■今に生きる活版印刷機とグーテンベルク
漆黒のマシンが工場の片隅で静かに出番を待っています。
黒と銀。
磨き上げられたボディは、実用機械だけが持つ機能美を体現。
一瞥して別格の存在感を醸し出しているこの機械は、ドイツのハイデルベルグ社製。500年以上前の活版印刷システム創始者グーテンベルクの血脈を今に受け継いでいます。
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▲ドイツのヨハネス・グーテンベルクが活版印刷機を完成させたのは、日本ではまだ戦国時代前夜の15世紀半ば。その後改良は加えられていますが基本的な仕組みは当時のものです。 |
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▲まるで高級外車のエンジンのようで、機械そのものが格好いい。iphoneを開発する時、故スティーヴ・ジョブスはパネルのガラスにまでこだわったそうですが、そんな本物にしか出せない雰囲気があります。 |
堺区中之町にある『山本紙業』さんに”彼”はいました。
九州の片田舎に埋もれていたという50年以上前の活版印刷機はオーバーホールされ現役として活躍しています。
「うちで一番の働き者なんで、課長より偉い”ハイデル部長”です」
印刷機を操作するのは、うら若き女性社員の井上 翼さん。
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▲デザイナーの井上さん。活版印刷機が導入された日から担当を任され、80才近い職人さんから技術を受け継ぎました。教わる姿は祖父と孫のようだったとか。 |
活版印刷は一文字ずつ字を刻んだ活字を集めて印刷する版(活版)を組んで印刷します。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の作中で、主人公ジョバンニが活字拾いのバイトをしていたのを覚えている方も多いでしょう。
コンピュータで版下を作るのが当たり前となった現在、『活版印刷機』は忘れ去られようとしていました。
井上さんは、隙間に薄い板を差し込み手際よく版を組んでいきます。
「版が決めた位置にくるよう1mmの板、5mmの板をどうはめ込むか頭の中で計算して版を作ります」
コンピュータで数値を打ち込む操作と比べると、まさに手作業の職人芸。古い技術がここに蘇っています。
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▲狂いなく計算通りの位置に印刷されるように薄い板の厚みで調整します。アルミや樹脂で作った版をチタンプレートに貼り付けて印刷しています。 |
▲名刺の裏にはハイデルベルグ活版印刷機の姿が刻まれています。 |
いよいよ『ハイデル部長』を動かします。
丁度トムソン(打ち抜き)の装備をつけていたので、蝋引きした紙から紙型を切り抜いてもらいます。
ガチ、ガチッ。
レバーを操作すると駆動音が響き、スイッチを押すとセットされた紙が吸い込まれ、次々と切り抜かれた紙型が吐き出されます。
「雨の日は紙が水分を含んで丸くなって、機械からはじき飛ばされるんです。その日の天気やハイデル部長の機嫌と相談しながら調整します」
昨日動いた機械が、今日も同じように動いてくれるとは限りません。
「ハイデル部長。今日は機嫌がいいですね」
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▲「やってみますか?」と言われて操作にチャレンジ! 起動レバーと紙を送り出すボタンを同時に押す……力とタイミングがどっちらも必要で難しい! |
▲活版印刷機のトムソン加工によって切り出された紙。グーテンベルク以降も印刷機は改良が加えられていきました。高速で印刷できる円圧式の登場は19世紀初頭になります。 |
■忘れられた紙の魅力を伝えたい
『部長』と呼ばれるほどに活躍している活版印刷機ですが、これほど手間のかかるものをなぜ導入したのでしょうか? 営業課長の山本 泰三さんに話を伺いました。
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▲『課長』の山本泰三さん。「紙雑貨の開発には女性的な目線が必要ですね」 |
「山本紙業の本業は紙の卸業。僕も子供の頃から印刷会社に配達したりして紙に親しんできました」
そんな紙に精通した山本さんが注目したのは、蝋引きの紙でした。
「昔、町の肉屋や八百屋でコロッケなんかを包むのに使われていた紙です。蝋を溶かして塗った紙で、水や油に強いんですが、フィルムを貼った紙にとって代わられすっかり廃れていました。僕らが、とある会社のカタログの表紙にこの蝋引きの紙を提案した所、斬新だと高く評価されたんです」
蝋引きの紙には、独特の風合いや手触りの良さがありました。
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▲蝋引き紙のギフトバック。クッキーやドーナツを入れてお茶会に……なんて使い方が人気です。 |
▲蝋引きを表紙につかったノート。サイズも様々なものが用意されています。 |
蝋引き紙製品の高評価に山本さんは紙を販売するのと同時に、様々な紙を使って自分達を表現したいと考えるようになりました。
「紙業界で普段動く(取引きされる)紙の種類は決まったものですが、もっと色んな紙が存在します」
しかし、蝋引き紙が廃れていったのには理由がありました。
「蝋引き紙の宿命なんですが、笑ってしまうぐらいロスが出るんですよね」
蝋が垂れたりムラが出るなど、ロスになる製品を、しかしそのまま廃棄したりはしていません。
「ちくちくとアイロンがけをして手直しや追い加工しています。他社からは『なんでそんな面倒臭いことしてんの!?』って驚かれると思いますよ」
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▲蝋引きの厚紙。手前部分に蝋が垂れてムラになり固まっています。このままだと商品として販売できないロスとなってしまいます。 |
▲ムラになった蝋をアイロン掛けして手直ししたもの。これで製品として生まれ変わりました。 |
山本さんは、この面倒臭いことを手作業でやれることが、大手ではない自分達の強みだとおっしゃいます。
「何故出来るかって? それは紙に愛着があるからでしょうね」
面倒だったり手間はかかるけれど、その分独特の味わいがある。蝋引き紙や活版印刷機をわざわざ使うのも『自分達を表現する』事に他なりません。
「オフセット印刷と活版印刷を比べて、活版印刷がいいとおっしゃってくれるお客様がいますからね」
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▲左が活版印刷を使ったポストカード。少しかすれた風合いがします。パンダのイラストは井上さんの手によるもの。 |
色んな紙の魅力を伝えたいと思った山本さんは、2002年に硬質ファイバーを使った商品を販売するyama-kami部門を立ち上げ、4年前にはオリジナルのステーショナリー商品を販売するyama-kami letters部門を立ち上げます。
■喜びと文化を伝えて
喜びの笑顔。
封を解く指先。
受け取った相手のことを想像し、手紙を書き贈り物を選んでいる時間は楽しいものです。
yama-kami lettersの商品は、ただ使って捨てられるものではなく「話題になる創造性のあるもの」を目指しちょっとした工夫をしています。
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▲蝋引きのギフトボックス。小さなエッフェル塔がついています。 |
ギフトのラッピングにもこだわりたい人には嬉しいひと味違ったラインナップ。
エッフェル塔のチャームも可愛いギフトボックスは、ブームになった有名映画からヒントを得たもの。蝋引き紙を使ったマルシェバックもお菓子を入れるのに丁度いいと人気を博しています。
「イラストはシンプルなもので、流行り廃りを追いかけず5年後も10年後も使えるものを目指していますから、キャラクターに特化することはしません」
活版印刷機を使ったポストカードのイラストは何気ないもので、使う人が好きに描き加えることを想定しています。
「手で書いた文字には温度があります。もらった人が書いてもらった時間を想像できますよね」
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▲ふたつの絵柄をセットにして結婚や引っ越しなどbefore→afterで二回手紙を書ける『にどてがみ』。 |
▲イラストでお話が展開する『ストーリーメモ』。眺めるだけでも楽しめます。今日の気分で好きなメモをお使いください。 |
「『紙』は気持ちを伝えます。その使い方をもっと推し進めたいですね」
山本さんは、『紙』で包む文化にも注目しています。
「紙で包むことに意味合いがあります。たとえば金封は下から上に折り返す、包むお金も2で割り切れないようにする。こうした文化、言い伝えは受け継いでゆくべきものです」
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▲山本さんの奥様の実家は歴史のある美濃和紙のメーカー『古川紙工株式会社』。紙雑貨の製作に取りくんだのはその影響もあるとか。 |
「今後は活版の味わいを追いかけて行きます」
山本さんは活版印刷に直接触れることが出来るイベントを企画しています。
「紙cafeさんで活版のワークショップをする予定です」
オリジナルデザインの活版を作り実際に活版印刷機を使って活版の名刺を作るワークショップとのこと。紙の魅力を伝えるカフェ『
紙cafe』から山本紙業までは徒歩数分という立地を生かしてのワークショップになりそうですね。
皆さんも活版印刷を体験するワークショップに参加してみませんか?
堺市堺区中之町東1丁2番29号
Tel 072-221-3141
FAX 072-221-3571