つるや楽器店 三味線発祥の町唯一の和楽器店(3)

 

三味線発祥の地、堺で今や唯一の和楽器専門店である『つるや楽器店』で三味線の歴史と現在について、5代目にあたる石村隆一さんとその息子である6代目の石村真一郎さんお聞きしている記事も今回で第3回の最終回です。
南蛮貿易の時代に海の向こうから伝わった蛇味線(三線)を改良し、琵琶の持つ共鳴機構と合体させた堺生まれの楽器が三味線(第1回)。楽器としては未だに完成しておらず、進化の途中だと隆一さんたちは言います。しかし、材料となる紅木や象牙、鼈甲はワシントン条約で国際的な取引が規制され、動物愛護の意識が広がるにつれ胴体に張る犬猫の皮を日本でも海外でも製造が困難になってきました。合成皮革で生まれる音は、とても三味線の音ではないと、隆一さんは言います(第2回)。
今回は、160年の歴史があるというつるや楽器店そのものにスポットをあてることで、これからの三味線がどうなっていくのかを考えてみたいと思います。

 

■堺の歴史と共に

▲創業は文久2年。160年の歴史をもつ『つるや楽器店』。

 

――『つるや楽器店』の歴史は160年だそうですが、創業は幕末になりますよね。
石村隆一「覚え書きによると初代は文久2年の創業。場所は宿院の角地にあったそうです。のれん屋さんに話をきくと、文久年間の創業は多いそうで、景気が良かったのでしょう」
――江戸時代末頃からという堺の老舗は、ジャンルを問わず聞くことが多い気がしますね。
隆一「明治になって、三味線の創始者石村検校にちなんで石村姓を名乗ったのでしょう。全国の三味線業界で石村姓は多いのです。しかし、わかっているのはそれぐらいです。戦争で焼けてしまったのでそれ以上のことはわからないのです」
――太平洋戦争の時の堺大空襲ですね。旧市街区の中心にある大小路電停が爆撃の目標だったと言われています。お隣の宿院も丸焼けでしたから、とても残念ですね。戦後になってお仕事はどうされていたのですか?
隆一「私の父、4代目は戦争へ行っていましたが、帰ってきてもお店はなくなっていましたし、三味線なんて作っても売れません。焼け野原になった堺の闇市で、色んな物を作って売っていたようです」
――さすが職人さんですね。では、和楽器のお仕事を再開できたのは、いつ頃だったのでしょうか?
隆一「昭和30年代と聞いています。朝鮮戦争で景気が良くなって、花柳界も賑やかになった。そうすると三味線が必要になってくるでしょう」
――そうか。景気の浮き沈みにもろに影響される業界なんですね。まさに堺の歴史と共に。
隆一「ラジオで浪曲が流行った影響もありました。浪曲がめちゃくちゃ流行ったんだそうです。みんな三味線をやった。なにしろ、浪曲師が地方をまわるとたんまりと儲かりました。偽物の浪曲師が出回ったりもして」
――偽物の浪曲師! なんだか『男はつらいよ』の世界ですね。

 

■三味線普及のために

▲5代目石村隆一さんと、6代目の石村真一郎さん親子。

 

――真一郎さんが、6代目を継ごうとされたのは、どうしてなんですか? 子どもの頃から家業を継ぎたいという想いはあったのでしょうか。
真一郎「そんなこともなかったんですが、就活をしていた時に東日本大震災があったのが転機で、家業を意識しだしたんです。この仕事は継ごうとしても継げるものじゃない珍しい仕事ですし。ずっと楽器に携われる仕事が身近にあった」
――楽器としての三味線は昔からやってらしたのですか?
真一郎「私が三味線をはじめたのは、ここ10年のことなんです。学生時代は吹奏楽をやっていました」
――楽器は何を?
真一郎「トロンボーンです」
――弦楽器ですらないじゃないですか!(笑)
真一郎「音感が育まれたのは良かったですよ」
――三味線を始めたのは何がきっかけだったのですか?
真一郎「ここで働き始めてからなのですが、お店には観光で来て覗かれる方もいます。その時に一曲、二曲弾きたいなと思って始めたんです。考えてみたら、三味線を弾けて、歴史もしゃべることが出来る人はなかなかいないと思うんです」
――しかも、作れますしね。先日、sakainoma濱でのファッションショーとのコラボレーションは演奏もお話もとても興味深かったです。
真一郎「コラボレーションは初めてだったので緊張しました」
――とてもそうは見えませんでしたよ。

 

▲sakainoma濱で開催された「大正~昭和初期アンティーク着物ファッションショーin Sakainoma濱」では石村真一郎さんの三味線が大活躍。

 

――イベントでの演奏やお話もありますし、販売や三味線を作るお仕事まで多岐にわたっていますが、真一郎さんがお仕事をされていて、楽しい時はどんな時ですか?
真一郎「三味線を作っていい音が出た時ですね。それとこういうお仕事ですから、対面で人に三味線っていいですね。やってみたいと言ってもらえたら最高です。使命を感じます」
――真一郎さんの三味線やお話を聞いて三味線を始める方がいたら、やりがいがありますよね。
真一郎「三味線は何才からでも出来る大人の趣味です。年齢は関係ない。僕も10年習えばここまで出来ることを示しました。定年過ぎてから習う方が多いですし、90才から習い始めた方もいます。いつはじめても恥ずかしくない趣味です」
――とはいえ、三味線を習うというのは、敷居が高い印象があります。
真一郎「そうなんです。だから、つるや楽器店では、ワンコイン講座をやっています。ワンコイン500円の講座1回で、初心者でも『さくらさくら』を弾けるようになります」
――それはお得な講座ですね。ワンコイン講座はいつやってるんですか?
真一郎「予約していただいて、不定期開催です。コロナの影響で頻度は下がりましたが、それでも月1~2回はやっています。やっていると確実にお客様の掘り起こしにつながっていて、三味線の潜在的な需要はあるなと思います」
――潜在的な需要が表に出てくるにはどうすればいいのでしょうか。
隆一「一店舗で出来ることには限界があります。堺市の文化課や観光ボランティア協会には良くしてもらっていますが、私たちには観光客が来られても売るものがあるわけではありません」
――お土産に三味線やお琴という風にはならないですものね。
隆一「(行政には)どうにかできるのではないかと思うことはあります。たとえば学校での和楽器教育で、なぜか洋楽器店が受注する。和楽器のことを何もわかっていないのに。私たちからしたら、こんなものを使わないでくれというような、ビニールの三味線を子どもたちに使わせている。地方にいけば、ちゃんとした専門店が受注しているところもあるのに」
――合成皮革の三味線なんて、三味線の音じゃないとおっしゃっていましたものね。三味線発祥の地の堺で、それは哀しすぎる話ですね。ちゃんとした三味線の普及のためにも、ワンコイン講座や真一郎さんのトークとライブだったりが、これからもっと必要になってくるでしょうね。

 

▲三味線はまだ進化の途上にある楽器。

 

『つるや楽器店』さんは、発祥の地である堺で孤軍奮闘されていました。やはり、堺市をあげての応援が必要なのではないか? 三味線発祥の地として、三味線振興の義務があるぐらいには思ってほしいものです。まだ進化の途上にあるという三味線の、その先をぜひ見てみたいですね。

 

つるや楽器店
住所:〒590-0954 堺市堺区大町東3丁1−6
TEL :072-232-0521
web:http://tsuruyagakki.hp4u.jp/

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