大江畳店
【七道特集・ものづくり編】
お茶室、お寺、お屋敷・・・堺の畳は、堺の歴史と文化により育まれました。
「畳は畳でしょ?」いいえ。知れば知るほど奥が深いのが畳の世界。
5年前、七道に「畳のショールーム」を開設。斬新なデザイン感覚で畳の魅力に光を当てる一方で、今や幻となりつつある「手縫い畳」を継承していこうと奮闘する大江畳店をご紹介します。
■大江俊幸さん(大江畳店2代目 畳職人)
「ショールームはお客さんを接客する場所。実家と作業場は永代町にあって、父の代から畳はそこで作っています。10年前から、僕も父と一緒に畳を作っています。」
俊幸さんのお住まいはショールームの上階。ショールームから作業場までは車で約10分の距離。そこを毎日行き来しています。
「デザイン性を重視するお客さまならショールームに来ていただきます。サンプルや※ホームページの施工例を見ながらのご相談もできますから。」
※大江畳店の公式ホームページ(俊幸さんの労作です!)
■ショールーム / 福助人形とミニ畳
■ショールーム / 左:黒の畳と襖
ショールームを訪れてまず驚かされるのが黒い畳。襖も畳の色に合わせて特注したという黒。目の前にあるのは間違いなく畳。でも畳ってこんなに素敵だった?畳のイメージがガラリと一転、自分の家に置いたらどうかな?とワクワクさせてくれます。
「畳屋はしんどいし汚いと思っていたので、継ぎたくなかったんです。」
俊幸さんは高校を卒業すると、足袋の老舗 福助 (実家から徒歩5分!) に就職。「時代を越えて伝承されてきた商品の中に技術の深さや大事さがあるということを福助で教わりました。」畳も足袋同様、昔からある商品。しかも畳屋にとって足袋は必需品。「父親にサンプルを履いてくれと頼むうち畳の話をするようになって」畳の技術に興味を持ち始めます。
その後ブランド肌着を担当。デザイン、売り方、商品の見せ方などの感覚を磨きます。流行に敏感になる一方で「根本にあるべきはしっかりとした技術」という考えを強めていきます。そして6年後に退職。実家の大江畳店を継ぎます。「好きでやり始めたので今は嫌だと思うことはないです。」
■ショールーム / 畳縁の見本帳とゴザの椅子(家具屋さんとのコラボ)
「ショールームは古臭い畳のイメージを変えたいと思ってやっています。でも前提にあるのは畳屋を見直してもらうこと。本物の畳の良さを理解してもらうこと。」
畳を外してフローリングにする人が増えています。「世間では畳の価値が十分に理解されていない。」そこでショールームの出番。「目線を変えることによって畳が見直されれば、昔の畳も戻ってくると思っています。だから奇抜なデザインの畳も扱いながら、畳に興味を持ってくれた人に昔の畳もいいですよと伝えています。」
■ショールーム / 熊本産 “い草” の畳表
い草は備後表(びんごおもて)の広島産が有名。今では熊本産が主流。
「昔の畳」と「今の畳」、どこが違うのでしょうか?
本来畳は藁でできた「床(とこ)」とい草でできた「畳表」を縫い合わせたもの。昔は手で縫うのが当たり前でしたが、今は全国の畳屋のほとんどが機械縫いです。機械縫いであれば誰でも短期間で習得できる上、速く安く仕上げることができます。「大阪は安さを重視するので特に手縫いの仕事は少なくて、うちの仕事も90%は機械縫いです。手縫いの仕事があるのは東京、京都、あとは古い家が残っている地方ですね。」機械化が進んだもう一つの理由は、床の素材が藁から発砲スチロールなどに変化したこと。手縫いの糸ではスルッと抜けてしまうため、機械によるミシン縫いになったという訳です。「昔の畳は手で縫って締めてガッチリ作ってるんです。」
「藁床」と「国産のい草」を使った「本物の畳」、その良さとは?
「使い心地が全然違いますね。なんともいえへん寝心地、すわり心地、ふわっとした弾力性。藁床にもピンキリがあって、昔の大きい家などに入っているものはものすごくいい。長時間座っていてもお尻が痛くならないです。」い草もピンキリ。上質の畳表は普及品と比べると目の詰まり方、光沢、手触り、厚みなどが全く違います。「それに時間の経過とともにまんべんなくきれいに色が変わります。」
■ショールーム / 畳が出来るまでのプロセスを解説したパネル
小学校から依頼されて生徒の見学も受け入れています。パネルは俊幸さんの自作。家に畳がないので畳がどんなものかを知らない子どもも多いそう。畳に興味を持ってくれて、将来のお客さんになってくれるといいですね!
畳屋としての目標は?
「ぎょうさん儲けるというよりは、楽しく(笑)。最終的には手で縫う仕事がしたいです。新しいことをやりながら畳のファンを増やしていけば、いずれ30代、40代の方でも昔ながらの畳を頼む人が出てくるかもしれない。それまでに手縫いの技術を高めておかないと。」
・・・そんなお話を聞いているうちに、ぜひ畳を作る現場も紹介しなければという気持ちに。
今回、取材のためご厚意により手縫いの作業をセッティングしていただきました。
職人さんが培ってきたものの中にはマニュアル化できない知恵や工夫がたくさんあります。リップサービスとは無縁の、昔気質な職人さんの確かな技。その裏側に潜む美学を感じとっていただければ幸いです。
★ここからは作業場(永代町)のレポートです。
■大江俊次さん(大江畳店1代目 畳職人)
俊次さんは堺で手縫い畳の仕事ができる最後の職人といわれた人。堺の大江といえば業界で知らない人はいないほどの重鎮です。俊次さんが係わった堺の寺社といえば南宗寺や開口神社、本願寺堺別院など。南宗寺では利休ゆかりの3畳の本茶室を手がけました。他にも関西圏内であれば、滝谷不動、道明寺天満宮、高野山、護国神社。一般住宅では浜寺や芦屋のお屋敷なども。
「入口付近の畳はよく踏まれるので細かく縫う。踏まれないところは少し粗い目に。職人は傷まないように考えて作っています。」いい職人は、素材の選び方にしろ置き方にしろ、その家に相応しいように長持ちをするようにと考えて仕事をします。「職人はお客さんにいちいち説明はしないけれど、そういうことをちゃんとやっています。」
会社で営業のやり方を身につけた俊幸さん。一方俊次さんは「僕は営業が出来ないんです。上手く説明ができない。習っていないから」と。その分職人としての誇りは人一倍。「ひとつのもんをこさえるのに、こんだけ時間をかけて手間をかけるんやからね。」
■左:包丁の刃は研いでいくうち小さくなる 右:手を保護する金具
■左:俊幸さん 右:俊次さん(針で糸を切っているところ)
左利きの俊幸さんと右利きの俊次さん。「縫う方向が違うため、1枚の畳を途中で手伝うことはできません。」なるほど!
店の前は昔の街道を思わせるような情緒ある静かな通り。聞こえてくるのは畳の表面を手で払うシュシュシュという音と力を入れる時に出る息の音だけ。「たまに外で仕事をすると、歩いている人も車も止まって見る。めずらしなー、なつかしなーとか言って。」畳の話をする俊次さんの顔はキラキラ輝いています。
「父と僕とでは道具の扱い方、仕事の手順が全然違います。父は一切無駄のないように先を読みながらやっていますから」と職人俊次さんに尊敬の眼差しを向ける俊幸さん。畳の知識についても「お茶室やお寺などの畳には特殊な決まりごとがあるのですが、父のようにそれをちゃんとわかっている職人は稀少」と。
■棕櫚(しゅろ)の畳と畳縁
「棕櫚は高級素材。それに相応しい畳縁を合わせないといけない」と俊次さん
俊幸さんは納品先で捨てられる運命にある古い手縫い畳を貰って帰ることがあります。手縫い畳は、糸をほどいて新しい畳表に交換して縫い合わせれば再生が可能。「でもこれは練習用。いざ手縫いの注文が来た時に恥ずかしくない仕事ができるように。」棕櫚を使った高級畳や100%藁を使った畳は滅多にお目にかかれない貴重品。それらを大切に保管しています。
「父の時代のように毎日手縫いの仕事をしていたら手に職がついてくるのですが、今は仕事がないので習得するのに時間がかかるんです。自分が覚えるためにも、自分で手縫いの仕事を取ってこないといけないんです(笑)」
営業もこなしながら職人としての技を磨くことに余念がない俊幸さん。本物の畳を求めて若い人がぞくぞくと堺にやってくる・・・そんな時代を俊幸さんが作ってくれると期待、いや信じています。
■大江畳工房 (ショールーム)
堺市堺区山本町2丁65-26
TEL.072-229-3554
FAX.072-229-3554
営業:月・火・水・金・土(AM11:00~PM7:00)
休日:木・日・祝
※ショールーム予約制
http://www.ooetatami.com/
■大江畳店
堺市堺区永代町2丁2-29
TEL.072-221-4145
FAX.072-232-1315
携帯:090-1718-0514
メール:mail@ooetatami.com
営業:無休(AM8:00~PM7:00)
※日曜日は都合により休む場合あり
※畳配達等で留守の場合携帯にTEL