鯨山車 追跡レポート3【神輿渡御祭・前編】
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8月1日(月)は住吉大社夏祭りの最終日です。
7月24日(日)に奉納を終え、そのまま住吉大社に祭られていた鯨山車(くじらだし)。この日、神輿の行列とともに住吉大社を出発し、堺宿院頓宮へ渡御します。
堺駅1時45分。さあ、鯨山車を追跡しますよ~。電チャリを飛ばして、いざ住吉大社へ~。行列が住吉大社を出発するのは2時30分。急げーーー!
2時すぎに住吉大社前に到着。
阪堺線「住吉鳥居前」の電停付近は、観客で溢れかえっています。
行列はこの電車道を通ります。住吉大社への入場が禁止されているため、観客のみなさんは自分なりのベストポジションを確保しようと懸命です。
チン電の乗務員さんたち、少し困惑気味?
そして予定の時刻。
行列の第一陣が鳥居をくぐって出てきました。
2011年は「住吉大社鎮座1800年」という記念の年。神輿渡御の行列は、過去最大の1000人。堺市側から「鯨山車」と「鉄砲隊」が加わり、スペシャル度もアップしています。
馬に乗っていらっしゃるのは住吉大社の宮司。その後ろに「堺火縄銃」の提灯が見えます。
待ってました!堺火縄銃保存会のみなさんです。
堺の鉄砲隊を見るのは、昨秋の堺まつり以来です。白昼堂々と鉄砲を担いで電車道を歩いていますが、お祭りゆえ職質の心配はありませぬ~。
お神輿やらお姫さまやらお馬やら・・・。まるで絵巻物の世界。
「どんどんどん、ぴーひゃらり~」「べーら、べーら」。
笛・太鼓のにぎやかな音、威勢のいい神輿の掛け声が、あたりに響きます。
華やかな行列は次々と鳥居をくぐり、電車道を南下。ゆっくりゆっくり進みます。
「紀州街道」は大阪と和歌山を南北に結ぶ道。住吉大社から堺に通じる道でもあります。住吉大社の前を通る浜辺の街道は電車道に姿を変えましたが、お祭りの巡行は今もこのように残っているのです。1800年の奇跡、ですね。
あ、黒い物体。鯨山車です!一週間ご無沙汰しておりました~。お元気そうでなにより。
鯨まつりの旗に先導されています。
あれれ?鯨さんが前半分と後ろ半分に分かれて行進しています!
ずっとまっぷたつのままなのかと心配していたところ・・・
連結・・・完了。
あーよかった。
電車道から逸れて、ここは住之江区安立(あんりゅう)町。歴史を感じさせる町家や蔵、神社などが点在し、街道沿いらしい趣のある風景をつくっています。
通りにはご近所の方々がたくさん出ていらっしゃいます。年に一度のお祭りをとても楽しみにされているんですね。
道幅の狭いアーケード内には、行列の横を自転車で通り抜けるスキマなどありません。追い抜きたいが追い抜けない・・・。そこで一本裏の道を行くことに。思ったとおり、スイスイです。先回りして待っていると・・・
来たーーー!
園児たちは大きな鯨山車に唖然。
大きくなったら、鯨まつりに力を貸してね~。
ついに、鯨山車は「大和橋」に到着。大和川の対岸は堺市です。
住吉大社からここまで鯨山車を曳いてきた大浜中学校の生徒たち20名。お互いの健闘を称え合い、堺側を担当する20名にバトンタッチです。
ところで、「江戸時代以前は、この場所に大和川は無かった」という史実をご存知でしょうか。当時ここは地続きに紀州街道が通っていました。ところが元禄17年(1704年)大和川の付け替えによって街道は分断されます。そしてこの大和橋が両岸(大阪側と堺側)の街道をつなぐことになったというわけです。※現在大和川には複数の橋が架かっていますが、長い間、大和橋は堺と大阪をつなぐ唯一の橋でした。
行列のみなさんは大和橋の上で休憩タイム。
きらびやかな行列が橋の上にずらりと並んでいます。壮観。
このあといよいよ神輿が川の中を「御渡り」します。
神輿の御渡りが始まりました。2台の神輿が大阪側から川の中に入ります。一部始終を見逃すまいと、堺側の観客たちが熱く見守っています。
この後、川の中に設けられた祭壇の前で神事が行われ、神輿は堺側の担ぎ手に引き渡されます。