平地和広 世界を紹介する水彩画家(前編)

 

 

紙カフェでも人気の紙雑貨「一筆箋」がリニューアルしました。新バージョンは、繊細な風景画で知られる水彩画家平地和広さんの描く堺の風景が印刷されたもの。
この一筆箋の発行を記念して、2024年6月12日から23日に紙カフェで平地さんの個展が開催されることにもなりました。今回は、その個展を訪ねて平地さんにお話しを伺ったロングインタビューをお届けいたします。

 

 

■古墳のまちの漫画少年

 

▲水彩画家平地和広さん。

 

平地さんは、紙カフェに古墳Tシャツを着て登場しました。平地さんは古墳ファンとしても知られ、描く作品には堺の古墳をテーマにしたものも少なくありません。

――平地さんのプロフィールを拝見しますと堺在住となっていますが、ご出身はどちらになるのですか?
平地和広「僕の生まれは、九州の宮崎なんですよ。子どもの頃に引っ越して福井県。だから僕の記憶にあるふるさとっていうのは福井県から。で、小学校の4年生の時に、堺に越してきたんですね」
――堺のどちらになります?
平地「今も住んでいる所とそんなに変わらないんですけども、鳳とか神石市之町とかのあたりです」
――なるほど。すぐ近くに古墳もあるあたりですよね。
平地「そうなんですよ。小学校が神石小学校っていうところで、すぐ近くに乳岡古墳(ちのおか)っていうのがあるんですけど、そこはよく遊び場になっていました。今はもう入れませんけど、当時は古墳の上に神社があって、縁日とかもあったんです。それがいつの間にか、発掘調査のあと管理されるようになって、中にはもう入れなくなったんです」
――神社はどこにいっちゃったんでしょうね。
平地「移転したみたいですよ」
――それで古墳が好きになったんですか?
平地「古墳が好きになったのは、中学校に入ってから。2年生の時に友人に連れられて郷土部に。『百舌鳥古墳群の現状』っていうプリントを何枚も使って小冊子みたいなのを作る作業があったんですよ。それをお手伝いする形で郷土部に行ったんです。で、その同級生が調べている古墳っていうのは、どういうものなのかと興味をもって入部したんです」
――郷土の郷土部なんですね。中学校はどちらでした?
平地「旭中学校です。その時の顧問の先生が社会科の先生だったんですけど、40年ぶりにSNSで再会できたとか、そういうこともありました」
――先生とは、どういう会話をされたんですか?
平地「まさかその当時の教え子が、未だに古墳に関わっているとは思わなかったって」
――SNS時代ならではですね。
平地「SNSがなかったら、僕も絵を描き続けることはなかったと思いますね。毎日、投稿して反応があるっていうのが、やっぱり」

 

▲平地さんの古墳作品。なお、堺市のwebサイトによると乳岡古墳にあったのは、石津太神社の神宮寺で江戸時代に建立されたものだったそうです。

 

――では、水彩画を描くようになったきっかけどのようなものだったのですか?
平地「うちは息子が小学校の時から野球をやってたんですよ。小学校の野球部というのは親同伴で、土日とかもそれにつきっきりだったんですが、中学校になると少し手が離れて、ちょっと時間ができたんです。嫁さんは、バレーボール、ママさんバレーをやってて、2人はスポーツで頑張ってるんですけど、僕はどうしようかなと。昔、好きやった絵をちょっと描いてみようかって、それがきっかけかな?」
――昔絵が好きだったというのは、どういう感じですか?
平地「子どもの頃から、漫画が好きだったので、その漫画の模写とかですね」
――平地さんが好きだった漫画ってたとえば何ですか?
平地「なんやろなー。テレビアニメが好きだったんで、仮面ライダーとか……そういう実写もありますけど、やっぱりマジンガーZとかデビルマンとかその辺りですね」
――結構テレビアニメが勃興してきたあたりですね。
平地「そうですね。ヤマトの時もそうですし、ガンダムの時もそうでしたけど、その時その時夢中になって見てましたね」
――その中で、一番好きだったというと?
平地「ヤマトが一番ですね。なんか革新的っていうか、僕らが見ていた頃はアニメブームになる前だったんですね。視聴率も全然取れなくて。裏番組がハイジやったんで、全然ヒットはしなかったんだけど、何年か後にファンの人らが騒ぎ立てて映画化になって、それで日本中で爆発的なヒットになったっていう歴史があります」
――今でいうオタク、熱狂的なアニメファンが出始めたたのは、ヤマトからっていいますもんね。
平地「なんていうのかな、ニッチなんですね。ヤマトもそうでしたけど、古墳とかもね」

 

 

■手帳に描き貯めた作品をグループ展に

 

▲平地さんが最初に作品を描き始めた手帳。「この手帳の個展をぜひ!」とこれを見た紙カフェスタッフから要望がでました。

 

――ちょっと話を戻しまして、お子さんが大きくなって絵をはじめたというのは何年ぐらい前のことなんです?
平地「もう10年ぐらいになりますね。で、今日はこれを持ってきたんですけど、一番最初はこういう形で、これ手帳なんですけど、こんな感じで始めてたんですよ」
――手帳にスケッチと着色までした作品を描いてらしたんですね。
平地「これを毎日(SNSに)投稿していったんです」
――字もすごい味がある。
平地「全部自分の手書きでね。で、これを面白いって言ってくれた人が、今度ギャラリーでグループ展をやるから、それを出しませんかっていう誘いがあったんです。心斎橋の方のギャラリーだったんですけど、それに出すことになりました。その当時、もう書き溜めていたノートは10冊ぐらいあったんですよ」
――この手帳を展示されたんですか?
平地「なんていうんですか? レター棚というのか、それに入れてギャラリーの壁にポンっておいて、どうぞご自由にって。それがスタートだったんですが、面白いって言ってもらったんで、調子に乗ってずっと続いてるんです。その後はこっちのノートで、だんだん大きくなるんですがノートはノートで大体ずっとノートだったんです。で、その当時から文字っていうのがずっとセットで入ってたんですね」
――絵と文章で、エッセイみたいな感じですよね。
平地「そうね。だから僕はプロフィールにも書いてるんですけど、創造とかオリジナルっていうのはあんまり描けなくて、色んなものをこれを通して紹介していくっていう、インフォメーションみたいな形で、インフォメーターという言葉を勝手に作って、時々使っています」
――妹尾河童さんを思い出しますね。
平地「妹尾河童さん。根底にあるのが多分それやと思うんです。中学卒業して僕は就職してたんですけど、就職して何年か経った後で堺東の書店でアルバイトしてたんですね。その時に本屋で妹尾河童さんの『河童が覗いた』シリーズに出会って、文体とか絵の内容とかに魅入られました」

 

▲手帳からノートにサイズアップ。

 

――堺東のどの本屋さんなんです?
平地「銀座商店街に入らないで、その横。宝石屋さんとかの隣にあった本屋さんです。もう40年以上前で、僕がそこで働いている時に、ジョルノとかアップル(高島屋の専門店街)とかが出来た。『窓ぎわのトットちゃん』とか山口百恵さんの『蒼い時』が出た時もそこにいました。鳥山明さんの『ドクタースランプ』が始まったのもその頃で、書店の2階の漫画コーナーに入り浸っていましたね」
――そこで見た漫画からの影響もあるんでしょうね。
平地「大きいですよね」

 

後編に続く

 

紙カフェ
堺市堺区綾之町東1丁1−8

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