利久寄席の軌跡(1)
堺市の玄関口、南海高野線「堺東」駅を降りて、正面の横断歩道を渡り、すっと商店街に入って、十歩もいくかかないか。そんな玄関でいえば上り口も越えてない辺りに、うどん蕎麦屋『利久』はありました。立地柄、一度は足を運んだことがある堺っ子も少なくないでしょう。
この『利久』、美味しいおうどんやお蕎麦だけでなく、もうひとつ名物がありました。それが、『利久寄席』。奇数月の第三土曜日に、お店の3階の座敷が寄席に早変わりし、プロの落語家さんの落語を間近で楽しめると人気でした。
しかし、この長く続いた名店も惜しまれつつ平成23年に閉店。平成元年から23年間親しまれた『利久寄席』も終幕……だったはずなのですが、いつしか商店街を歩くと「利久寄席」のチラシが貼ってあるのを目にするようになりました。これはあの「利久寄席」がお店が無くなっても続いているということなのか? と疑問に思っていた矢先、取材で出会った落語家の桂紅雀さんから、「利久寄席もぜひ取材してください」と水を向けられたのでした。渡りに船とばかりに、2018年に30周年を迎える『利久寄席』にお邪魔することにしました。
■利久寄席の復活
陽はかげり1月の冷たい空気も藍色に染まり始めた中、表通りから宝くじ売り場のある角を曲がって路地へ。丁度、路地には『利久寄席』の立て看板や幟が設えられている真っ最中でした。
新しい『利久寄席』は、お店の『利久』があった通りから一筋南へ下ったこの路地にある『富士カルチャーセンター』で開催されているのでした。
開場までのしばらくの間、準備を終えた世話人会の皆さんにお話を伺うことになりました。
▲世話人代表の中谷幸久さん(左)と、副代表の西村弘武さん(右)。 |
世話人会の代表は中谷幸久さん。元『利久』の店主で、『利久寄席』を開いたのも中谷さんでした。この中谷さんと現在副代表の西村弘武さんの2人を中心に世話人会の皆さんが車座になります。
まずは、『利久寄席』の終幕と復活の経緯をお聞きしましょう。
「うどんそば『利久』を閉店したのが6年前やったかな。『利久寄席』の千秋楽ということで、桂雀々さんにも来ていただいて盛大にやったんです」
その時、平成元年から続いた『利久寄席』は23年間で179回を数えていました。
「落語会が終わった後だったか、宴会をしていたら、世話人会のいつものメンバーから会う機会が無くなったら寂しい。もういっぺんしようやという声が上がったのです」
中谷さんは、そんな仲間の声に押されて寄席を再開することにしたのですが、お店は閉めてしまったので、新しい会場から探さないといけません。
「幸い商店街の知り合いでカルチャーセンターを持っている人が、やっていいよと言ってくれました。お陰で二月に一回のペースで再開できることになりました。しかし、問題は他にもありました。すっぱりやめるつもりだったので、必要なものを何もかもすっぱり捨ててしまっていたのです。舞台もないし、パイプ椅子も必要だし」
この窮地を乗り越えたのは世話人たちの力でした。
「世話人から1人1万円。たしか15万円ぐらいの原資が集まって、舞台も新しく作りパイプ椅子も購入しました。それから再開までは早かったですね。実質休んだのは1月と3月の2回、半年ほどで5月にはここで再開していました。その時は桂米團治さんが来てくれて花を添えてくれました」
▲世話人がお金を出し合って購入した設備。舞台は組み立て式の優れものです。 |
一端は閉鎖した『利久寄席』。中谷さんの心を動かし、支援までして再開にこぎつけたのは世話人会の力があってこそでした。では、そんな世話人会の皆さんがどんな集まりなのか、その横顔をクローズアップしてみましょう。
■飲み会が原動力!? 世話人会の活動
時折、駅前でお揃いの法被を着てチラシ配りをしている世話人会のメンバーの姿を見かけた記憶があります。やはり、メンバーは地元の商店街の人たちなのでしょうか?
「いえ、違います。商店街というくくりだと、商店街の他との兼ね合いも出てきたりして何かと大変でしょう。商店街というわけではなくて、世話人会のメンバーは、住んでいるところも、職業もバラバラです。中には和歌山から来ている人もいます。みんな寄席が好きで、飲むのが好きで、フランクで好きにやれる。そういう雰囲気が居心地がいいのです。それに、これだけの人が集まるのも中谷さんの人柄ですね。『利久』での縁から世話人になった方もいるし、『利久寄席』でお客様として来ていたのがいつのまにかこっちの方にという方もいます」
と、西村さん。その西村さんは、ここでは最古参の堀瑞さんに連れてこられたのだそうです。
「私(堀瑞)は和歌山から来ています。この中では一番古株ですが、実は今の世話人会は2代目なんです。初代は平均70代ぐらいでしょうか。最高齢は90才にもなって、今日も来られる予定です」
▲世話人会の皆さん。右端はこの中では一番の古株の堀瑞良一さん。 |
2代目の世話人会のメンバーは、来るもの拒まずの方針で現在は16名。チラシ配りに、設営から後片付けまで運営の全てを担っています。
「チラシ配りは、開催日の前の週の土曜日に行っています。寄席のチラシは好意的に受け取ってくれますね。若い人もお年寄りも。元々うどん屋をやっていたので、そのイメージもあって、『まだ寄席が続いていたの!?』と驚かれてその場でお話をしたりすることもあります」
チラシ配りを行うのは、切実な理由があります。
「『利久寄席』そのものの収益は木戸銭です。集客がないと存続していけません。チラシ配りも集客のためです。ここを維持するにも沢山のお客様に来ていただかないといけませんし、維持するだけでなく提灯や幟などの設備投資をすることも必要です」
もちろん、世話人会も収入などはなく、ボランティアです。
「ボランティアどころか、世話人会のメンバーにも木戸銭を支払ってもらっているんですよ」
と中谷さん。
やはり、「終わってからの飲み会が楽しくて」というように、仲間たちと一緒に寄席を運営していく、損得度外視のサークル活動のような楽しさが『利久寄席』が続く原動力なのかもしれません。中谷さんも言います。
「前は店の宣伝のためにやっていたので大変でしたけれど、今は純粋に仲間とワイワイやれて気が楽ですね」
▲路地に『利久寄席』の幟が掲げられ、提灯の灯がともります。(商店街側からの撮影) |
そうこうしているうちに、お客様がちらほらと姿をみせ、演者の落語家さんたちも到着しました。
いよいよ『利久寄席』がオープンします。
後篇では幕開け後の『利久寄席』の様子をお届けします。