サイタサイタ ヨイコドモ (2)

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堺市のフォトグラファー・芋縄なつきさんは、写真家小原一真さんと赤坂友昭さんのワークショップに参加して写真集「サイタサイタ」を製作し、同じワークショップを受けたメンバーとともに展覧会を開催しました。大阪市の町家を改装した『フォトギャラリーSAI』で開催された展覧会「5stories,5photobooks」で、芋縄さんは戦時中に堺で行われた和音感教育を記録した動画をインスタレーション(空間展示)に使用していました。
つーる・ど・堺でも、この和音感教育は記事にしています。絶対音感を身に着けさせる和音感教育によって、美しいハーモニーを奏でる子どもたち。しかし、当時の日本軍は子どもたちを人間レーダーとして、潜水艦に乗り込まそうとすら計画していたのでした。
芋縄さんの写真集「サイタサイタ」は、3分冊。うち1冊はピンク色の可愛らしい表紙の戦前の教科書を細部にこだわって再現し、そこに芋縄さんの撮影した現代の写真を混ぜ込んだものでした。芋縄さんが「ガーリーに描いていく」と言ったように可愛く仕上がった中に毒が含まれたこの作品に触れることによって、そもそも元になった戦時中の教科書も可愛い外見が子どもたちを魅惑するプロパガンダになっていることを気づかせてくれました。(→前篇
後篇では、残り2冊について見ていくことにします。
■語り、泣いているのは子どもたち
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▲フォトグラファー芋縄なつきさん。
表紙に「つづりかた」とある和綴じの一冊は、シンプルです。
内容は5人の戦争体験者へのインタビュー集。
表紙をめくると、わずかにセピアに色づいた紙は桜の花びらの散る原稿用紙が薄く背景に透けています。
使われている写真は、すべて古い写真。インタビューを受けた人たちの懐かしの写真が使われています。インタビューは全て方言交じりの語り口調で書かれており、まるで目の前で語られているような印象を受けます。
彼らの生年に注目すると、それぞれ昭和8年、昭和7年、昭和7年、大正15年、大正14年となっています。
時代背景としては、昭和6年(1931年)には満州事変が勃発し満州国が誕生。昭和12年(1937年)には日中戦争が勃発、そして昭和16年(1941年)に太平洋戦争開戦、昭和20年(1945年)7月に堺大空襲、8月に敗戦となっています。
昭和生まれの3人が小学校にあがるとすぐに尋常小学校は、戦時色の強い国民学校になります。証言者の小学校の記憶は疎開や空襲と共にありました。

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▲和音感教育を受け、歌う子どもたちの動画をphoto gallery Saiの壁に投影。
中には第一幼稚園や熊野小学校で和音感教育を受けた思い出を語る方もいます。最初はドレミファをドイツ語で習っていたのが、外来語が禁止となり、「ハホト」「ハヘイ」などイロハで教わるようになるなど、教育内容も次第に変化していきます。
日中戦争の頃は、戦地にいった父親から送られてくる手紙は、殺人や放火を誇らしく報告するもので、証言者は村人の前で読み上げては幼心に父親を英雄のように思っていたのでした。しかし、戦争が激しくなると戦死者は増え、送り出した兵士たちが英霊となって帰国し、竜神橋(今の堺駅近く)で「海ゆかば」を演奏して迎えるようになります。
ついに米軍は本土を襲うようになり、機銃掃射で重傷を負うも、医者からは「女子供のためのガーゼはない。すべて兵隊さんのためのものだ」と、非国民扱いされた思い出。疎開中に焼夷弾で実家を焼かれた方、同時に小学校も焼け落ち、終戦後に何もないところから小学校を再開した思い出。何もなくなった堺で、父親も病気になり、食糧もない中、どうにかして生き延びた思い出。

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▲小さな子供用の机の上には芋縄さんの作品「サイタサイタ」。
すこし年上の大正生まれの2人は、太平洋戦争開戦が、中等学校の卒業の頃と重なります。振り返ると太平洋戦争が始まる前から、軍国教育は始まっていたそうです。昭和8年には小学校の皇民化教育が始まり、昭和10年には国史が制定され楠正成が忠臣、足利尊氏が逆賊という歴史観が教えられるようになります。中学校卒業後も、男手は戦争へと駆り出され労働力が枯渇しはじめていたため、ミドルティーンで仕事につくことになります。それぞれ、軍用機の整備工場、国民学校の教壇での体験が語られます。
ガラクタのような戦闘機を無理矢理直して、計器の数値を誤魔化して特攻機に仕上げた思い出。そうぜざるを得なかったのは、上の者に逆らうことは決して許されない時代だったからです。疎開先にも米軍の艦載機が襲ってくる中、担任した子どもたちを畦道で守った思い出。戦後も親を亡くし行き場を失った子どもたちの面倒を見た思い出。
教育を含めた社会全体が、子どもたちを戦争のための部品に作り変え、精錬し、そして戦争の地獄に突き進んでいったことがわかります。
--インタビューの内容は生々しいものでしたね。
芋縄「みな辛い思いをしています。明るい様子だった方も、後日手紙を送ってくださったり、最後まで感情を出さない方もいて、取材をしていても辛いものでした」
--証言は、全部話し言葉で記録されていますね。
芋縄「どうしても私たちは戦争体験というと、老人の体験と思ってしまいますが、みんな当時は子どもだったのです。今姿がお年寄りなだけで、子どもがしゃべっている。子どもが見たままを話される。子どもが涙を流している。だから、話し言葉で子どもが話している言葉を意識しました」
この2冊目を作り上げても芋縄さんの作品は終わりではありませんでした。芋縄さんが、自分の子どもが小学校に上がった時に感じたこと。それは現在の教育がかつてのように画一的になっているのではないかという疑問に答えるためには、そして作品を現代につなげるためには、もう一冊が必要でした。それが現役の先生たちへのインタビューです。
■教室からの声
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最後の1冊は学級日誌に使われる綴込表紙に挟まれた一冊です。
日報のような体裁をとったページに、現役の教師と退職者の証言が掲載されています。また、それぞれの証言者の名前はプライバシー保護に配慮して仮名、また写真もイメージカットになっています。
先生たちの証言も語り口調ですが、職業柄か内容は良く整理されて淡々とした印象があります。
この証言を読むうちに、あの一冊目の「ヨイコドモ」に終盤に出てきた、「ハンドサイン」など細かな規則類が、今まさに現在の小学校で導入されつつある規則であることに気づかされます。
「ハンドサイン」とは、教室で意見を言う時のルールです。誰かの意見に対して反対の時は「グー」を、賛成の時は「パー」を、つけたしの時は「チョキ」を出して手をあげる。このルールは、発言することに慣れていない人にはいいのかもしれないし、議事が滞りなく進行するかもしれません。しかし、このルールに対しては、この写真集に取り上げられた先生の証言でも強い疑問が呈されています。
先生にとってハンドサインを導入すれば授業は楽になります。でもそれでいいのだろうか。仲間に対して「あなたの意見には反対です」でいいのか、「あなたはこう思うんだけどわたしはこう思う」と会話で深めていくものではないか? 賛成・反対ではコミュニケーション力・会話力が潰されてしまう、と。
この先生は、ハンドサインの問題点を明確に指摘していますが、ハンドサインを導入している先生は少なくないようです。
なぜなのか。
この一冊の中の証言を読んでいて気づくのは、ひとつには先生の業務があまりにも忙しくなりすぎて、先生同士が相談しあう時間が十分にとれないことがあげられそうです。特に経験の乏しい若い先生にとって、ベテランの先生や同僚からアドバイスをもらえないことは、どれだけ孤独なことでしょう。そんな先生たちは、どうしても手っ取り早くネットで解決策を探しがちです。そして、あるサイトに行きつきます。
その1つが「TOSS」と言うサイトです。かつては教育技術法則化運動と称しており、サイトの説明によると「授業・教育にすぐに役立つ教育技術・指導法を開発し、集め、互いに追試し、検討しあって自らの授業技術を高め、そのような技術・指導法を全国の教師の共有財産にしようと努める教師の研究団体です。」とのことです。
サイトでは、教育の多様性を謳ってはいますが、あらゆる教育の問題を技術的に解決しようとしているようにも見えます。たとえば全ての子どもに跳び箱を飛べるようにする、と。それは一つの正しい解答に子どもたちを導こうとしているわけで、本当に多様性を求めているのかというと、どうなのか。跳び箱を飛べない子ども、あるいは飛ばない子どもがいてはダメなのでしょうか。この教育法は、理想の「ヨイコドモ」を作り上げるための物のように思えます。
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▲現役の教師と退職者の証言。窒息しそうな教育現場の苦しさが垣間見える。
さらに写真集の証言を読み進めると、学校全体で教育の標準化が推し進められている様子も見えてきます。学校で先生は違っても同じ教育方法、同じルールが適用されようとしているのです。
この教育の標準化とTOSSは相性が良いでしょう。標準化が推奨されるなら、今後ますますTOSSは取り入れられていくように思えます。教室でのルールもそれを補強します。すでに、生徒間での名前の呼び方は「さん」に統一。食事や掃除は言葉を発せずに行う。ハンドサインだけでなく、そんなルールが広まっているのです。
--芋縄さんが特に問題だと考えてる指導法はなんでしょうか?
芋縄「私が現在違和感を感じている指導は、反応の仕方、『反応のあいうえお』(「あっ(すごい)」、「いいね!」、「うーん(なるほど)」、「えー?(びっくり)」、「おお~」)です。本にも記載していますが、子どもたちはまさに書かれた通りに反応するのです。私は子どもが低学年の時に違和感を感じて担任に説明を求めた所「支援の1つで反応が苦手なお子さんはそれを使っても良い」という返事だったのですが、子どもが4年生になった授業参観で先生の「〇〇君はこう言いたかったんだね」という言葉に対してクラス全員が全員「あぁ~」(そういうことだったのかというニュアンス)という反応の言葉を発していました」
--苦手な子の支援のため、とはいえないですね。
芋縄「まさにバライティー番組で観客の声が挿入される、あの演出そのものでゾッとしました。本来、反応というものは感情の延長にあり、それは人間の本能から出てくるものです。それを指導するという何とも唖然とする教育が、堺スタンダードに組み込まれているのです。反応しない理由を考える事をしないで、反応の仕方を指導するのは応急処置でしかなく問題解決にはならないと先生のインタビューでも話されています。清掃・食事の時間は「黙れ」、授業中には「反応しなさい」これでは教育機関全体が唱えている「子どもの主体性」とは正反対の教育ではないのでしょうか」
--こうした指導が堺で標準化されてスタンダードになっているのですか。これを問題だと感じてない先生がいることに驚きます。
芋縄「私は家庭訪問で問題提起しましたが、先生は「あくまでボキャブラリーを増やす為に必要なこと。あいうえおだけじゃなく、かきくけこもあって良いと思う」という唖然とする回答でした。ボキャブラリーを増やすのは読書やいろんな年齢や立場の人の話を聞くことだと思うと伝えたのですが」
芋縄さんが感じた「画一化」がどういうものなのか、その姿が具体的に浮かび上がってきます。そしてそれは「つづりかた」の一冊で語られた戦争体験者の方々の言葉がフラッシュバックしてくるようです。この教育は一つの型に子どもたちをあてはめるという点で、戦前の教育と似通ってきているのではないか……?
また、深刻に感じてしまうのは、現場の先生たちは、「画一化」を目指しているわけではなく、現場で起こっていることに対処するためにやっているということです。やむにやまれずという先生もいれば、問題を感じずに盲目的にやっている先生もいるように思えます。
一方で、証言してくれた先生たちのように、問題意識をもってそうした流れに抗おうとしている先生もいます。報告書の体裁をとった淡々とした証言だけれども、行間からは張り詰めた現場からにじみ出るうめき声が聞こえてくるようです。

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▲芋縄さんは、堺市でも場所を提供してくれる所があれば「サイタサイタ」のフォトレビューを行いたいそうです。
この3冊の「サイタサイタ」を読むことで、私たちは過去と繋がる現在の教育現場を体感することになります。過去と響きあう現在の教育現場についてどう受け取り、どう思うのか。それは作品からの問いかけでもあります。よく「デザインは解答であり、アートは問いかけである」と言われますが、この強く問いかけてくる写真集はそう言う意味でもアートでしょう。
そして芋縄さんの作品制作も一区切りではあっても、これで終わったわけではなさそうです。
芋縄「この一年間、カメラの仕事を少ししたぐらいで、仕事も止めてこの作品に集中していました。今、弁護士会からの撮影依頼をきっかけに写真業を再開しています。写真を通じて色んな人と出会いたいです。また『憲法』をテーマにした写真集を作りたいとも考えています」
その言葉どおり芋縄さんからは後日、次の展覧会の予定が決まったと連絡いただきました。
ひとつは芋縄さんが作品を作るきっかけとなった「平和のための戦争展」。そして、カフェでのフォトレビューです。フォトレビューでは作品の内容や写真集に書いていないやりとりのことを話し、今の学校の先生の実態と親はどう関わればいいのかを参加者と分かち合う場になるのだそうです。手始めに貝塚市のカフェで開催。堺でも場所を提供してくれる所があれば開催するとのことです。芋縄さんの作品に触れたいという方、あるいは戦前の教育と現在の教育について考えたい、知識や情報をシェアしたいという方は、一度連絡をしてみてはいかがでしょうか?

★「サイタサイタ」フォトレビュー
日時:2018年5月29日(火) 10時~
会場:AWAI CAFE
住所:貝塚市北町13−12
web:https://www.facebook.com/awaicafe/
※要予約→連絡は:natsukey7@gmail.com
芋縄なつき
mail to:natsukey7@gmail.com
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