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SKP50 第二弾 “創作SKP道成寺”(2)

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2018年5月5日に堺能楽会館開場50周年記念プロジェクト(SKP50)の第二弾「創作SKP道成寺」が開催されました。2月に1回開催されるこの特別な公演には毎回テーマがあり、今回は「日本舞踊×民族音楽」。レポート記事の前篇では、日本舞踊で演じられた「鶴亀」と「狸とタニシの伊勢参り」、ついで「よろづ屋音巡(ヨロヅヤオトメ)」の三味線ライブの様子を紹介しました。後篇では、15分の休憩を経て始まった「創作SKP道成寺」の紹介からはじめましょう。
■創作SKP道成寺Ver.49
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▲眞田流家元眞田雅透さん。狸の次は白拍子を演じます。
「道成寺」も「狸とタニシの伊勢参り」と同様、和歌山のお話です。これは和歌山県日高郡にある天台宗のお寺道成寺に伝わる「安珍・清姫伝説」をもとにしています。
「安珍・清姫伝説」とはこんな話です。
旅の美形の僧・安珍に恋をした清姫が、安珍に裏切られ蛇となって追いかけ、鐘の中に逃れた安珍を焼きした後、入水する。その後日談として、400年後の道成寺で鐘が再興された際に、実は清姫の怨霊である白拍子(遊女)が登場し、鐘供養を邪魔をするというお話。
この「安珍・清姫伝説」の後日談部分をもとにして能の「道成寺」は作られ、「道成寺」から歌舞伎の「娘道成寺」が生まれます。
「創作SKP道成寺」は、能の「道成寺」と歌舞伎の「娘道成寺」を組み合わせたものだとか。さて、一体どんな舞台になるのでしょうか。
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▲「創作SKP道成寺」に、能力役で狂言師安東元さん、謡で能楽師藤井丈雄さんも登場。
もちろん、実験的なSKP50ですから、他にはないコラボレーションによる舞台です。
まず「創作SKP道成寺」の音楽チームとして登場したのは、先ほど素晴らしいライブを披露してくれた「よろづ屋音巡(ヨロヅヤオトメ)」の帰山かおるさんと染行エリカさんのお2人。そして見慣れない楽器を持った男性2人。彼らは3月3日に開催された第一弾にも出演された、オーストラリアの先住民族アボリジナルピープルの楽器ディジュリドゥを奏でる三上賢治さん、シベリアの先住民族トゥバの楽器ドシプルール・イギルに喉歌フーメイの等々力政彦さんのユニット、スンダランドです。
三味線と先住民族の楽器という異質な組み合わせの奏でる音楽が能舞台を包むと、登場人物が姿を現します。
1人は狂言師安東元さん演じる能力(寺の下男)。もう1人は本日2度目の登場となる日本舞踊家の眞田さんです。眞田さんは素踊りで白拍子を演じます。素踊りということで、衣装は豪華な和装ですが、髪も素の眞田さんの短髪のままです。男装にて、女性のそれも遊女である白拍子の舞を眞田さんは舞うのです。そんな条件でありながら、舞えば、眞田さんの姿は妖艶な白拍子に見えてきます。さきほどはコミカルな狸として舞っていただけに、その落差にも驚かされます。
物語がすすんで中盤に入ると、シテ方観世流の能楽師藤井丈雄さんが能地謡で登場。民族楽器の調べが包む能舞台に、狂言師、日本舞踊家、能楽師が登場したことになります。同じ日本の伝統芸能ですが、これも異質なもののコラボレーションでした。
こうして、様々なルーツの表現者が、能舞台というひとつのビーカーに投げ込まれ、化学反応によって生まれた独特のアートが観客に披露されました。観客にとっては、物珍しかったり、面白かったり、きっと色んな感想が出たであろうショーでしたが、実際に化学反応のただなかにいた演者たちはどのような感想を抱いたのでしょうか。次は出演者のインタビューをお届けします。
■演者インタビュー
●よろづ屋音巡(ヨロヅヤオトメ) 帰山かおる/染行エリカ
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▲津軽三味線の染行エリカさん。津軽三味線と三味線について解説。
今回初出演で、津軽三味線と三味線の2棹で迫力のあるライブ演奏を披露してくれた「よろづ屋音巡(ヨロヅヤオトメ)」の2人に、まず登場してもらいましょう。
――お2人は、堺能楽堂の能舞台で演奏されるのは初めてなのでしょうか? 印象はいかがでしたか?
帰山「はい、能舞台自体が初めてです。歌が入る時は絶対マイクが無ければというのがあって、音響設備が無い所にはマイク持参で行くのですが、ここはマイク(の設備)が無いということで心配していたのですが、午前中に来て音を出させてもらったらほとんど痺れるような感覚になりました。将来の夢はここをマイスタジオにしたい思ったほど、音の響きが抜群でした。まるで自分が上手くなったんじゃないかという”錯覚”になるぐらい(笑)」
――それぐらいパワーのある場所だったのですね。
帰山「はい。でも多分、何かいますよね。何か降りてくるような気がしました。非科学的と言われるかわからないけれど、絶対何かいますよね」
――音がいい、何か神秘的なものを感じるというようなことを多くの演者さんがおっしゃいますね。
帰山「ええ、いい意味での緊張感がありますね。居住まいが正されるといいますか。特に今回は道成寺というすごい演目で、一緒に色んな楽器とやらせていただいて、能と舞踊とか創作の中だったのですごい楽しかったですね」
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▲三味線の帰山かおるさん。
――普段から他のジャンルの方とのコラボレーションはされているのですか? 弁天町でイベントをされるそうですが?
染行「最近は流行っていますがバンドと一緒にやることもありますし、こういう所で一緒にやらせてもらったりとか、型にとらわれずよりすそのを広げて、色んな人に見てもらいたいと思っています。弁天町のライブは3部構成になっていて、1部は洋の世界。2部は和の世界。3部は和と洋の世界でコラボレーションをします」
――今日は2棹の三味線だけで色んなタイプの曲を演奏されていて驚かされました。
染行「1人で弾くのと、2人で弾くのとでは、かなり音の広がりが違います。基本三味線は単音しか出せないので、二重奏ですると、ベースが出来てメロディが出来るので、そこですごいやれるジャンルに広がりが出ます。それに和楽器独特の間、空気感が重要ですね」
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▲能舞台をマイスタジオにという夢は叶うのか!?
●スンダランド 三上賢治/等々力政彦
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▲よろづ屋音巡さんとの共演!! しかし等々力さんが柱の陰に……。
今回は「創作道成寺」の演奏で出演したスンダランドさん。よろづ屋音巡さんとの共演は新しい出会いになったようです。
――よろづ屋音巡さんと共演になりましたが、三味線とコラボレーションしたのは初めてでしょうか?
等々力「いや、これまでもよくありますよ。津軽三味線もありますし、小唄の三味線や三線もあります。沖縄のミュージシャンともやりますので」
三上「三味線とのコラボレーションは、気持ちよかったですね。よろづ屋音巡さんとは、また一緒にやろうという話もでてきています。とても楽しみにしています」
――この舞台で生まれた新しい出会いですね。さて、今回は創作作品でしたが、音楽はどのように作ったのですか?
等々力「多分人によって皆違うと思うのですが、道成寺は情念のお話なので、(シベリアの)トゥバに伝わる領主に反抗する歌をアレンジして演奏しました。だからわかる人が聞けば、あれを使ったなってわかると思います」
――道成寺にシベリアの音楽や津軽三味線が合わさるのも、この企画ならではですよね。独特の世界観が楽しめたように思います。
三上「もっと演出の工夫もしたいですね。今日も沢山のお客様が入ってくれましたが、会場の入り口に入る所から夢の世界に入る演出を実はしたいと考えていて、戦の時に陣屋を囲む陣幕を作りたいんですよ。それを演出に使って回りたいです」
――堺といえば染め物の伝統産業もありますしね。
三上「お相撲の巡業が来る時の幟をたくさん立てるのもいいですね。お客様が入ってきた時に、これから2時間の公演の間違う世界に行ってここはどこなんだろうと”錯覚”をするきっかけになる演出をしたいですね」
――これだけスペシャリストの方が揃うと色んなことが出来そうですね。
三上「色んな事が出来るでしょうし。ここから文化が生まれている気がします。みんな楽しいって言ってますし、楽しい楽しいと言ってもらえるイベントを作るのにお役に立てていて幸せですね」
●「本読みの時間」 甲斐祐子/竹房敦司
今回は司会と「タヌキとタニシの伊勢参り」に出演された「本読みの時間」の2人。揃って和装でしたが、竹房さんにはそれで何か新しい発見があったそうです。
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▲和服姿もりりしいナレーターの竹房敦司さん。
――今回は竹房さんが演じたのはタニシですよね。貝を演じることなんてなかなかないと思うのですが、どうでしたか?
竹房「タニシである前に和服を着てほしいと、館長から話がありました。紋付き袴の本格的な着物を着ることは滅多にない体験でした。着物を着ることによって、わかることがありました。日本人の所作、座る、立つ。洋服を着ていると楽ですけれど、和服でお腹を締めると背筋が伸びる、普通に歩くと歩きにくいのですり足で歩くと、その方が楽やった。これは前回にはなかった経験ですね」
――和服を着ることで体の使い方も変わるのですか。それは面白い発見ですね。
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▲怖い話は苦手だけれど、人を怖がらせるのは楽しい。甲斐祐子さんは次回「怪談」の全体構成を担当します。
――甲斐さんは、今回は司会やナレーションでしたね。伝統をベースにしながら新しい芸術作品になっているものを紹介するのは難しくなかったですか?
甲斐「全部説明してしまうと興ざめなので、(演者さんと)相談してどこまで説明して、どこまで誤解がないようにしていくかに注意して、あとは観客目線で楽しんでいました」
――観客としての今回のイベントの感想は?
甲斐「観客としては盛り沢山でした。狂言、日本舞踊、三味線に民族楽器が融合するとこんな風になると示してくれました。どうしても身内びいきになるので、より一層面白いと思うのでしょうが、こういう融合があるということを一つ形にしてくれたことはすごいんじゃないかなと思います」
――次回のテーマは怪談ですから、今度はばっちり「本読みの時間」が出るのですよね?
甲斐「今度は私たち「本読みの時間」が全体構成をします。江戸時代の芝居小屋にタイムスリップするという、また違った趣向です。講談や薩摩琵琶のあたりは伝統語りになるので私の方はいつも通り、現代小説の所から日本の怖いおはなしを怖く語ろうかと(笑) 日本の怖い話はグロテスクというよりは、背中がぞっとするようなその涼やかさが魅力的です。実は私自身は怖い話好きじゃないのですが、人を怖がらせるのはまた別の楽しさがあります」
●眞田流家元 眞田雅透/シテ方観世流能楽師 藤井丈雄
2つの演目に登場した日本舞踊家の眞田雅透さんは、今回のテーマの軸となる演者さんでした。もう1人、SKP50創作道成寺の後半から謡で登場されたのがシテ方観世流能楽師の藤井丈雄さんです。プロデューサーでもある安東元さんによると、シテ方観世流の方が今回のようなコラボレーションに参加することは、これまでなかったことなのだそうです。滅多にないコラボレーションはどのように作られたのでしょうか!?
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▲この日は大活躍の眞田さん。
――藤井さんは、あまりコラボレーションすることがあまりないのだとか?
藤井「はい、僕ははじめてです。これまで流儀の方が厳しかったのですが、正式に届け出をすれば出来る様になった。規制緩和があったみたいですね。家元自体がコラボをされるようになったのです」
――藤井さんご自身は、伝統の中でずっとやられて来た方なのですか?
藤井「私たちは歴史は非常に浅くて、4代100年ぐらいしか続いていません。それは明治期に大政奉還で武家の文化がつぶれたんですよ。その後に、能楽ルネッサンス、武家文化ルネッサンスで武家のものが盛んになった時期があったのです。その時に能楽師を養成していこうという時代になりまして、その時に初代が出て、僕が4代目になります。僕は3才の時に「老松」で初舞台ですけれど、後は子方といって、当然子どもの役を含め、大人の役もあるのですけれど、子どもが演技する子方で活動していました。能の中で声変わりをしていない子どもがする演技があり、それが声変わりをして大人になって戻るんですけれど、それで(私も)戻って今に至ります」
――子どものころからの長い芸歴があるのですね。藤井さんにとっては舞台に立つのは楽しいものですか?
藤井「やっぱり緊張が勝ちますね。色んなタイプの人がいますが、僕は緊張が勝つ方です。やっぱり一期一会です。決まり切って、ルーティーンで、舞台では覚えていない人はいないんですけれど。また、酸欠状態にもなったりしますし。今日の場合はお化粧ですけれど、僕らも狂言もそうですけれど能面をつけると、ものすごく息がしづらくなります。そうすると体が重くなってぼうっとなって絶句したりとか。だから緊張して、舞台に出て、集中出来た時はいいんですけれどね。舞台に出て緊張が解けるんです。切り替わるんです。そして何より終わった時、終わったっていう……」
安東「解放感!」
藤井「そう解放感。そのあとのビールとかね」
安東「今、すーごいホッとしましたね。すーごい無茶ぶりやったから(笑)」
――無茶ぶりだったのですか?(笑)
藤井「適度なストレスを与えてっていう感じなのかな。眞田君なんかはウキウキで出てはるかもしれませんけど(笑)」
眞田「僕は楽しもうとしてあがりますね。緊張もしますけれど、緊張していいことないのでね」
藤井「眞田くんは、特殊ですよ。僕が聞く限り7割ぐらいの人が緊張すると言っていますね」
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▲シテ方観世流藤井丈雄さんは謡で登場。
――確かに色んな方に聞いてもどんな舞台でも緊張する。あるいは、どんな舞台でも神聖に感じると言われます。藤井さんは、この堺能楽堂の舞台は何回目になるのですか?
藤井「3~4回目になります。もともとこちらの舞台のことは知らなかったのですが、安東さんのご縁で紹介していただいて」
――舞台というのは、それぞれに個性があるものですか?
藤井「あります、あります。全く同じ作りなのですけれど不思議ですよね。何かというと雰囲気。もちろん物理的にも寸法の長さであったり違うのですけれど、それぞれ独特の空気がありますね。それは何が違うかというと、後ろの鏡松の絵が違うんですね」
――眞田さんが普段されている舞踊の舞台と能舞台は違うものなのですか?
眞田「違いますね。違うのがやりやすくもありやりにくくもあります」
――それはどういうことでしょうか?
眞田「まず舞台の構造として、橋掛かりがあるでしょう。客席に明かりがついていて、出ていった時にお客様と目があうじゃないですか。お客様の反応がわかりやすいのがやりやすい。やりにくいのも一緒で、わかりやすすぎでもある。日本舞踊の場合は、客席の電気は消えて舞台だけがある。ここの場合は全部お顔が見えるので、だから、やりやすくもあり、やりにくくもあります」
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▲プロデューサーでもある狂言師安東元さん。毎回何が飛び出してくるかわからないビックリ箱のようなイベントをプロデュースしてくれます。
――いい舞台も、そこにいい演者さんが良いものを演じてこそ生きると思うのですが、さて今日のコラボレーションの感想はいかがでしょうか?
藤井「今日の公演ですか。見ていて面白かったですね。僕らの場合は、これがダメっていう強い規制があって。もちろんその中で、(お互いの芸を)もちよりできちっとはめ込むコンポーネントを組み立てていくやり方をしたのですけれど、やっぱり新しい発見があって、今日のために作るルールが必要だったり。また能舞台の使い方というのがどうしてもありまして、板を傷つけないために、緋毛氈(ひもうせん)を置いて道具が当たらないようにしたりするとかちょっとした工夫をしました。でもやっぱり、新鮮なんですね。いつもやっていることよりは自由に、気を使いすぎている所が楽にできたり、そして何しろ面白い。より完成度を高めて行きたいな、そういう気がします」
――眞田さんは今回は、狸と白拍子というまるで違う役を、どちらも見事に演じておられましたね。ご自身では、どちらがやりやすいとかはあるのですか?
眞田「僕は狸の方が好きですね。ちゃんとするよりは、3枚目の方が踊ってて楽しいですね」
――SKP50は毎回これまでにない試みをされていますが、眞田さんにとってチャレンジなことはありましたか?
眞田「僕らにしてみれば歌舞伎的なことをするのですが、日本舞踊や歌舞伎の女形的なことが、狂言とちゃんとあうのかが一番チャレンジな部分ですけれども」
藤井「私たちでいう一番最後の仕舞でやる部分が怖かったですね。本当はもっと詰めなければだめなのですが。早さとか、チューニングっていうんでしょうね。感覚としてはコンポーネントを組んでいく感じになる。こういう形以外できないと思う」
眞田「ええ。出来ないと思いますね」
――能狂言は中世の室町時代に生まれたもので、歌舞伎や日本舞踊は近世の江戸時代に生まれたものですが、時代的な違いというものは影響しないのですか?
眞田「でもやっぱり、そもそも歌舞伎にしろ、日本舞踊にしろ、能狂言を融合して出来たものなので」
藤井「そもそも昔は歌舞伎のことを狂言って言ってたんですよね」
眞田「はい」
藤井「どちらかというと狂言からの流れがあって、民衆と武家で分かれていたんですけれど、中では交流があって技術が伝えられていたのです。その典型的なのが能の船弁慶。船弁慶の演出から歌舞伎の演出にも分かれていったのですが、基本的には(能は)武家の社交のものだったので、(民衆が)観る機会は勧進能ぐらいでした。完全に武家の芸能と民衆の芸能に分かれたのは江戸時代です。町衆には今日、私が歌った謡だけが伝わっていった。だから、能楽の言葉も謡の言葉も同じなのですよ」
――堺は謡だけが盛んだった大澤館長からもお聞きしました。
藤井「城下町は全部そうですよ。町衆の間で。京都もそうです」
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▲和気あいあいと語り合う出演者の皆さん。
――堺についてはどう思われますか。
藤井「僕はやっぱり今の人にもっと堺の歴史を知って欲しいですね。『もののはじまりみな堺』という堺は京都ではない。堺能楽会館のすぐ前にも、紀の路、紀州へ行く街道があり、岸和田城や色んな城下町がある。今は工業化してしまってわかりにくくなってしまっているけれど150年前の江戸時代に、どこが都会だったかというと、堺は今よりはるかに意識は都会だったと思うのです。たとえば僕が好きな岡山の真ん中には津山という町があって、田舎なのかと思いきや大きな川があって橋があって、昔であればちゃんとそこから水を供給して町人が生活しているという、いわゆるサスティナビリティ(持続可能性)がある。堺の場合は元貿易港ですからもっとすごかったと思うのです。今の東京中心に僕は反対なので、地方都市のパーソナリティーはこうだというのを出していってほしいですね。そういうのを壊してしまった所も多いのかもしれないですけれど、そこに対する思いを持ってほしい。僕たちの踊りであったり、能であったり、お茶にしても、歴史が備わっている、そういう人たちをつなげる場所を行政が作ってくれるといいんじゃないかと思います。堺はすごいんだと。今日は謡をしましたけれど、能の謡の言葉の中にも、浅香山や浪花などがいっぱい出てくる。ちょっと古典をかじれば出てくる。そういう感覚が宿ればいいですね」
――お2人は今後、SKP50にはまた出ていただけるのですか?
眞田「どうなんですかねぇ。またお声をかけていただければ……」
藤井「(眞田さんは)出ます」
眞田「お声がかかれば(笑) 7月に『怪談』をやるじゃないですか。帰りにお客様を脅かせたら面白いなと思っているんです(笑)」
――藤井さんは?
藤井「はい。僕はまた9月にと、お聞きしているので」
――9月は何がテーマになるのですか?
藤井「バリ舞踊ですね。バリ舞踊と能という不思議な組み合わせ」
安東「何をするかわからない。藤井さんの頭の中にしかないんです」
――それは楽しみですね。今日はどうもありがとうございました。
最後ははからずも能楽師、日本舞踊家、狂言師の豪華鼎談となりました。藤井さんからは、堺という町自体にもエールを戴いたように思います。この藤井さんの「頭の中にしかない」という9月の「バリ舞踊と能」、甲斐さんたち「本読みの時間」が企画する7月の「怪談」と、一体何が飛び出してくるのかわからないSKP50は今後も楽しみな企画が目白押しです。スンダランドの三上さんが「文化が生まれている」とおっしゃったように、伝統芸能を中心に世界の芸能が出会い化学反応を起こす場となっているようです。思えば、古代から国際貿易港であった堺は、海外の人や文物がやってきて出会う坩堝のようなまちでした。そこから、茶の湯をはじめ様々な新しい文化が誕生しました。今、堺能楽会館で行われていることは、堺らしい、堺スピリッツの正当後継者といえるのではないでしょうか。
能楽や伝統芸能は敷居が高いと思っている人にも、新しいアートに興味がある人にも、気軽な気持ちで、あるいはちょっと怖いもの見たさで堺能楽会館に来てもらいたいと思います。来年まで2か月に一度開催されるSKP50があなたをお待ちしています。
堺能楽会館
住所 大阪府堺市堺区大浜北町3-4-7-100
最寄り駅 南海本線:堺駅
電話 0722-35-0305
大和座狂言事務所
住所 吹田市千里山東2丁目3-3
Tel:06-6384-5016,Fax:06-6384-0870,090-3990-1122(事務局)
堺能楽会館開場50周年記念プロジェクト第三弾については↓
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