行基は堺の偉人の1人で、奈良時代に大きな足跡を残した人物です。行基に縁の深い土地は日本各地にありますが、北摂地域で大阪と兵庫の境にある能勢地方には星ふる山を行基が開いた伝説が伝わっていました。
■北極星が降りてきた山
行基開山とされるのは日蓮宗霊場で北極星信仰の能勢妙見山です。
お話は妙見山の副住職で「能勢妙見山ブナ守の会」事務局を務められる植田観肇(かんじょう)さんに伺いました。
「能勢には北極星が降りてきたという伝説があります。伝説は3種類伝わっていて、ひとつは能勢の里に星が降りてきた。この星は人間のようで、自分を妙見山に祀るように言ったという伝説。あるいは妙見山に星が直接降りてきたという伝説。それからもうひとつは行基さんが、降りてきた北極星を妙見山に祀るように言ったという伝説です」
妙見山は開山当時は為楽山(いらくさん)と呼ばれ、その山頂に行基は大空寺というお寺を築きました。
「私が想像するに、おそらくこの辺りに隕石が落ちてきたんでしょう。その星が落ちてきたという事件と、もともとあった妙見山(為楽山)への信仰を行基さんがうまく利用したのではないでしょうか」
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▲妙見山の副住職・植田観肇さんは、能勢でお寺に生まれながら、同志社大学卒業を経てパナソニックに勤務した経歴を持つという変わり種のお坊さんです。 |
妙見山の山頂には、実に一万年の歴史を持つブナの原生林があります。これから、行基以前からこの山に対する信仰があったのではと仮説が導かれたのです。
「妙見山のブナ林は、兵庫県立大学の服部保先生の調査によると一万年前から続く森なんです。ブナは水分を多く含んだ木で、器にも出来ず燃料にも出来ず役に立たないものとされ、残しておく理由はありません。それが今に残っているということは、おそらく3世紀ごろには、この森に対する何らかの信仰があったのではないかと推測されるんです。というのは、3世紀~4世紀ごろには山が伐採されて木が燃料として使われるようになって、居住地近くの山は丸裸になったりしているんです」
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▲標高660mの妙見山へは、ケーブルカーとリフトを乗り継いで登ることができます。 |
飛鳥時代(6世紀末~8世紀初頭)になると、この山は朝廷に器や神事に使う柏を納めるようになって伐採圧力は更に高まります。鎌倉時代・室町時代になると、能勢の炭は「能勢菊炭」あるいは炭問屋のあった池田にちなんで「池田炭」として知られるようにもなります。この能勢菊炭は茶道でも使われ、千利休にも絶賛されています。
「山は人間の生活に必要なエネルギーの供給源、今でいえば油田のようなものでした。炭を運ぶ能勢街道(妙見山から池田を経て大阪に至る)は、パイプラインにあたりますね。その能勢街道を逆流して妙見山へのお参りがあったんです」
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▲妙見山の山頂に残るブナ林には樹齢500年を超えるブナの木もあり、大阪府と川西市の天然記念物に指定されています。(写真提供:植田観肇) |
千数百年に渡って木を伐採し炭を焼き続けた山なのに、役に立たないブナの森は残り続けました。現在、妙見山のブナ林は西南日本600m級のブナの南限とされ、大阪府下では和泉山系の葛城山と合わせてただ2か所残るブナ林です。
行基がこの山に降りてきた北極星を祀らなければ、ブナの森への信仰は消え去り、この森も伐採されてしまっていたかもしれません。それほど行基の開山から現在に至るまで能勢と妙見山の歴史は激動の歴史でした。
植田さんの案内で、歴史散歩は古代から中世日本へ進みます。
■能勢氏と妙見信仰
能勢地方を治める能勢氏の祖は、10世紀後半に多田盆地(現在の兵庫県川西市)を所領とした多田満仲です。多田満仲は清和源氏の祖といい、妙見菩薩を信仰していました。妙見菩薩は北極星を神格化した仏教の神様で、北極星が降りてきた伝説がある妙見山に祀られるのは必然だったのでしょう。
「多田満仲の子には酒呑童子を退治した源頼光がいて、鬼退治には妙見菩薩像をもっていったそうですよ。頼光さんはあの金太郎の上司ですね」
この頼光の子孫が能勢の開発を行い、能勢氏を名乗るようになります。
一方、行基が開山した為楽山の大空寺は真言宗の寺院となって南北朝の頃までは繁栄していましたが、その後は勢力を失い廃寺同然になります。
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▲境内に入る大鳥居の脇には能勢頼次の銅像が置かれています。妙見菩薩は手に刀を持つこともあり、武士に好んで信仰されました。 |
能勢氏はというと、戦国時代の能勢頼通の代に織田信長の勢力・塩川氏と対立します。頼通は暗殺され居城を失い、19歳で後を継いだ能勢頼次は為楽山の大空寺跡に居城を移します。さらに、本能寺の変では明智光秀に味方したため、豊臣秀吉に能勢まで攻め込まれ、頼次は所領を失い岡山まで逃げ延びることになります。
「能勢氏が去った後を支配した塩川氏や高山右近に能勢はだいぶ荒らされてしまったようです」
名門清和源氏の血を引きながら、何百年と守ってきた先祖の地を失い、まさにどん底の能勢頼次。しかし、風前の灯だった能勢氏を救ったもの。それは日蓮宗との縁でした。
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▲現在の妙見山の山頂に建つ信徒会館『星嶺』。シンボルの星型を取り入れた建物です。(写真提供:植田観肇) |
能勢妙見山
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