木工舎 日根野屋

【条者(じょうもの)の、上物づくり特集】
灰色の二月の空。
葉を落とした木立が黒々と並ぶ街。
市役所のある堺東を南へ下り、路線バスの通る一条通から少し東へ。
音まで冷え込んだ住宅街に、壁をパステル調の黄緑に塗った工房があります。
アスファルトの道路に出された木造りの白い看板。
部屋の奥に覗く鮮やかな青い扉が見るものを誘う、ここが今日ご紹介する『木工舎 日根野屋』です。
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▲工房の奥には、所狭しと木材が並べられています。印象的な青い扉はかつてパブで使われていたものをいただいて、自ら青く塗ったとか。扉のガラスには、「椅子に座った人の形」の日根野屋の可愛らしいロゴマーク。

●『鉄』から『木』へ

通りに向けられて明け放れた工房から、心地よい音楽が流れます。
子供向けの小さな椅子を引き寄せ座った家具職人 日根野谷 良介さんは、自身の過去を振りかえってくれました。
「職人としてスタートしたのは遅かったですね。勤めていたサラリーマンをやめて、次に何をしようかと探していました。その時に、神戸のものづくり大学へ見学にいったんですよ」
サラリーマン時代は、機械のオペレータをしていた日根野谷さん。「金属で出来た機械は無機質で、自分には合わない」と感じていました。
すでに木工の道に興味をもっていた日根野谷さんは、見学にいった職人大学で、その後の人生を決定づける人と出会います。
「70才ぐらいの職人さんが講師でした。すでに職人としての現役は引退していて。でも、おそらくですけど市に請われて講師を引き受けはったんやと思います。見学の時に出会って、この先生なら、と思って入学を決めたんです」
『先生』はすごい腕をもった職人でした。
「いい意味で職人らしくない」方で、自分の考えを押しつけるわけでもなく、一方でポイントポイントでは惜しげもなく技術を教えてくれます。技術だけでなく、職人としての生き方、人柄にも日根野谷さんは惚れ込んでしまったのでした。
大学在学間に、日根野谷さんは、何十年も研鑽した技術と生き方を注ぎ込んでもらったのでした。
運命の出会いですね? と水を向けると、「そうですかね?」と日根野谷さんは、顔をしわくちゃにします。
まさに全てを教えてくれた『師』というべき『先生』ですが、教え子の活躍を十分に見る間もなく、すでに亡くなられた、とのことでした。
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▲ 『日根野屋』の日根野谷さん。珍しい四文字姓ですが、泉佐野市には多い姓だとか 。
卒業後、生まれ育った堺で日根野谷さんは工房を開きます。
オーダーメイドの家具職人としてキャリアを再スタートさせたのです。
木工に使っている木は、針葉樹ではなく広葉樹とのことですが、それはなぜでしょうか?
「広葉樹は(材質として)硬くてつまっているんです。それに対して針葉樹は柔らかい感じです。どっちがいいとか、悪いとかじゃないんですが、使い込んでいくにつれ広葉樹のだす独特の経年変化の風合いが好きなんですよ。僕の感覚的なもので、言葉でうまく言い表すことは出来ないんですが」
木材というと針葉樹であるスギやヒノキが有名ですが、日根野谷さんはナラやタモといった広葉樹を使用しています。
「木の持つ曲線が好きで、最初の頃は、曲線を生かしたデザインの家具を作っていたんですが、最近は直線が好きになってきて……何故そうなってきたのかは説明できないんですよね。よりシンプルってことかもしれません」
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▲工房に普段おいてある椅子。「椅子であぐらをかくのが好き」という日根野谷さんらしく、ゆったりした座り心地です。
日根野谷さんの作品は、どれも木の持ち味が生かされています。子供向けの椅子には、ワンポイントで綺麗な色を塗ったものもあり、木肌色が引き立て合ってより魅力的なものになっていますね?
「実は何も考えずに色を塗ってたんですよね。きっと子供が喜んでくれるだろうな……なんて理由は大体、後付けなんです」
日根野谷さんは、作品には自分の強い主張はいれず、あくまでお客様のイメージが大切なのだといいます。
「主張は自然にこもるものだと思います。入れようと思って入れるものでもないし、入れないでおこうと思っても、入ってしまうものでしょう」
ですが、この心境に突然至ったわけではありません。
忘れられない、『えらいめに遭った』ことが日根野谷さんにはあったのです。

●椅子ひとつに一ヶ月かかるわけ

作品を作るのにどれぐらいの時間をかけるのですか? この問いに、「大体一ヶ月」との答え。
「作り始めるとすぐなんですけどね」
製作にかかる一ヶ月の時間は、実はほとんどが準備の時間です。ここまで時間をかけるようになったのには、転機となった事件がありました。
「えらいめに遭いましたからね」
『えらい』とは、関西弁で「たいへんな」とか「とんでもない」を意味します。
それは家具職人としての仕事をスタートさせた頃のことでした。
仕事は全てオーダーメイドですから、お客様からのリクエストを受けて作品作りに取りかかります。
その時も、もちろん綿密な打ち合わせはしていました。しかし……
「自分の頭の中で分かった気になってたんですね」
こめかみを指さしながら日根野谷さんは言います。
お客様のリクエストを、勝手にふくらませたイメージで作った作品は、もちろん満足してもらえませんでした。
「最初の頃は、そんなことが何度もありました」
そんな時は、どうされたんですか? との質問には間髪入れず、
「もちろん、全部作り直しました」
と、潔いお答え。
まだ仕事が軌道に乗ってなかった頃でしょう。注文の家具を全部やり直すのは、費用的にも時間的にも楽ではなかったはずです。
けれど、日根野谷さんはいちから家具を作り直しました。
「えらいめに遭った」。その経験が血肉になったのも、手痛い失敗と真正面から向き合ったからこそなのでしょう。
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▲大学時代、日根野谷さんが最初に手がけた椅子。これが作品の原点です。
こうして、大きな失敗を何度か経験した日根野谷さんは、お客様の意見に耳を傾け、イメージを共有し、実現するために心血を注ぐようになります。
お客様が家具を置く部屋へ実際に足を運び、打ち合わせを重ね、木材選びやデザインを行う。サンプルが手に入ればそれを見てもらう日々。「準備の一ヶ月」が、こうして必要になったのです。
「いかに相手に近づいていけるかが勝負です」
それだけにお客様に満足していただける仕事が出来た時はたまりません。
納品した家具を部屋に置いた時、まるで元からその部屋にあったかのように馴染む瞬間。お客様と自分のイメージがシンクロし、喜びが爆発します。
「お客さんが喜んでくれるのが何よりも嬉しいんですよ」
その『瞬間』を思い出し、満面の笑みを浮かべます。
「帰りの車でずーっとニヤニヤしてますよ。『サラリーマンやめてよかったーっ!』って、心の底から思います」

●生命が息づく道具たち

「よく注文が入るのは、テーブルと椅子のセットとか……チェストみたいな家具ですね」
日々使うテーブルや椅子、タンスともなれば、使いやすくて飽きのこないデザインのものが欲しくなります。シンプルでしっかりした日根野谷さんの家具なら、心のぜいたくとしても置いておきたくなりますよね。
こうした家具は、部屋の顔になり、時には世代を越えて受け継がれていきます。
残念ながら、完成した作品を丁度納品した所で、工房には完成品はないとのことでしたが、それでも製作中の面白そうな作品があちこちに見受けられます。
まず目についたのは、いくつも並べられたお皿でした。
「パン皿でも作ろうかなぁーと思って」
飾り気のないシンプルなものですが、手にとってよく見てみると内側にかすかなカーブを描いて凹みがあります。信じられませんが、これも手彫りなんでしょうか?
「ええ、機械は使わず、カンナだけでひとつひとつ削ってます。けばがでるんで、仕上げはサンドペーパーで綺麗にしてますけど」
本当に手で彫れるの!? と驚くほど、わずかな凹みは、どれも綺麗な真円を描いています。そういえば、座らせていただいた椅子にも、座ったり触ったりしてはじめて気づくようなかすかな凹みがありましたが、全部手彫りなんですね。
「こっちがナラで、こっちがタモを使ってます」
ナラもタモも、日根野谷さんが気に入って使っている広葉樹です。野球好きの方なら、プロ野球選手のバットの多くがタモの一種、アオダモを使っていることをご存じでしょう。硬くて粘りのある材質で知られています。ナラは、オークとも呼ばれ、ヨーロッパではキリスト教伝播以前から神聖な木として信仰の対象となっており、家具木材として有名です。
鼻を近づけてみると、どちらの皿からも個性ある木の香りがします。
タモの香りが野趣ある香りで、ナラの香りは清冽な印象がします。このお皿でパンを食べると、森の中でパンを食べているような気分になれそうです。
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▲まだ製作中という、ナラとタモのパン皿。特別な来客の時に使いたくなるような手触りです。これにスプーンがつけば、ハイジの世界!
と、日根野谷さんは、二枚の皿を手にとりました。
「実はこの皿、一枚の木材を半分に切って削ってるんですよ」
そう言って、皿の表面同士を合わせてから、もう一度蝶の羽根のように広げます。すると、二つのお皿の表面の木目は、まったく同じで対称を描いています。
「もとは同じだから、木目は一緒になるんです。これを二つセットにしたらいいかなって」
確かに。手作り、木製の皿というだけでなく、同じ木から作った同じ木目の皿というのは、ちょっと素敵じゃないでしょうか? これは結婚のお祝いなどに喜ばれそうです。
最近料理をはじめたという日根野谷さんは、パン皿だけでなく、調理器具の製作にも取りかかりました。
「自分で使おうと思って、100円ショップから、百貨店の調理器具コーナーまで回り、色々と手にとってみたんですけど、どれもしっくりこなくて」
ならば、と自作するというのは、さすが職人です。
作った調理ベラの試作品は友人の調理人に使ってもらったり、自分でも使いながら削ったりして、丁度いいバランスを追い求めたとか。
手にとると、これがしっくりくる重さではないですか。持って帰ってすぐに炒め物を作りたくなるようなヘラです。
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▲調理ベラ。適度の重さがあり力をこめても無骨に応えてくれそうです。右は、型木。左利き気味の日根野屋さんは、10本のうち2本は左利き用を作る、とのこと。 ▲工房には大型の工作機械もいくつかあります。掘り出しものを安くで売ってもらったもので年代物ですが、丁寧に使われ、味があります。
「いいものを知ってほしい。使ってほしい」
と日根野谷さんは言います。
ものづくり大学の『先生』から、「いいものを見なさい」とよく言われました。それは、いいものを見ることによって、上があることを知り、自分の成長が促されるからです。
私たちユーザーにとっても、これは同じでしょう。日根野谷さんの家具や道具に触れることは、「いいものを知る」ことで、そこから、例えば料理であったり、ちょっとした道具使いであったり、普段の生活の中で自分の意識を目覚めさせることにつながるかもしれません。
「手作りが好きなんですよね。この良さが何なのかは、やっぱりうまく言えないんですけど」
と言うものの、手作りの良さは、日根野谷さん自身がすでに体現しているように思います。
一枚の木材から作った二つの皿にせよ、自分用・左利き用にカスタマイズした調理ベラにせよ、唐突に誕生したのではなく、日根野谷さんが両利きだったりすることや、広葉樹に対する独特のこだわりを持っていたから出来たもの。
少し大げさに言えば、日根野谷さんの人生がそこに反映している。きっと、日根野谷さんの家具や道具を使う人は、家具・道具に「自然にこもっている主張」を感じることでしょう。
それが、判で押したような製品にはない、手作りの製品の良さにつながっているようにも思えます。
私たち人間が、一人一人違う生命を持った存在であるように、日根野谷さんの製品も一つ一つが生命を宿した存在であるのは間違いありません。
●ウシゴロシがまた芽吹く春
工房の壁に、分厚いお盆のようなものが掛かっているのに気づきました。お皿に使うには不便そうですが?
「これはサーフィンする友達に頼まれて作ったんですよ。片手に持ってビート板みたいにして、波に乗って遊ぶんです。あの人たちは、身体だけで波に乗れますからね」
なるほど、この小さな板で浮力を得る補助にするわけですか。そういえば、サメのひれみたいなものがありますが、これはサーフボードのフィンですよね?
「これも木で作ってくれって頼まれたんです(笑)  木を使わない方が楽なんですけどね」
でも、木目の見えるフィンは格好いいですね。
「防水に木をFRP(繊維強化プラスチック)で挟んでます。FRPを使うのは初めてなんで、昨日近場のサーフショップを回って、やり方を教わってきたんですよ。『FRPわけてくれませんかー』って」
まったくの初対面で、飛び込みでやってきたにも関わらず、ショップの方は親切に色々教えてくれたそうです。
ですが、それも日根野谷さんの人柄でしょう。
何しろ、インタビュー中も、開けっ放しの工房には、街の人が顔を覗かせたり、ちょっと用事をしにきたりと、すっかり街に溶け込んでいる雰囲気が漂っています。
塗料や接着剤を使う作業などでは、換気をする必要もあって、雪がちらついても開けていないといけないから、とのことですが、
「『良ちゃんこれ食べぇー』とか言うて、近所の人が料理を持ってきてくれることもあって、すごく助かってます」
などというのも最近ではあまり見かけない光景。
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▲祖父の使っていた作業台。今は日根野谷さんの相棒。丁度作業中のサメの背びれのようなものが、サーフボードのフィンです。
人柄もあるでしょうが、代々のご近所づきあいがあることも、この気安さの理由のようです。
日根野谷さんは、曾祖父の代に、今の場所、堺の五条通に暮らし始めたそうです。この工房もお父さんがガレージに使っていた物を引き継いだものだとか。
「これはじいちゃんが使ってた折りたたみ式の作業台なんですよ」
年代物の作業台には、すりきれたステッカーがはってあります。
「これ今でも有名なDIY用品のブランドなんですよ。当時買ったんでしょうね。じいちゃん、あの時代にこのブランドを選ぶなんて格好ええなぁ……って思いますよ」
最後に、今後についても尋ねてみました。何か目標などはあるのでしょうか。
「やり続けることですね」
日根野谷さんの答えは、予想以上にしごくシンプルなものでした。
「ゴールってきっとないと思うんですよ。でも、とにかくやり続けるってことかと思います」
気負いのようなものはなく、ただ淡々と語ります。最近近所の取引先のひとつが廃業されて残念に思っているとのことで、「やりつづける」ことの難しさ、その重みが感じられました。
「やりつづけていれば、ゴールは無いけれど見えてくるものがあると思うんです。やらないと何も残らないし、見えてこない」
まだ30代の日根野谷さん。ものづくり大学で学んだことを生かしながら、畑違いの仕事からも刺激を受ける日々。やりつづけることによって、いつか先生に追いつくような、すごい職人になっていることでしょう。
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▲『日根野屋』。現在、自らの手で二階を改装中。近日ギャラリーとしてオープンする予定とか。皆さん気軽に訪れて、日根野屋の作品に直に触れてくださいね♪ ▲ウシゴロシの木。今年もまた元気に芽吹いてくれるでしょうか?

 

工房の玄関先には、鉢植えの木が1本ありました。
「これ『ウシゴロシ』っていう木なんですよ。鎌の柄に使われたり、枝にねばりがあるんで折って束ねて牛の鼻輪に使われたりするそうです」
そのウシゴロシは、葉もおち、台風で折れた幹もあります。ウシゴロシとは、落葉性の広葉樹カマツカの別名です。
「台風で枝が折れちゃったから、枯れたかも……冬になるとこうやって葉を落として、春になると葉をつけてくれてたけど。今年はどうかな……」
ナラ、タモ、そしてウシゴロシ。落葉性広葉樹は、針葉樹から進化し、葉を落とすことによって冬を堪え忍び、また春に芽吹き、花を咲かせる木々。
それは、失敗を糧にして、大きく成長する日根野谷さんの姿を思わせました。
堺市堺区五条通3-3
TEL:072-233-3668

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