樋口恵介
profile
堺市出身。プロデューサー、デザイナー。自称「元祖フリーター」。広告業界へ転身後
、独学でデザインを学び、1998年独立。「樋口恵介デザイン事務所」代表。グラフィッ
ク、WEBのプロデュース、デザイン、制作等、友人たちとの”クリエイティブ集団”「
コスタミリア・グループ」としては、店舗プロデュースなども行う。
「丁度、外を向いていかないといけない時期で、一度自分の内側を見てみる必要があると思っていたんです」
地域の飲食店ガイド『SHAKES(シェイクス)』や『ナカモズグレイト』の仕掛け人、「樋口恵介デザイン事務所」代表の樋口恵介さんは、大阪府立大学で『南大阪地域学』の講義を控えていました。ここ5年ほどの仕事が評価され、招聘を受けたのです。
樋口さんが何故「外を向かなければならない」のか? その前に樋口さんと共に過去を振り返ってみましょう。
■prelude~元祖フリーター
「高校の終わり頃からバンドをはじめて、はなから就職する気はなかったです。レンタルビデオ屋でバイトをはじめて、最後は店長にもなりましたけど」
当時はバブルの恩恵で、バイト生活でも新卒より稼げた時代です。
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▲仕事場にはローリングストーンズのポスターや大量のCD。ロック少年の魂はそのままに。 |
転機は27才の時でした。
「友人に誘われ一緒に二人だけで小さな広告代理店をはじめて、なんでも自分でやりました」
新聞の小さな広告が主な仕事でしたが、大きな仕事が舞い込みます。大手の乗馬クラブの広告です。
「とにかく乗馬を体験してもらわないとはじまらない」と、インパクトのある体験イベントを企画します。
「ポニーを連れて奈良のダイヤモンドシティ、それから千日前の映画館。行きは早朝の心斎橋筋をトラックで運べるけれど、帰りは車が使えないから馬を手で引いてね」
『まんが祭り』に来ていた子供たちは乗馬体験に大喜び。「チラシを作るだけじゃない」広告マンとしての原点でした。
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▲独立前に樋口さんはデザインの勉強を基礎から必死で学びます。「独学でしたが、印刷会社に籍を置かせてもらって勉強したこともあります」 |
▲『ウィスキーキャット』の大谷さんと。二人の仕事を縁に堺のバーのマスター交流会やカクテル・ゴー・アラウンドなど各種イベントが生まれました。 |
樋口さんがデザイン事務所を立ち上げた頃、友人たちも30代となり、独立して店舗を持ち始めます。『ウィスキーキャット』をオープンさせた大谷昭徳さんもその1人。
「樋口さん、チラシ作って」
大谷さんには、堺のバーを紹介する小冊子を作りたいという思いがありました。思いを樋口さんが形にしたのが、今やvol4まである『SHAKES』です。
『SHAKES』は刊を重ねて評判をとり、これがターニングポイントとなります。
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▲『SHAKES』がきっかけで堺や南大阪のバーに通うようになったお客様も少なくありません。 |
▲『SHAKES』でバー文化に魅せられた『街の灯り』のマスター小田さんも『SHAKES』世代を自認しています。 |
大谷さんは新しい企画を樋口さんに持ちかけます。それは、中百舌鳥という地域にこだわった飲食店カタログというアイディアでした。
『ナカモズグレイト』が、この時産声をあげたのです。
■1st Theme~クールなメディア~
2009年『ナカモズグレイト』が発行されます。
「まだ次号の発行予定なんてなかったんですが、毎年出せるはずだとあえて『vol1』とつけたんです」
『ナカモズグレイト』も『SHAKES』も、多くのフリーペーパーと違ってクーポンをつけていないのには、明確な意図があります。
「長く持ってもらいたかったので、時期が限定になるクーポンはつけず、便利なポケットサイズの冊子にしたんです」
ただのフリーペーパーではなく「メディアである」と捉えたのです。
「作りながら具体的に決めていきましたが、最初から目指していた『ナカモズグレイト』は”クールなメディア”なんです」
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▲Vol1は一枚の紙を折りたたむ形式。vol2から小冊子形式に。図書館から要望され「資料として欲しいのかと思ってたら貸し出しも」予約待ちが出る人気に。司書からも「小さな地域に特化した情報誌は他にない」と評価されました。 |
号を重ねると、掲載する業種や地域を広げないか? といった提案も持ち上がりました。
「読者が欲しがっているのは『ノミクイ』の情報なんです。業種を広げたり、エリアを広げれば、地域の飲食店の情報は薄くなる。中百舌鳥の飲食店が数店しか載ってないようなタウンガイド、そんな情報誌誰が読みますか? それはクールじゃない」
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▲「『美味しいお寿司屋さんない?』なんて尋ねると、マスターも責任を持ってお店を紹介するし、お店も信頼に応えようとする。バーでのやりとりをそのまま形にしたのが『ナカモズグレイト』なんです」 |
▲フリーペーパー制作を通じて様々な人たちとの出会いが。”世界を旅する”エッセイスト、武部好伸さんとは、「シェイクス」への執筆依頼がきっかけで懇意に。 |
スタイルを守り掲載店を絞ったこともあって、制作費は潤沢とはいえません。しかし、その状況を逆手に取ります。
「プロのライターを雇う予算は無いので、アンケートに店長に自分の店のPRポイントを書いてもらうようにしたんです」
店長自身の思いを言葉にしてもらうと、お仕着せでない言葉が並びました。
さらに、樋口さんは意図的に毎回ステップアップを試みています。
「中百舌鳥には府立大学がある。僕から見れば大学は情報の宝庫です」
営業はしないという樋口さんですが、Vol3制作にあたっては、大谷さんに紹介された社会思想史の前川真行さんを訪ね、府大に足を運びます。
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▲大阪府大の前川さんと。コラムを執筆してもらうだけでなく、『都市論』を語ることが出来る貴重な存在となります。 |
▲新聞掲載で知名度もあがりました。他からも声がかかり『三国ヶ丘スピリット!』や『堺東倶楽部(2013年10月発行予定)』なども刊行しました。 |
vol3が新聞で取り上げられると、商工会議所からラブコールが届きました。
「正直、どんな奴がやってくるのかな? と思って、気に入らない相手だったら断ろうと思っていました」
しかし、期待はいい意味で裏切られたのです。
「他にこんな人はいないと思いましたね」
商工会議所の有馬洋一さんは軽快なフットワークの持ち主でした。深夜から始まる『ナカモズグレイト』のマスター会にも顔を出し、樋口さんの自宅にも足を運んで議論する。
商工会議所と『ナカモズグレイト』のコラボレーションは実現し、2012年の『メイドインさかいフェア』に出展。vol4は2日間で5000部近くも配布されたのです。
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▲メイドインさかいフェアでの出展ブース。左端が有馬さん。他にこんな人はいないと思った、有馬さんとの出会いも大きかったと振り返ります。 |
▲vol4は、vol1と比べると掲載店で3倍以上の36店舗、発行部数は5倍の25000部を数えるまでに育ちました。 |
こうして地域の飲食店や大学、商工会議所と関わっていくと、否が応でも「地域活性化」を意識します。そこで根源的な問いに突き当たったのです。
「はたして活性化とは何なのか?」
■2nd Theme~活性化の答えはNY
「『地域の活性化を目指している』なんて言葉をよく聞きますが、具体的に活性化とはどういう状態の事なのでしょうか」
樋口さんは府大の前川さんと『都市論』を語り合いました。
「前川さんは『自由とは移動の自由』と言うんです。自由に好きな場所にいけることが自由。人々の流出と流入があることで都市は活性化してきた」
動くだけでなく、立ち止まり、交錯し、ふれ合うことが活性化なら、エポック的・ランドマーク的な場所とは?
「今日ご飯を食べても、明日にはまたお腹がすく。人は飲食店に毎日でも移動します。そこで出会いが生まれる」
飲食店が多い街なら、行き交う人々も多くなる。
「都市が活性化しているというのは、飲食店が元気であるという事だと思うんです」
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▲100人が自由に移動するよりも、1000人が自由に移動する方が、より活性化している。その究極の姿がここNY。 |
「堺の活性化の決まり文句の一つに、『堺から世界へ』という言葉がありますが、日本語で駄洒落を言うても外国人にはわかりませんよ。そもそも何をもって『世界へ』と言っているのでしょうか」
樋口さんにとって、その答えは明確です。たったひとつの究極に活性化した都市に答えがある。
「世界で認められるのは、ロンドンでもなく、パリでもなく、ニューヨークで成功することです」
ニューヨークこそが、世界最大・最先端の都市。
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▲ 樋口さんの奥さんは『ウォルストリートジャーナル』に推薦された経験があります。採用はされなかったものの、推薦されるだけのポテンシャルが認められNYでインターンに。アメリカとは、そんな実力社会です。 |
樋口さんがニューヨークで働いていた奥さんを訪ねた時のこと。持参した堺特産品は、ニューヨーカーには高評価でした。
「フランス人のデザイナーがカフェを作りたいって言うんで、『日本の手ぬぐいや地下足袋にキミのデザインをいれて店員のユニフォームにしたらどう?』 なんて」
堺の品物を現地のデザイナーとコラボする。それこそが『堺から世界へ』ではないか。
「タイムズスクエアで『堺祭り』をすればいいんですよ。そこで堺のものを売って認めさせるんですよ。極端な例ですが、具体的なビジョンが必要なんです」
世界最高金額の広告で摩天楼に輝く『堺』の文字。たとえばそんなビジョン。
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▲コスタミリア・グループの仲間が製作したおしゃれな地下足袋「祭神」。和の伝統と海外のデザインの融合も可能。 |
▲NYは”メルティング・ポット”。国籍、肌の色、セクシャリティ…雑多な人が自由に
出入りし混然としたパワーを持つ場所が”都市”。 |
樋口さん自身の夢もニューヨークにあります。
「かつて作家の中上健次は、故郷の新宮で『熊野大学』と称して、当時の一流の文学者を呼び、田舎のおばあちゃんを前に『これが今、世界最高水準の文学論だ』と言って講演しました。いつどこにいても世界最高水準を目指して仕事をすべきなんです」
野球少年がいつかはメジャーリーグにと思うように、自分もいつかはニューヨークに、と思うのは当然なことだと。
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▲デザインや広告、音楽関係の書籍以外にも中上健次や村上龍の本もずらり。 |
■3rd Theme~プロとして得たものを今さらに
「経営者としての成功は諦めました。経営者は人を育てるものですが、自分は人を育ててこなかった」
樋口さんにとって仕事はバンドのセッションと同じです。
「毎回のプロジェクトは、アルバムを一枚作るような感覚で、この人と一緒にやったら面白いだろうなと思って仕事をするんです」
府大の前川さんや、商工会議所の有馬さん、あるいはニューヨークのデザイナーのような、自分には無いものをもっている人とコラボレーションしたい。
「僕もプレイしたい。どうせなら自分よりうまい人とやりたい。自分の弟子とプレイしても面白くないでしょ」
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▲プロジェクトは一枚のアルバムを作る感覚で。 |
しかし、若い人たちと接する内に違う思いも生まれてきました。
「自称元祖フリーターですから、昔は若い人には『就職なんてせずバイトで食っていけばいい』とか『50社面接して50社目に受かったとして、それが本当に自分のやりたい事なのか?』なんて言ってたんですが、今は状況が深刻過ぎるし、若い人はあまりにも真面目すぎる」
そんな状況に、プロとして培ってきたモノを若い人に伝えたいと思うようになったのです。
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▲府大の学生たちとプロジェクトのミーティング。 |
「府大の学生さんに限らず若い人にプロジェクトに参加してもらいたい。アルバイトになるか、原稿取りで回ってもらうだけかもしれないけれど、お金は払いたいですね」
ボランティアだと、うまくいかなくなった時に気持ちが折れて続かなくなる人を多くみてきました。プロなら「成功」は至上命題で、「成功」して次につなげないと終わりです。責任感がくじけそうな時も支えになります。
樋口さんは、自分は呼ばれていって芸を披露する芸人と同じだと言います。プロの芸人として、失敗の許されないステージに上がっている。そのステージに若い人をあげたい。
「外に向かっていく時」が今やってきたのです。府大での講座をきっかけに、樋口さんの仕事も新しい段階を迎えようとしています。
■postlude~都市と貧しさ
ニューヨークを初めて訪れた時、どこも既視感に満ちていました。
「あの街角も、この店も、みんな映画で見たことがある。どこもかしこも見たことのあるものだらけで、『そんなもの知っているよ』と言うものばかりでした」
映画や音楽など自分を形作っているものが、いかにアメリカかアメリカ経由で入ってきたものばかりだったかを再確認しました。
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▲敬愛するブルースマン、マディ・ウォーターのシカゴにあるお墓に「父親の墓参りにもいかないのに」生まれて初めて墓参り。 |
「アメリカのエンターテイメントを嫌っている部分はあるんだけれど、MoMA(ニューヨーク近代美術館)にいってアンディ・ウォホールの本物を見たら、やっぱりすごいなって」
MoMAでは入場料の安さにも驚きました。アメリカで一番高い入場料とはいえ1000円しかしない。それに金曜日の夕方からは無料になるのです。
「列に並ばないといけないかもしれないけれど、金が無くてもアートを見たい人間には、見る機会を与える、そんな文化があった。それに比べると日本は、なんて貧しいんだろうと思った」
世界最大、あるいは唯一の『都市』で樋口さんが感じたものは、自らのルーツ、そして『都市』の豊かさと、日本の貧しさだったのです。
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▲目指す世界最高峰にたどりくつまであと何マイルあるのでしょうか? |
樋口恵介
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