大鳥大社の花摘祭(1)

 

毎年4月下旬に開催される大鳥大社の花摘祭は、平安時代に起源を持つ古いお祭りです。歴史上「堺」という地名が記される前にあったとされる祭は、一体どんなお祭りなのか、見学に行ってきました。

■大鳥大社とは?

 

 

和泉國一之宮と称され、泉州地方の筆頭にあげられる神社が、堺市西区の鳳地区にある大鳥大社です。名神大社という、平安時代の延喜式神名帳にも名前の掲載された古い神社で、祭神は日本武尊(ヤマトタケル)と大鳥連祖神(オオトリノムラジノオヤガミ)です。おそらく、このあたりは古代には、大鳥という氏族の領土であって、その祖神を祀っていた聖域に、死後白鳥となった伝説がある日本武尊が加わったのでしょう。

伊勢国で戦いに敗れ、傷を負って死んだ日本武尊の魂が、大きな鳥になって西に向かって飛び、最後にたどり着いた地が、この大鳥でした。魂の鳥が飛来すると一夜にして木が生い茂って『千種の森』となったという伝説があり、その森は今も境内にあります。

日本武尊の父である景行天皇の在位の記述から見当すると、2世紀から4世紀ぐらいの話になるでしょうが、いずれにせよ神話と歴史の狭間の時期のことです。

 

▲ご祭神の一柱、ヤマトタケルの銅像が境内にあります。

 

その後、奈良時代になって、大鳥大社からすぐ近くの家原寺に行基が生まれ、大鳥大社の境内に神鳳寺というお寺も建てられます。

花摘祭が始まったのは、平安時代のことです。桜の散る時期になって疫病が流行り、疫病よけを願って娘たちが花を摘んで神に捧げたことに由来するそうです。疫病避けの祭というと、京都の祇園祭や堺にも関係深い住吉祭のように、人口の密集した都市で不衛生になる夏に行われることが多いとされます。

春先に都市では無い大鳥で疫病避けの祭というと、ちょっと違和感があったのですが、奈良時代から平安時代にかけては世界的にも気温の高い時期で、現代よりも3度ほど平均気温が高かったという説もあるようです。関西地方も亜熱帯のような気候で、天然痘だけでなく、マラリアといった亜熱帯の疫病にも襲われていたかもしれません。だとしたら、春といっても疫病の対策をするのは、切実な理由があったことでしょう。

 

▲ヤマトタケルの魂が今も眠る「千種の森」。

 

一方、神話学的に考えると、死後魂が鳥となって飛翔するのは、ソウルアニマルと呼ばれ、さまざまな神話に登場する類型です。東から西へ飛ぶ姿は、太陽の軌跡になぞらえられます。日々東の地平線に生まれ、西の地平線に姿を消す太陽は、古代人にとって日々生と死を繰り返すと考えられました。また季節の移り変わりの中で、冬になると枯れ、春になって芽吹く植物も生と死、死と再生のシンボルです。

東から飛来した魂の鳥が、一夜にして生まれた森の中で眠る伝説を持つ大鳥大社は、2重に死から再生の力を持つ場所と考えられるでしょうし、春の野で娘の摘む花は再生の力を喚起する供物として相応しいものだったのでしょう。

ちなみに、現在この周辺の地名などには「鳳」の一字が使われるのは、大鳥大社と同じ文字を使うことを遠慮してのことではないかと言われています。

 

■稚児行列を見学に

 

海岸線から見ると、浜寺公園のあたりからまっすぐに伸びた参道が、途中から坂道を駆け上がった丘の上に大鳥大社はあります。大仙丘陵地帯の南、泉北丘陵地帯の北西あたりになるでしょうか。東には北上する石津川がながれ、その間に挟まれた一帯が鳳です。

2019年4月20日の花摘祭当日は、青空の冴え冴えとした良い天気で、まずは大鳥大社へ赴くと千種の森の木々も青々としています。出店やショーもあるお祭りらしい境内を眺めてから、大鳥大社に向かっているはずの稚児行列を探しにいくことにしました。

 

 

神社の西側にある大鳥居を出て左へ折れて道を南へ。丁度丘の尾根沿いの道は古い街道の小栗街道です。この道を南東へと進むと『鳳本通商店街』の入り口に吸い込まれます。商店街を中程まで進むと、向こうから笛の音が聞こえてきました。提灯や旗を掲げた行列の姿が見えてきます。

先頭には紋付き袴の男性、提灯、天狗に神主、大鳥大社の幟の一団。その次に軽トラックの荷台に載せられた御神輿、その後ろには錦の旗と大鳥大社に属する各地区の幟、笛などの音楽隊、大きな花笠、そして手に花かごを持った花摘女たちです。一列に並んだ5名の若い花摘女は一際目を引き、商店街の人たちやカメラマンの注目の的です。さらにその後ろには、花車を曳く着飾った稚児たちの姿がありました。まだ小さな稚児たちの左右には、家族が付き添っていて長い道行きのサポートをしています。

 

 

この行列の行く先には幾つかの難関が待ち構えています。

商店街を出てすぐにある府道210号線を越える横断歩道。そしてその次は、JR阪和線の踏切です。特に阪和線の踏切は長い踏切で、閉じ込められるようなことがあれば大事です。駅員も姿を見せ、細心の注意を払いながら、行列は2つの難関を乗り越えてゆきました。

 

 

すぐに行列の先頭は鳳小学校にさしかかります。もうここまで来れば、大鳥大社まであと一息です。つい急ぎ足になる先頭に、後ろから「ペースがあがってる!」と声がかかります。ペースを守っているつもりでも、後ろは小さな子どもたちですから、疲れから後列のペースが落ち出しているのでしょう。

そして大鳥大社の鳥居前では、待ち構えていたスタッフがロープを張って車の往来をコントロールし、行列は右折して境内の中へと進みます。出発地点の鳳南町開館から約1.5kmの道のりを、40~50分ほどかけてたどりついたのでした。

 

 

拝殿前で花摘女が祝詞(?)を読み上げると、行列は解散し、室内での儀式に移りました。中には紅色の衣に身を包んだ水無瀬宮司の姿もあります。花かごに摘んできた花を神様に捧げ神事は大きな山場を越えたのでした。

このあと、神様の魂を分けられた神輿と、花摘女や随行者が車に乗って、大鳥大社の氏子の地域を回るそうです。

これが、神事としての花摘祭でした。しかし、今年からは、花摘祭と同時に、境内で地域内外の方が楽しめるようなイベントも開催されていました。それが花摘市。後篇では、今年から始まった花摘市についてもレポートします。

後篇

 

大鳥大社

住所:堺市西区鳳北町1丁
TEL:072-262-0040
web:http://www.ootoritaisha.jp/

 

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