インタビュー

堺からホップ、ステップ、……!!

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彼女は迷い、悩みの中にいました。
歌うことは大好き。音楽に親しんできたけれど、音楽活動を続けていくのか。
10年前、答えが出せないまま西表島へ向かった彼女は、現地のアーティストの凱旋ライブを見て衝撃を受けます。
「どうして自分はあのステージの上にいないんだろう」
あのステージにあがりたい。歌手・石原志織が羽ばたくことを決めた瞬間。しかし迷い悩む事がいっそ深まっていくのもこの時からでした。
#ON THE STREET
帰郷した石原さんはバンドを結成しますが、数年後にバンドは解散し、音楽活動もやめてしまおうかと揺れました。
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▲石原志織さん。
そんな時、1人のミュージシャンと出会います。同じ地元の彼もバンドを解散したばかりでした。
「何もしてないのならストリートに行こうよ」
そう石原さんが誘ったのが、たつをさん。関西の朝の顔・TV番組『おはよう朝日です』のリポーターとしてご存じの方は多いでしょう。
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▲堺東の駅前でストリートライブをはじめた石原さんとたつをさん。
2人は堺東の駅前に立ちますが、悩んでいることが伝わるのか、お客様によく怒られました。
「その頃、うつむいて歌うくせがあったんです。お客様から『君は誰に向かって歌っているんだ』なんて言われて。本当は『自分のために歌ってます』って言いたかったけれど、綺麗事や建前で『みんなのために歌ってます』なんて言ってしまったのを覚えています」
……なんでそんなに歌えるのに、もっと表現しないの?
そう言われても、「あなたになにがわかるねん」と反発を感じることも。
「でも、歌っていると人が増えてきて、『CDを出さないの?』と言われたり、泣いてくれる人がいたんです」
ライブハウスより間近な距離で、お客様が素直に感情をぶつけてくるのがストリートでした。
声援を受ける中、2人はある決断をします。告知は一切せずに極秘であるイベントに出場し、そのライブの結果次第でその後歌を続けるか続けないか決めようと。
決意をもって挑んだライブで見たのは、2人を待っていたバンド時代のファンたちでした。
「極秘にしてたはずなのに、どこからか情報が漏れてしまったんでしょうね」
ステージ上で泣きながら歌ったという石原さんは「この人たちがいるなら歌わなければならない」と決意を新たにします。
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「ちょうど1枚目のCDを作り始めていた頃でした。『自分だけのものじゃないんだ、音楽は』とまじまじと噛みしめながら作ったんです」
こうして「思い入れのある一枚」というファーストアルバム『そらゆめ』が完成します。
「堺東のファンのためにも、昔のバンドのファンのためにも」
そんな石原さんにTV番組のタイアップ曲の話が舞い込みます。そこで必要とされたのは、もっと多くの人に支持される曲を作ることでした。
#ORANGE
「たとえばジャニーズの曲なんかをイメージしてもらえればいいかと思います。単純なコードで耳に残る曲です」
万人が好きになってくれるような、いわゆる『売れ筋』の曲は、ソングライターとしての石原さんには、どちらかといえば苦手な路線です。
「悩みながら作ったんです」
締切がどんどん近づいていく中、絞り出すようにして生まれたのが『オレンジ』でした。
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▲『オレンジ』が収録されたミニアルバム『たびどり』。「これまで作った曲のどの曲が好き? って良く聞かれますけれど。どの曲も好き。どれもいいやろって」

 

『オレンジ』は、関西の人気TV番組『魔法のレストラン』のエンディング曲として2009年4月から1年間放送されます。
「『マホレスの子やな』と思われるようになって随分助かりました」
知名度だけではありません。自分の嗜好だけでなく、高いクオリティが求められる中で作られた『オレンジ』はステージでも石原さんを支えてくれました。
「色んなライブの軸になる曲が出来たんです」
アップテンポの『オレンジ』は、一際会場を盛り上げる曲でした。
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▲目標を山の上とすると「まだ海からも出ていませんけど」
一歩高いステージへ足をかけた石原さんですが、目指す目標や夢はあるのでしょうか?
「夢ははっきりとあります。それは桑田佳祐さんと一緒に歌うことです」
親の代からの筋金入りの『サザンオールスターズ』ファンです。
「漠然と売れたらいいなとか、誰かの目にとまればいいなとか、そんな風には思っていません。シビアに考えていますよ」
ぼんやりとではあっても目指す頂への道は見えています。
桑田佳祐は、東北大震災の際に所属事務所『アミューズ』の歌手や俳優を集めたチャリティーアルバムを作り、アーティストによる支援の一つの形を示しました。
実は石原さんも、大震災と浅からぬ縁があり、忘れられない経験をしています。
#GREAT EARTHQUAKE
大震災直後、看護師でもあるたつをさんは、AMDA(非営利で緊急人道支援活動を行うNPO法人)のメンバーとして10日後には現地入りをしていました。
「ものすごく不謹慎なことなんですが、たつをはギターを持っていってたんです」
眉をひそめられるのも当然でしたが、心のケアを担当するたつをさんにはギターが必要な時が来るという予感があったのだそうです。
実際、ひどい状況ながらも時間がたち少し落ち着いてくると、「たつをさんはギターを持っている」とみんなが集まってくるようになります。そんな中、一人の高校生が一本のギターを持ってきます。それは津波にさらわれ泥だらけになった誰のものともわからないギターでした。
ギターを託されたたつをさんは、再会を約束して帰阪します。
1年後約束は果たされます。
たつをさんは、泥の抜けないギターと、石原さんを伴って被災地を訪れたのでした。
「瓦礫は海の方へと寄せられていましたが、まだ何もないままでした」
その場に立った体はいつの間にか震えだし涙が止まりませんでした。
丁度、3月11日。
石原さんは「どういう気持ちで歌っていいかわからない」心境に陥り、当時の医療スタッフからも、「今日はお経をあげたり、故人を偲ぶ日だから、歌うべきではない」と告げられていました。

 

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そんな中訪れた岩手県大槌町の復興食堂では、家族を亡くした多くの人から『歌ってよ』と頼まれ、『川の流れのように』を歌い始めたものの、やはり気持ちはボロボロで涙が溢れほとんど歌うことは出来ません。気が付くと石原さんは謝っていました。
「1年間大阪にいてボランティアでチャリティライブに出て、支援してますという気持ちでいても何もわかっていませんでした。すごいかっこつけてやってました」
そんな石原さんを人々は慰めます。
「もう泣かないで。僕らは前に進むしかないから。ひさしぶりに泣いてくれる人に出会えてよかった」
この人たちと一緒に進む仲間になりたい、そんな思いが生まれました。

 

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▲大阪で修理したギターはいまだに泥が抜けきらないままです。
最後の日。
2人が大槌町の役場で泥のギターと記念の写真を撮っていると、「何をしているの」と一組の親子が声をかけてきました。歌いに来たのだと説明すると、父親が言いました。
「嫁が最後にいたのがこの役場なんだ。嫁が聞いているかもしれないから歌ってほしい」
聞きたいと思ってくれる人がいるなら歌おうと、2人は歌いました。
「歌い終わった後、たつをと2人で言ったんです。誰もいないけれど色んな人の顔が見えたねって」
伝えたいと思って歌えば、誰かが聞いてくれる。そんな実感を持ったのです。
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▲名前も連絡先も分からない親子でしたが、とっていた画像を頼りに翌年現地を訪れ奇跡的な再会を果たしました。「来年もまた行こうと、たつをと言っています」
#HOMELAND
大阪市内や東北での活動を経て、2人は故郷の堺を意識したイベントを開催しようとしています。
「市内で仕事をしていると、堺が恋しくなるんです」
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▲堺市民会館。大阪市内ではライブも音楽のみなのに対して、堺では自分をさらけ出して面白いことをしようと分けています。
堺を愛する2人が立ち上げたイベント『ホップステップや堺』は、堺市民会館での開催を目指してはじまりました。
「小学校の合唱コンクールからはじまり、成人式など節目節目でお世話になっていた市民会館には思い入れが深くて、目標にしていたんです」
その市民会館が建て直しのために取り壊されることとなり、今年(2013年)が最後のチャンス。ならばやるしかないと、イベント開催4回目にしてついに夢をかなえたのです。
「お芝居もあれば歌もある」このイベントには、2人にゆかりのあるプロのパフォーマーたちも出演しています。

 

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▲「ちょけたポスターやけど真剣です」
お芝居は、『わがまま○○』と題してこれまでも「さかい旅館」「さかい病院」など架空の舞台を設定にしてきましたが、今回は『わがまま警察署長』。
「普段の音楽活動でも私をたつをがサポートする関係にあるので、それを誇張する形でお芝居にした方がファンの方にも分かりやすいですから」
コントじたてのお芝居で、もちろん石原さんの歌も楽しむこともできます。
「舞台の大道具は毎回本格的なものを組み立ててくれています。今回はステージの規模が大きくて頭を抱えていますけど」
市民会館の小ホールは、今までの会場の倍の大きさで、ステージの規模も巨大。舞台装置だけでなく、音響などの設備も大掛かりになります。
「きっとみんな当日はてんぱってて大変だと思います。私も大きなステージの上での演技はうまくいくかどうか」
そんな大変な思いをしてまで、なぜ大きなイベントを目指したのでしょうか。
「色んな挑戦を皆さんに見て欲しいんです。『夢は叶う……』じゃないけれど、何かに挑戦する姿でお手本になりたいという気持ちがあるんです」
歌を中心に据えながらも、様々なことに挑戦してより高いステージを目指したい。
「とても自分たちだけでできるステージじゃないから、みんなの助けを借りてステップアップして恩返しをしたいんです」
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▲「胸をはって堺出身ですって言いたい。堺っ子であることに誇りをもって音楽をしたい」

 

被災地で歌ったことも、このステージで行かされるはず。
「音楽に対する考え方も変わりました。ステージに自分たちの愛がないと、相手も受け取れない。皆を楽しませたいし、伝えたい。気持ちを込めて歌います」
……誰に向かって歌っているの? そう問い詰められたストリートから今まで、多くのことを学んできました。

 

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▲ビッグになって堺に帰ってきて「おかえり」と言われたい。
堺市民会館でイベントをやりたい。その夢はまもなく叶います。ではその次は、もちろん決まってます。
「堺市民会館が建て代わったら、そのこけら落とし公演なんていいですよね!」
来春にはニューアルバムの発売も予定。堺を愛し、堺から羽ばたく石原さんとたつをさんに今後も注目です。
石原志織
石原志織オフィシャルサイト:http://www.sakai.zaq.ne.jp/ishiharashiori/

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