インタビュー

才村 啓 画家

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才村 啓
profile
堺市出身
大阪芸術大学美術学科卒
日展入選、一水会展新人賞、同会会友、研水会準委員、個展、グループ展多数他
爽快な色彩はにごり無く、ざっくりした筆遣いが、写実よりもリアルな空気感を伝えてくれます。自然の光、風にゆらぐ木立、水面、山肌、人の作った建物も風景に溶け込み、時の移ろいまで描かれたよう。
堺出身の画家・才村啓さんを現在お住まいの河内長野に訪ねると、たっぷりの光に満ちたアトリエがありました。
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■光溢れる場所へ
才村さんが堺市展で受賞したのは小学5年生の時のこと。子ども向けのコンクールではありません。堺市が戦後の芸術振興を目指し設立した伝統ある公募美術展です。
「小学生が受賞したというので、読売新聞の記事に取り上げられたりしましたね」
受賞した作品は、今の作風とは違いコラージュの上にアクリルを重ねたものだったそうです。
「小学1年から中学3年まで、今はお亡くなりになっていますが北旅籠町の高田先生に絵を教わっていました。抽象画でしたけれど、スケッチなど基本的なことも教わりました」
絵画教室に通ってわずか数年、受賞した頃から漠然と画家への道を考えだしました。
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▲大学の卒業制作『受胎告知または写実の哲学』。

 

大阪芸術大学へと進みますが、この頃は写実的なタッチの画風。卒業制作は雑誌に取り上げられ「近い将来に表紙を飾るようになるのでは」と高い評価を得ました。
『栴檀は双葉より芳し』なんて言葉が思い浮かびます。
大学4回生の時に師事したのが画家の池田清明さん。池田さんからは、現場を実際に見に行く「現場主義」の大切さを学び、大きな影響を受けました。
画風も写実から大きく転換します。

 

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▲現場へは重いイーゼルとともに。後ろにあるのと同じ100号サイズを現場に持っていったことも。

 

「現場で勢いよく描くスタイルです。おおらかなタッチで、あまり細密にならないように心がけているんです」
キャンバスと一緒に才村さんが探すのは、四季折々や、朝・昼・夕方と時間帯によって変化していく光りが生む素晴らしい風景。
時には100号という巨大なサイズのキャンバスを二つ折に出来るように改造してもらって持ち運び、電動自転車で現場へ向かうこともあったとか。

 

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▲湖西地方の風景も飾られていました。

 

大学を卒業後、題材を求めて滋賀の湖西地方へ4年間、信州に4年間と移り住みます。そして、河内長野へ移ってきたのは4年前。
「室内でも作業をするので自然光が入ってくる広いアトリエを探してここがみつかったんです」
部屋の一面は広いガラス戸で、その向こうは庭と道路で遮るものはありません。他の二面にも窓があり採光はばっちりでした。
このアトリエで才村さんは制作に集中した日々を送っています。
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▲リビング兼用のアトリエでは、家族と時間を共有しながら絵を描くことも。
■優しさに溢れた癒しの絵
アトリエには才村さんの作品がいくつも飾られていました。風景、静物、人物、いずれも透明感が魅力的に感じます。
「中間色はあまり使わずに基本色で色を作るようにしています。色数を増やすのではなく混色によって表現しているんです」
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▲「子どもの頃から他人と争うのは苦手」。

 

技術的なことだけではなく、作品は作る人の人間性が出るもの。才村さんの穏やかな人柄が作品にも表れているようです。
「僕は昔からあまり強い性格ではなくて、優しい性格だと思います。それが自然に出るんだと思います」
と、少し照れながらの自己分析。
「優しい絵で癒される」
と評価され、女性ファンが多いそうですが、男性でも何点もの絵をコレクションされている方もおり、幅広いファン層だとか。
「インスピレーションを感じられたんでしょうね。初めて作品展にこられた方が一目見て絵を買われることもありました」
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▲イギリスやスイスなどへもスケッチ旅行に。
風景画を気に入られたお客様がご夫婦の肖像画を依頼されることも。
「画家として依頼されるのは嬉しいことですが、夏に紅葉や冬景色を依頼されると少し困りましたね」
それでも依頼に応え、作品を描き続けました。
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▲雑誌「一枚の絵」から。河内長野の風景や人物も。 ▲堺の少林寺小学校の創立140周年を記念して100号の絵を寄贈。

 

その努力は実り、今では専門誌に毎月のように作品は掲載され、毎年大きな個展を開催するように。
少年時代に通った小学校からは開校140周年を記念して絵の寄贈を求められました。
順調に成功への道を進んでいるかに見える才村さんの画家としての人生。しかし、決して平坦なものではありませんでした。
■自分の中に無いものは出来ない
「描いていても自分に無いものを描いていると気づく時があります。そんな時は描いている途中でも破棄しますね」
おかしいと感じるのは細密な描写になったり、写実的な描写になったりする時。
「奇をてらったような表現になる時があるんです。周りの評価を気にしてしまったのでしょう」
絵画にも流行り廃りがあり、現在の日本では写実が流行する時代。才村さんのような画風はメインストリームではありません。
作品が落選した時、壁に突き当たった時、沢山の挫折を経験しています。
親しい人は、才村さんが挫折した時、「苦しみ方は尋常じゃない。もうこの人は絵が描けなくなるじゃないか」と心配するほど。

 

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▲大学では所蔵された画集をひたすら見ていたのが今につながっています。「親近感を感じる画家の画集をよく見るのは、自分を探す作業かもしれません」
時には何年も続くスランプ。そんな時どうするのでしょうか?
「飲みに行くこともありますけれど、美術館に行ったり、画集を見ることが多いんです」
挫折を感じた時だからこそ絵と向き合う。好きな画集を見ることで、過去の画家から学ぼうとするのです。
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▲絵画教室以外の日は室内や外で絵を描く日々。時には1日で絵を描き上げることもあります。
「こういう人はどんなことを考えて、どんな境遇で描いていたんだろうか」
好きな画家は小磯良平や東山魁夷、印象派のゴッホやモネ。絵を描くということは、研究したり、葛藤したり、とてつもないエネルギーを注ぎ込んで画家が自分の世界を追求していくこと。
「彼らも信念を持って世界観を深めていったんです。そんな意志の強さに惹かれたりします」
才村さん自身もそんな画家の一人。
「自分の優しい性格が出た癒される作品を描きたい」という才村さんの自己分析は、実は非常に客観的で自分を探究する厳しさに裏打ちされたものだと気づかされます。
「のびのびと絵を描く」ために、どれほどの精力が注ぎ込まれ、どれほどの挫折を経験し、どれほどの失敗作を破棄したことでしょう。
大地に降った水が何千年もの時を経て地下の地層で濾過され清流となるように、苦悩や葛藤をくぐり抜けて作られるからこそ、才村さんの絵は優しい光に満ち、観る人に癒しを届けるのではないでしょうか。
■自分の感動を人に伝えたい
才村さんは、絵を人に教えるのも大好きだといいます。
大阪市内や狭山の絵画教室で月に何回か絵を教えています。現場主義で、生徒と一緒のスケッチ旅行も楽しみです。
「堺にもスケッチにいきましたよ。出島や南宗寺、浜寺の駅舎にも」
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▲スケッチに出かけることもしばしば。木の姿に美しさを感じて書き上げました。
ただ一筋に絵画の道を邁進してきた才村さんが、これから画家を目指す人に向ける言葉はあるでしょうか? しばらく考えてから、
「一度しかない人生なので思い切りは大事だと思います。大切なのは夢中になることです」

 

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▲堺市でも何度か作品展を開催してきました。

 

才村さんを突き動かすのは人に自分の感動を伝えたいという想い。
「感動は伝わって欲しいですし、伝えたい。作者が感動を持って描いているものは伝わると思います」
多くの人に絵を見てもらいたいと、2014年には6月に仙台、12月に大阪の阪神百貨店での個展開催が決まっています。
絵を見るということは、画家の追求した世界と対話すること。画家と鑑賞者の対話。ぜひ作品展を訪れて才村さんの追求した世界と対話してみてください。
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才村啓


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