「
キタノダにキタノダァ!」
一匹のカエルの叫び声が轟き渡ったのは、春の日差しが感じられる南海高野線「
北野田駅」でした。
「高野線沿線の住民なら一度は口にする定番ギャグから始まりましたー。みなさんお待ちかねのウォークラリーレポ! カエルは今日も元気じゃない!」
「ケロケロ。ホモサピエンスのお姉さん。カエルはウォークラリーが楽しみで、昨日の晩からテンションアゲアゲ、ケロ!」
「運動会の前日から興奮している子供みたーい」
「お姉さんは、若作りしても、よる年波には勝てないんだから、あんまり無理しちゃだめだよ」
「ほほほ、今日のコースは少し長いから、準備運動が必要でしょ。ほら、ストレッチを手伝ってあげるわ」
「ぎゃー! カエルの関節はそっちに曲がらないケロっ!」
「あら、ぷにぷにしてるから、ついどっちにも曲がるかと思って。ほほほ」
「カエルはタコじゃないもん。両性類は脊椎動物だもん。軟体動物と間違って欲しくないケロ! プンプン」
「え、怒るの、そこ!?」
カエルとお姉さんが参加するのは、全8回の高野山ウォーク&クイズラリーの第2回。平成27年の高野山開創1200年記念に先立っておこなわれるプレイベントです。第1回(レポートは
こちらと
こちら)は、堺東から萩原天神までの8キロを歩きましたが、今回は北野田駅から史跡を巡って狭山駅まで約10キロを歩きます。
長距離ですので準備運動はしっかりね!
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▲北野田駅前。当日は快晴でウォークラリー日和りです。 |
▲出発前には、準備運動をお忘れ無く! |
■北野田駅 9:30~10:30
「ゲコッ! お姉さん、サムライに着物のお姉さんたちがいるよ! アニメファンにしてはみんな年季が入っているケロ。ここはシニア向けコスプレ会場かな~クール・ジャパーン恐るべしケロ」
「あれは、盛り上げ隊の人達だわ。今回の高野街道沿いの史跡にまつわる歴史上の人物に扮した観光ボランティア、略して観ボラさんたちが、行く先々で解説してくれるのよ。さあ、受付をしましょう」
「参加者はいくつかのグループに分かれるんだ。受付で配られた番号札だとカエルたちは、水色グループだよ~」
「各グループごとに三人の観ボラさんがついてくれるのね。ガイドをする観ボラさんは、携帯用のマイクとスピーカーをつけてらっしゃるわ」
「レッドショルダーカスタム(※)並みの重装備で格好いいケロ!」
「水色グループは出発まで時間があるみたいなんで、紙芝居を見て待ってましょうか」
※レッドショルダーカスタム……アニメ『装甲騎兵ボトムズ』に登場する全身武装したロボット。ボトムズは、鉄と硝煙が香る史上最も男臭いロボットアニメとして知られる。
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▲受付では『盛り上げ隊』のお侍や女人高野の姿がチラホラ。 |
▲カエルたちは6番。水色グループで出発です! |
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▲なんと! キリシタン大名・小西行長様による紙芝居です。行長様の腰に装備されているのが、カエル憧れの携帯スピーカー。 |
▲出発するグループには、女人高野のお見送り。よし、頑張るぞ! |
「ここが野田城跡……って、普通の公園ケロ?」
「南北朝時代、南朝の楠木正成に仕えた地頭・野田氏が築いた小さなお城がここにあったの。北朝の軍勢が攻めてきた時に、野田正勝の息子正氏は紙で出来た張りぼての城郭を一夜にして築き、小城を大軍勢がいる立派なお城に見せかけて、敵を引きつけ足止めをしたって逸話が残っているわ」
「すげー! マジ天才。正氏は
堺市東区の諸葛孔明やー!」
「足止めのお陰もあって、千早赤阪にこもった楠木正成は、北朝の軍勢を撃退したわ」
「北朝の攻撃を防ぎきったケロ! 次は、南朝のターン!」
「残念ながら、正勝・正氏は、楠木正成・正行親子と運命を伴にして次々と戦死。孫の野田正康も、北朝に攻められ、村人と伴に城を枕に討ち死にし、野田城も廃城となってしまったのよ」
「ゲコー。野田氏も村人も可哀想ケロー。えぐえぐ」
「でも、この野田城跡の南北が北野田、南野田と名付けられたように、その後も野田氏の関係者はこの地に残り続けたんじゃないかな」
「よーし。野田氏や野田城をもっとフィーチャリングするケロ! EXI○Eにテーマソングを作ってもらうケロよっ」
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▲野田城跡の公園では、野田正勝様から野田城の歴史について教えていただきました。 |
▲野田城の木碑が、線路脇に寝転がっていました。ちゃんとした保存をしようという動きも持ち上がっているとか。 |
■旭照寺 11:00
「お寺が綺麗に飾られて、小さな仏様が出てるよ。お祭りかな?」
「今日(4月8日)は、花祭り。お釈迦様の誕生日をお祝いするお祭りなの。ほら、お釈迦様に甘茶をかけて」
「ゲコゲコ。美味しそう!」
「旭照寺は、江戸時代に新田開墾をする際に、辛い開墾作業に耐える農民の心のより所として建立されたの。大正デモクラシーの時代には、新国劇の倉橋仙太郎が『新文化村』を作って、その資料や写真集が旭照寺の本堂には多く残っているそうよ」
「信仰を大切にしたり、芸術を愛する人が沢山いたなんてびっくりケロ」
「北野田の商店街には、あの織田作がずっと住んでいたのよ」
「キターっ! の人がキタノダに住んでたんだ!
キタノダにキターっ!」
「それは
織田裕二よっ! それにカエルが思い浮かべてるのは、物まね芸人の
山本高広でしょ! そうじゃなくて、『夫婦善哉』などで有名な
織田作之助。大阪を代表する戦前の小説家よ」
「へーへー大阪の人なんだー」
「そうよ。織田は、堺出身の棋士・阪田 三吉の大ファンで、阪田を題材にした小説も書いてるから、堺っ子の私たちとも、意外な接点があるわね」
「へーへー。ちなみに、アホの坂田は、阪田 三吉から芸名をつけたんだってねー」
「へーへー。大阪の
二大サカタにちゃんと関係あったなんてびっくりね!」
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▲旭照寺では丁度花祭りが行われていました。 |
▲再開発された北野田駅前。織田作が住んだのはこのあたりで、お墓もあるそうです。 |
■延命地蔵尊 11:30
「ほら、この分かれ道にあるのが延命地蔵。『右ハかうや(高野)道、左はこんかうせん(金剛山)』という道標が立っているわ」
「これまでも道沿いにお地蔵様が沢山いたね」
「西高野街道は、『戦の道』でもあったけど、もともとは高野山へと続く祈りの道。『仏の道』なのよ。お地蔵様は、子供の守り神とされたり、閻魔大王の化身、同一の存在とされたりして、とても人気のある仏様だわ」
「お地蔵様と閻魔大王が一緒の人なんて、とってもびっくりケロ。悪役レスラーがリングを降りたら実はいい人だった、みたいな話ケロ(※)」
※悪役レスラーのいい話……『インドの狂虎』タイガー・ジェット・シンが、交通事故で半身不随となった往年の名レスラー『金狼』上田 馬之介と40年来の友情を大切にしつづけたり、東北の被災地のために積極的に活動しているエピソードが最近では話題になった。
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▲延命地蔵尊。右の道へ進めば高野街道、左は金剛山へ向かいます。 |
▲しばらくするとお地蔵様を発見。街道をゆく旅人たちを優しい微笑みで見守っています。 |
『仏様のランク』
「仏様」は、上から順に「如来・菩薩・明王・天」に分類されます。
お釈迦様や阿弥陀様は、一番ランクの高い『如来』です。如来は、すでに悟りを開いた『上がり』の人。ベストジーニストでいうと、殿堂入りしたキムタクやクサナギくんにあたります。
お地蔵様や観音様は、その下の『菩薩』です。『如来』になろうと努力していてあと一歩まで来た仏様。昨年ベストジーニストに選ばれた相葉チャンみたいに、これから殿堂入りを目指して頑張る人です。
不動明王などの『明王』は、『菩薩』が優しく人びとを導くのに対して、怒りの表情で厳しく人びとを導く存在。
『天』は、帝釈天など、仏教を守るために戦ったり、使いっ走りをしたりしています。
ベストジーニストでいうと、『明王』は少し毛色の違うスポーツ選手枠や芸人枠で、『天』はランクにも入ってないけど、いつか入るかもしれないジャニーズJr.だと思えばいいんじゃないでしょうか?
■興源寺 11:45
「あーっ。あそこにいるのは行基様!」
「そう、堺が生んだ
元祖スーパーヒーロー行基様よ。行基様は、1300年前、この興源寺をはじめ日本全国に770ものお寺を開いたとされるレジェンド・オブ・レジェンド。その辺の地方にいる、すぐにゆるキャラにされちゃうようなご当地ヒーローとはわけが違うんだから!」
「うわー。全国1742に及ぶ市町村の観光課と、頑張ってる商店街を軽くディスってるよーお姉さん」
「大丈夫。つーる・ど・堺は、
サカエルを全力で応援しています!」
「サカエル先輩並みにカエルたちもマメに働くケロよ~」
「この福田一帯は、高台にあるため狭山池から水を引くことも出来ず、とても貧しい土地だったんだって」
「水がないと、両性類のカエルはすぐに死んじゃうから困るケロ」
「350年前の江戸時代、そんな土地に立ち向かったのが、
福島屋氏家次郎兵衛。2年かけて、90町歩(
東京ドーム19個分)を開墾したの」
「福島屋が新田を作ったから、『福田』って名付けられたんだね」
「貧しい土地にも強いサツマイモ。そして綿を作った事が、農民たちの生活を大きく変えた。農民たちは農閑期に機織りをして、仕事を得たの。そうして、
河内木綿は全国に広がり、麻から綿への衣料革命が起きたのよ」
「貧しい村を救おうとしたことが、日本全国に広がったのかー」
「この土地から日本全国へ広がったものはまだ他にもあるわ。それは、行基様よりももっと昔の話。神話と歴史の境目にいる重要な人物が登場するわ」
「えーっ。一体それは誰なんだケロー!」
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▲国家のための護国仏教を広めたのが聖徳太子なら、庶民のための仏教を広めたのが行基。その功績から行基菩薩とも呼ばれます。 |
▲五劫(=217億5000万年)の間、思惟(考え)続けた『五劫思惟阿弥陀如来』。ヘルメットのように見えるのは、伸び続けた長い髪です。 |
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▲第一回のレポートでも紹介した旅人の安全を祈願する宝篋印塔が、この興源寺にもありました。 |
▲今も残る氏家家の桜。街を見守っているのでしょうか。
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南北朝時代に『戦の道』として使われた西高野街道。戦国時代、幕末といった戦乱期にもまた、戦(いくさ)人たちが、この街道を駆け抜けました。
後編では、時を越えたエピソードの数々をご紹介します!