと一緒にホタルのケージを覗いてみました。草の影から青白い光がもれています。
「うわー」
と子供たちの声。地元育ちのお母さんも言います。
「このへんの子はみんなおっちゃんのホタルを見て育ったんです」
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▲近所のご一家。岡本さんの受賞を喜んでおられました。
そんな子供たちの中には、現在大学の研究者になった人も。岡本さんの奥さんは当時を思い出します。
「生物に興味を持った高校生が突然私の所にやって来て、彼と一緒に川や池を連れ歩いたのですが、彼の将来がどうなるのかちょっと心配してたんやけど、そのまま研究の道に進んで、今は偉くなって博物館で研究者になったのよ。嬉しかったのは、こないだ連絡をくれて子供が出来たってね」
岡本さんの想いはそうやって、次世代へと受け継がれていくのでした。
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▲環境大臣表彰を受賞。これからも子供たちのために、ホタルや魚、虫たちを育ててください。
岡本欣也
堺市北区在住

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