インタビュー

竹工芸作家 田辺小竹さん

田辺小竹さん。このひとを、どう表現すればよいのか…。
無駄なものを一切剥ぎ取った日々の生活は、ただひとつの「意識」のもとに、突き動かされているのではないか…小竹さんを訪ねるたびに、そう思えてなりません。

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お父さまである3代目 田辺竹雲斎氏と共に暮らすご自宅。日本人の持つ”おもてなしの心”を意識した造り。

中庭では、いろは紅葉や石蕗、竹が和ませてくれます。植えられたばかりでまだ幼く、可愛らしい。

田辺小竹さんは、1973年、ここ堺に生まれました。
曽祖父は初代 田辺竹雲斎、祖父は2代目 田辺竹雲斎。そして3代目 田辺竹雲斎氏がお父さまという、代々「田辺竹雲斎」が持つ独自の竹工芸技術を相伝されてきたお家柄です。
初代 田辺小竹であったお父さまから、”2代目 田辺小竹”を襲名されたのは2006年のこと。

生まれたときから笹の揺れる音のなかで育ち、今でも笹の音を聞くと気持ちが安らぐと仰います。
「自然のものに触れていると、自然に対して敏感になります。
目の前に当たり前にある笹の、こすれる音、揺れる影、雨の音、風の音…それらと一体になるような感覚。
そんな中から、僕たちの作品は生まれてくるんです。」

竹で作られた香合。初代 田辺竹雲斎氏の作品とともに美しく配置されています。

物心ついたときから竹で遊んでいたという小竹さん。偉大なお爺さまやお父さまの作品を間近で見ることで、幼いなかにも何かを感じ取っていたのではないでしょうか。小竹さんの作る作品は、繊細で、理論的かつ大胆。
まさに田辺家のDNAを受け継ぐものだけが出せる表現力。

出来上がったばかりの作品たち。背後にある、揺れる笹の影すら、作品の一部。竹工芸作品の特徴的な技法のひとつ「透かし編み」は、映る陰影も計算されてのこと。

生まれたときから、竹を扱う者…”跡を継ぐ者”として教育を受けてこられた小竹さんも、高校時代まで美術に関する知識はほとんど無かったんだそう。
でも、ある先生との出会いが、運命を変えます。
「大阪市立工芸高校という美術系の高校に通っていたのですが、彫刻の先生が美術に対しての”価値観”について、色々と教えて下さって。」
先生が与えてくれた様々な知識は、小竹さんにも多大な”価値観”をもたらしてくれました。
今があるのも、「美術を愛するきっかけを作ってくれた、先生との出会いのおかげ」と振り返ります。

しかし東京藝術大学に入学してまもなく、見えない大きな壁が、小竹さんに立ちはだかりました。
自分の、本当に進みたい道、行き着きたい場所とは、一体どこなのか…?
「実は、竹を選ぶまで、かなり悩んだ時期がありました。一時は大学にも行かず旅に出て。」
小竹さん曰く「迷走・躓きの時期」は、約2年ほど続くことになります。
旅を続け、様々な体験を重ねていくにつれ、やはり”竹”がしたい、と心から思えた…
想像もつかないような葛藤の末、小竹さんは最終的に”竹”を手に取ることを決意されたのでした。

その後は大学に戻り、迷うことなく、”竹”と向き合う日々が続きます。
彫刻の素材に”竹”を扱う学生は小竹さんただひとり。「みんな面白がってくれた」と、嬉しそうに笑います。なんだか楽しい学生生活が垣間見えたよう。

竹を扱ううち、だんだんと馴染んでいく感覚が手に蘇り、さらに育っていきました。
理屈ではなく、ただ、心にすうっと染み込んでいくもの。
それを追うように、確かめるように、”竹”作品を作り続ける小竹さんの姿はきっと、お父様・竹雲斎氏の、まさに本懐。
迷惑をかけたぶん、そして失われた時間を取り戻すように、竹工芸の世界を邁進する小竹さん。数年後には個展を開くほどに、作品は完成されていったのです。

人生の分岐点は再び訪れます。
それは今から10年前、あの9.11アメリカ同時多発テロ事件がきっかけでした。
フィラデルフィア美術館で大きな展覧会(フィラデルフィアクラフトショー)を開くにあたり、日本では著名作家17名に声がかけられました。ただ、テロ事件直後だったため、そのほとんどが出展を辞退したのです。廻りまわって、小竹さんにも声がかかってきました。
「是非行かせてもらいます!って、即答でした(笑)」
招集された作家のなかで、小竹さんは最年少の27歳。ところが海外では、年齢など関係なく才能を認めるべき、という雰囲気。なんと、クラフトショーに出展した全ての作品が、
「景気も手伝ってか、全て売れたんです。」
無名の若手作家の作品が次々と売れていく…日本ではまず考えられません。
さらに出展した作品のひとつを、フィラデルフィア美術館が「是非買い取りたい」との申し出。
突然舞い降りてきた、現実離れした現実。

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2004年に発表された作品、『つながり』。捻り込まれるような空間は、まるでインスタレーションのよう。

フィラデルフィア美術館に買い上げられた作品、『つながり』。

そして信じられないような光景も目にします。
送迎車はリムジン、タキシードに身を包み、レッドカーペットの上を歩き、まるで映画祭のように展覧会場へ訪れるお客さまたち…。そんなセレブを目の当たりにし、「アートにもこんな華々しい世界があるのだ」と衝撃を受けたのだそう。
「日本の偉大な芸術家」としてアメリカに認知された小竹さん。関係者のパーティに出席すれば、信じられないほどの大物達と自然に名刺交換している自分を、「まさにアメリカンドリーム。夢の中にいたよう」と振り返ります。
「特に、曽祖父の代からの竹工芸作家というのが、海外では受け入れ易かった。どうして竹を選んだのかと質問されても、きちんと答えられる。僕は曽祖父の代からの竹細工職人で…とね。なんとなく竹を選んだのではなく、代々受け継がれる技を、アートに昇華しているんだと。僕のルーツから作品まで、筋が一本通っている。」
作家自身の哲学が大事なのだ、と痛感したそうです。
日本人が持つ独特の美意識…その核を伝える役割りを担うには、十分すぎる資質でした。

竹の凛としたたたずまい、しなやかさや強さ、全てが好きだと、小竹さんは言います。
「海外にもバンブーアート専門のギャラリーがありますが、日本でももっと竹の魅力を再発見してほしいと思います。竹を使った生活雑貨は海外にもありますが、伝統工芸としての美術品に、竹を取り入れているのは日本だけなんです。」
海外での生活に触れたからこそ、竹工芸の素晴らしさ、日本文化の奥深さを再確認できた。今後は日本国内でも竹工芸を発信していきたいと、抱負を語ります。
「JR堺市駅で竹工芸教室を開いています。まずは地元の方に、竹の素晴らしさを知ってもらおうと思って。」
田辺小竹さんご自身が講師を勤めておられます。なんと贅沢な…。

伊勢神宮の、遷宮(20年に1度の内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)正殿の作り替えのこと)の際に奉納される神宝・葛編みについて教えて頂きました。
「この葛編みは20年に一度、伝統的な工程を経て、3年かけて作ります。まず、葛を育てることから始まって、その中から理想的な葛を選び、煮込み、乾かし…十分な量になるまで繰り返し、それから初めて編んでいくんです。」
目も眩むような、大変な作業の繰り返し。この伝統的な葛編みを再現できるのは、小竹さんと、95歳のお爺さんふたりのみ。葛編みの最後の伝承者が亡くなられ、技法は一切絶えてしまいました。小竹さんは、葛編みの発祥地、滋賀県水口市を訪れ、水口細工復興研究会の方々と共に、葛編みを復刻することに見事成功したのです。
昨年、ようやくこの葛編みが完成したとのこと。
「日本古来の技法、文化を、継承していきたいんです。」
この一言に、えもいわれぬ切なさを感じるのは、私だけでしょうか…。

田辺家の和室には、2代目 田辺竹雲斎氏自作の掛け軸が。書・画・茶などを嗜むのは竹工芸家としての素養。初代田辺竹雲斎氏は華道家元でもありました。

田辺小竹さんというひととお話していると、まるで、凪いだ水面の向こう側にある「何か」を見据えているような、何者も抗えない美学を感じます。
日本文化が持つ、独特の美。
その日本独自の文化を、我々は、どれだけ理解しているのだろうか。
日本文化を未来へ引き継ぐ—。
小竹さんが、自身の作品から伝えたいのはきっと、日本人であることの誇りをけして失ってはいけないという「意識」。それを伝えることこそ、日本独自の伝統技術をもつ自分達の、『田辺小竹』の責任なのだと。
でも私はこう思います。知識や情報を共有できる現代だからこそ、自分自身の力で、生まれてきた「国」を理解し、愛することが必要なのではないでしょうか。小竹さんの、追い求める「意識」に触れるたび、そう考えてしまうのです。
どんな作品を作れば、目指す意識が伝わるのかなど、誰も教えてはくれません。常に自分との戦い。その狭間に、小竹さんの作品は生まれてくるのです。

「伝統工芸には大きなプラスαがないと、誰も見向きもしません。」

以下、田辺小竹さん2010年12月09日のブログから。

●竹の継承
親から子供へ
祖父から、孫へ
文化を家族に相伝することは
日本の文化の継承の素晴らしさの一つだと思います。
親の姿や精神を感じそれを子に伝えていく。
私はあえて両親と子供と一緒に住んでいます。
それは父や母の考えや生き様を学び
そして子に伝えていきたいからです。
私が竹と家族を愛することで子供たちも
また 竹と家族を愛してくれたらと思います。

5月に名古屋高島屋、7月には大阪高島屋で、田辺小竹さんの個展が開催されます。
日程が決まり次第、つーる・ど・堺で告知します。
田辺小竹さんの世界を堪能しに、ぜひ足を運んでみてください。

※作品写真・中庭写真は、田辺小竹さんご自身からご提供頂きました。ご協力ありがとうございました。


ayano

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