さかいに架かる橋(2) 海船橋

 

■海船橋

この記事は堺の環濠に架かっている橋、架かっていた橋を紹介するシリーズの2話目です。前回の江川橋から内川緑道を南へ下って一つ目の橋が「海船橋」を紹介しましょう。
公園へと整備された内川緑道に架かる橋で、西側には大きなマンション、東側には歴史的な家屋も残るエリアで「閑静な住宅地」という言葉がぴったりな地域です。

 

 

内川緑道のうち、江川橋、海船橋、そして内川橋までは先に整備されたエリアです。せせらぎが通り、飛び石やベンチもあって、普段から付近の人たちが散歩したり遊んだりと憩いの公園となっています。また桜並木になっており、シーズン中は桜のトンネルのようになるのですが、これはなかなか見ごたえのあるように思います。

 

▲すでに葉桜になっていますが、内川緑道の桜並木をどうぞ。

 

■海船政所跡

橋名の由来は、海船政所がすぐ近くにあったことからで、海船橋の東詰に石碑と案内板が立っています。

▲海船政所跡の案内板。

 

 

この海船政所があったのは、江戸時代よりも前、阿波(徳島)の三好一族が堺や関西を勢力圏内にしていたころの話です。案内板によると、1504年に三好長輝(之長)が計画し、完成は孫の三好元長の代で1521年に政所の号をもらったとあります。当時は三好一族が権勢を誇り、足利義維を擁立して堺幕府と称されたのが1527年から1532年のことなので、その前段階の時代です。
このころは埋め立て地も内川もなく、海は間際に迫っていました。
海船政所は海に臨んだ施設で、その敷地は広大で東西は650m、南北はその2倍の規模だったそうです。海船政所の石碑はこの橋近くのものと、錦之町西2丁のコミュニティセンターにもあり、現在の大和川あたりからこの一帯に広がっていたものと思われます。
これだけの巨大な規模だったのは、三好一族が抱えていたとされる1万もの兵力を収容することができる軍事施設だったからだと推測されます。堺幕府が誕生したのも、海船政所が軍事拠点としてにらみをきかせていたことの影響は小さくないはずです。
地元の人間でもその存在を知るものは少ないといわれる海船政所ですが、三好一族が再評価される中、ぜひ注目していきたい歴史スポットです。

 

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海船橋

 

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