百年の森をはぐくむ

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堺の人は、いつの頃からかこの地に海があることを忘れてしまったのではないでしょうか。無理もありません。かつて海のあった方角に見えるのは、高速道路と工場群ばかり。
では、その向こうには何があるのでしょう?
今回は大阪湾に突き出た埋立地の中で、一般には開放されていない『7-3区』に足を運びました。そこは『共生の森』と呼ばれ、「100年の森づくり」を目指す『NPO 共生の森』が長らく活動を続けていました。
■海に生まれた小さな森
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▲『NPO法人 共生の森』奥田喜代子さん。対岸には思い出の大浜。
「これが茅渟の海(ちぬのうみ)です」
空と海の広がりは、想像すらしていないものでした。
『共生の森』の南にある『J山』という味気ない名前をつけられた小高い丘の上からは、大阪湾の景色が一望できます。『茅渟の海』とは大阪の海の古称です。
「あちらが六甲山系で、左手の島影が淡路島。今日は明石大橋は見えないかな……。(陸側を向いて)あれが二上山で、あちらが金剛山ですね。真正面にみえるビルが堺駅のホテル『アゴーラリージェンシー』で、その手前が大浜です。わたしたちが子供の頃は大浜でよく遊んだものです」
案内をしてくれた『NPO法人 共生の森』の奥田喜代子さんが見つめる先の対岸には、グレーの堺の街が広がっていました。

 

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▲植樹して6年目の森。ようやく草刈りしなくても大丈夫な大きさに木が育ちました。
広い敷地には緑の樹木が生い茂るゾーンがありました。
『7-3区』は大阪府が管轄する産業廃棄物の埋め立て地で、普段は一般に開放されていません。そんなエリアの中で、未来を見据えた森づくりが行われていたのです。
「月一回、月末の日曜日には大阪府の主催で広く府民が参加できる『森MORI!SUNデイ』が行われています。年に何度かは植樹祭や昆虫観察の大きなイベントも。平日は私たち『NPO法人 共生の森』が活動をしているんです」
『 J 山』には、奥田さんたちが植樹してから6年を経たエリアがありました。人の背丈を少しこえた程度の可愛らしい森です。
「60cmほどの苗を植えてから、6年でこれぐらいに。植樹してから3年ぐらいの間は、ずっと草刈りをしてあげないと、苗が草に埋もれて負けてしまうんです」
緑の径を歩いていると奥田さんが声をあげました。
「見て! 水仙が芽吹いている」
ミニチュアの森の端に目を落とすと、草むらに黄色い花が咲いています。
「この水仙は誰が植えたわけじゃないんですよ。勝手に生えたんです。運んできた土に種が混じっていたのかもしれません」
春を感じる黄色い水仙は、ただ風に揺れていました。
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▲誰が植えたわけでなく咲いた路傍の水仙。

 

■森と共生する
奥田さんたちの活動は、平成16年に大阪府が主催したワークショップが出発点です。「共生の森」をどんな森にしたいのか、どんな木を植えるのかなど活発に議論されました。その後ワークショップは発展的解消を遂げ、参加メンバーが中心となってNPO法人化したのは平成20年のことでした。
「ワークショップ時代から加わっている私が最古参なんです」
と、奥田さん。現在NPOのメンバーは20数名ほどで活動しています。
「事前に連絡してくれれば、飛び入りも歓迎です。第3、第4火曜日が作業日で、第一木曜日は自然観察や工作などの活動を行っています。草花、樹木、野鳥、それぞれの季節で色んな生き物がいて、子連れのタヌキを見た人もいます」
『 J 山』から北にある『ちぬみ山』に移動する途中の道には、タヌキが糞を一か所にしている「ため糞」もありました。
埋め立て地にいったいどこからタヌキがやってきたのでしょう?
「大仙陵古墳にタヌキが住んでいるでしょう。そこからやってきたんじゃないか? と言われています。工業地帯は昼間は交通量がありますけど、夜は車も通りませんから、タヌキがやって来ることは出来るんじゃないかと思うんです」

 

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▲この看板は府民参加の植樹祭のもの。葉の無い灰色の大きな木が栴檀(せんだん)です。
道すがらには、府民参加の植樹祭だけでなく、企業や他の団体によって植樹されたエリアもありました。
「色んな人たちが『共生の森』を作るのにかかわっているんです」
植樹したばかりのエリアもあれば、少したって木が成長したエリアもありました。
時折、大きな木も目にしますが、これは計画して植樹したものではありません。土にまじっていたのか、鳥に運ばれてきたのか、水仙と同じように勝手に生えてきたものです。
「あれは栴檀(せんだん)です。木も他の木が生えている所に成長するものと、何もない所で成長するものがあります。栴檀は何もない所に最初に生える木で、森が成長すると消えていくんだそうです」

 

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▲ちぬみ山から見た茅渟の海。手前にあるのはため池で海とは繋がっていません。
たどりついた『ちぬみ山』は、もとは『 S 山』と呼ばれていました。しかし『共生の森』のシンボルエリアに相応しい名前として、相談した結果『ちぬみ山』と名付けられたのでした。
『ちぬみ山』からは、『 J 山』よりも素晴らしい景観が広がっていました。神戸の街まで指先が届きそうな近さです。埋立地ができる前、堺の人が親しんでいたのがこの景色です。
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▲六甲山系。神戸の街もすぐ近くにみえる。

 

■手作りの「100年の森」
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▲広がった竹林のを伐採して広々とした空間が生まれました。

 

『NPO法人 共生の森』の実際の活動の現場に向かいます。今日の作業場は『Q池』の隣にある『Uポンド』というエリアの竹林です。
「放っておくと竹林はどんどん広がってしまうんです。調べてみたら3年で面積が4倍に広がっていました。私達の作業はいくつかあるのですが、ひとつはこの勝手に生えて来る竹林を伐採すること。次に残しておく竹林の整備。そして植樹した森で草刈りなどの手入れですね」
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▲清々しい竹林ですが、 整備しないと中は真っ暗になるそうです
春の日差しが降り注ぐ中、メンバーの皆さんは、剪定バサミなどを使い、おしゃべりを楽しみながら作業を進めていました。この日は、広がった竹を伐採して切った竹を、植樹する時に使う”杭”にする作業です。
作業はどうしても手作業でしなければいけないものも多いそうです。
「たとえば植樹した苗は細いから、機械で草刈りをすると一緒に飛ばしてしまいます。だから手作業で気をつけながらするしかないんです」
広い敷地を手作業で草刈りしていくのは大変なことでしょう。そんな思いをしてまで、活動を続ける理由やモチベーションはなんなのでしょうか。
「このロケーション。広々とした空間で見晴らしがいいでしょ」
「鳥を見たり、花を見たり、自然を満喫できて癒される。ボランティアだからこれをしろあれをしろというのもないし。なんにも縛られずにフリーダム。気分転換になる」
「僕は植樹した木が成長していくのが嬉しい。冬をこえて、春になって、雪で枝が折れたりして枯れているのを見た時には悔しい」
「ここは外来種を育ててはいけないんです。近畿の古来の里山を作ろうとしている。子孫のために、ええ役に立っている」
「『100年の森』って言ってるから、100年死なれへんで!」
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▲竹藪の向こうには桃が花をつけていました
奥田さんは、子供の頃に大浜から見た「茅渟の海」の風景の素晴らしさの思い出が、活動を続ける理由だそうです。
「今は、堺に海があるってことを知らない人も結構いるんですよ」
丘の上から見た、手のひらで掬えそうな「茅渟の海」の景色が日常的に眺められるようになった時が、再び堺の人たちが「海」を取り戻す時なのかもしれません。
奥田さんをはじめメンバーには森づくりの専門家は一人もいません。学校の先生や公務員、エンジニアなど様々な経歴を持つ人が、「共生の森」と関わりを持つようになってはじめて勉強したのだそうです。
「まだ土地が安定していないので、法律に従って、ここが一般に開放されるのは20年後ぐらいでしょうか」
様々な人の想いを込め、20年先を目指して作る「100年の森」。100年どころかきっと末永く人々や生き物に恩恵を与える森となることでしょう。 『NPO法人 共生の森』では一緒に活動する仲間を大歓迎とのこと。自然に触れ、他にはない眺めを満喫できる活動にあなたも参加してみませんか?
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▲「NPO法人 共生の森」の皆さん

NPO法人 共生の森
大阪府松原市立部1丁目6-3  里山環境教育オフィス
電話番号 072-333-0309
FAX  072-333-0309
メールアドレス  risu.hiroko@nifty.com

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