ミュージアム

ミュージアムへ行こう! 「博物館には何がある?」 レビュー(1)

 

堺市博物館に、これまで一体何度足を運んだことでしょう。
つーる・ど・堺では、これまで堺市博物館の様々な企画展を紹介してきましたが、今回の企画展はちょっと趣が違います。題して「博物館には何がある? -堺市博物館コレクション展 Part1 近代編-」。つまりは、堺市博物館そのものが主役の企画展なのです。それもそのはず、今回の企画展は堺市博物館の40周年を祝う開館40周年記念企画展なのですから。
さて、巨大な知の集積施設である博物館。その裏側にはどんなコレクションが隠されているのでしょうか?

 

■コロナ禍での展覧会

▲堺市博物館のコレクションを覗いちゃおう!

 

今回の企画展を担当された学芸員は江坂正太さん。昨年度から堺市博物館で勤められているニューフェイスです。案内のサポートには、先輩にあたる渋谷一成さんも顔を見せました。
渋谷一成(以下、渋谷)「今回の企画展は、当初は5月から7月で予定されていたものが、新型コロナウイルス感染症の影響で延期になっていたのですが、実は当初からコレクション展をする予定だったのです」
――それはどうしてですか?
渋谷「今年は、本来オリンピックイヤーでしたから、オリンピックの流通が優先になりします。美術品を運搬するトラックを抑えることは難しいことが予想されていました。、そこで遠方から展示品を借りずに出来る堺市博物館のコレクション展をすることにしていたのです」
――不幸中の幸いというか、なんというか。
渋谷「しかし、全部会期がずれて私の担当する企画展も来年度開催の予定です」
――なんとも残念ですね。それで今回は江坂さんのお手伝いなんですね。江坂さんよろしくお願いします。では、今回の企画展は、どんな特徴があるのでしょうか?
江坂正太(以下、江坂)「今回の企画展は3章立てになっていて、1章・2章は画家を取り上げており、3章はこれまであまり展示したことがないか、まったくない、レアな所蔵品を取り上げることにしました」
――堺市博物館が所蔵している画家というと……まずはあの人でしょうか?
江坂「第一章は岸谷勢蔵を取り上げています」
――やっぱり! 丁度、先日、さかい利晶の杜で「岸谷勢蔵-晶子のふるさと堺の風景-」を矢内一磨学芸員に案内してもらった所です。
江坂「さかい利晶の杜の方は、与謝野晶子との関係を中心にした企画展でしたが、こちらは岸谷勢蔵を全般的に扱っています」

 

■近代堺の郷土画家……岸谷勢蔵

▲堺にも菊人形館があった! 人気のあった『牛若丸と弁慶』の菊人形を岸谷勢蔵は描き残しています。

 

岸谷勢蔵は、与謝野晶子より21才年下のご近所さんです。与謝野晶子の実家である鳳家は駿河屋の屋号で和菓子屋を営んでいた事で知られていますが、そこから50m以内の距離にあった岸谷勢蔵の実家の岸谷家は木綿卸問屋でした。岸谷は地元の宿院高等学校を卒業した後、大阪精華美術学院に入学して絵の道へ進み、ひたすら愛する堺の風景や習俗を描く郷土画家になったのでした。
第一章は「堺を描き残す――郷土画家・岸谷勢蔵の世界――」です。

江坂「そうです。岸谷勢蔵は、戦災以前の失われた堺の風景や風俗を描いた人物です。岸谷勢蔵のお陰で私たちは戦前の堺の様子を知ることが出来ます。私は、岸谷勢蔵は近代堺で一番重要な人物ではないかと思います」
――取材をしていると岸谷勢蔵の業績に対する評価が低すぎると私も思いますが、近代堺で一番とは絶大な評価ですね! どんな作品が展示されているのでしょうか?
江坂「こちらは岸谷勢蔵が、堺区の大浜にあった菊人形館を描いた、『堺大浜菊人形館の図』です。作品としては昭和の戦後期のものです」
――かつて大浜は博覧会があってリゾート地になったことは有名ですが、菊人形館があったとは知りませんでした。さすが岸谷勢蔵は面白いものを見逃しませんね。
江坂「この菊人形館は1917(大正6)年に開館しました。描かれているのは人気のある『牛若丸と弁慶』のシーンです。菊人形展は、東京の両国国技館や枚方で行われていて人気だったそうです。その人気もあって両国国技館で菊人形をしていた乃村菊花園が大浜の菊花園も担当しました。この大浜の菊人形館は後に枚方に移って、ひらかたパークの枚方菊人形展のルーツになったようです。また乃村菊花園は、今でも博物館や展覧会、テレビの展示を手がける乃村工藝社となります」
――あの枚方菊人形展のルーツが堺にあったなんて驚きです。
江坂「戦後になって刊行された岸谷勢蔵の一冊に『堺の風物史』があります。こちらで展示してあるのは、その下絵になったスケッチ帳です。戦災に遭う前の堺市の様子が、岸谷勢蔵のコメントと共に描かれています」
――終戦からは随分たった1975年刊行となってますね。絵も美しく、コメントも丁寧ですね。岸谷勢蔵でなければ、そういった本を出すのは難しかったでしょうね。

 

▲戦後になって刊行された『堺の風物史』の下絵。美しい戦前の堺の風景が蘇る。

 

江坂「岸谷勢蔵の重要な仕事の1つが、堺の建物疎開に際しての記録画です」
――建物疎開についてはさかい利晶の杜でも取り上げられていましたね。以前、金岡公園ピースメモリークラブさんによる展示を『平和のための戦争展』で見たことがあります。
江坂「空襲に備えて空地を作ってしまおうという乱暴な政策でした。大阪市や広島市でも建物疎開は行われています」
――堺市では、岸谷勢蔵のスケッチなど、市が主導して風景を保存する試みがされていましたが、他の都市ではどうだったのでしょうか?
渋谷「そうですね。広島市では、戦後に作成された記録は残っていますが、当時から記録していたのは堺市独自ではないかと思います」

 

▲今は無き龍神駅も画き残していた。アルファベットは色指定と思われる。

 

――国からの通達ではなかったのですね。堺市には先見の明があるように思いますが、一体誰の発案なのでしょうか?
江坂「一体誰が計画したのかはわからないのです。詳しいことはこれからの研究課題ですね」
渋谷「ただ、その頃詩人の安西冬衛が堺市役所に勤めていて、この計画にかかわっていました。たしか現場を見ている安西冬衛の写真が残っています」
――戦時中の安西冬衛の話はちょくちょく出てきますね。それにしても、貴重な資料ですね。
渋谷「この絵は、下絵なのですが、書き込みが色々ありますね。これは色指定だと思われます」
――BがBlackでWがWhiteとかですかね? アニメとかの色指定みたいです。岸谷勢蔵は、すごく丁寧な仕事をしてますね。人柄がうかがえます。

 

■魂の作品

▲戦災で失われた岸谷家を岸谷勢蔵は描いた。画面奥で仕事をしているのは家族だろうか?

 

建物疎開で戦災に備えた堺の町でしたが、アメリカ軍の攻撃はその程度で防ぐことが出来るものではありませんでした。1945年7月9日深夜の堺大空襲で、堺の環濠内はわずかな地域を残して焼け野原になってしまったのです。
江坂「岸谷勢蔵の生家の岸谷家も焼失しました。岸谷勢蔵はそれを残念がり、思い出を懐かしんで生家を描きました。江戸時代以来の豪壮な商家の造りや、商家の年中行事が丁寧に描かれています。私はこれは岸谷勢蔵にとっては、一番重要な作品だと思います」
――とても高い評価ですね。
江坂「困難に出会った時、どういう風に人は立ち振る舞うのか。この絵には、永遠に失われてしまった生家という大切なものを遺そうという強い意志が込められています。画家としての強さ、人間としての強さを見ることが出来ます」
――江坂さんが、岸谷勢蔵をして近大堺の最重要人物といった意味がわかってきました。しかし、一方で岸谷勢蔵がどういう人物だったのか、その人柄や半生について私たちはほとんど知りません。
江坂「そうですね。岸谷勢蔵は、まだ人物像は良くわかっていません。特に戦前どういうことをしていたのか。岸谷勢蔵がどういう人物だったのか、これから研究を進めるべきです」

「博物館には何がある?」第一章は、お馴染みでありながら、実像が良く知られていない堺の郷土画家・岸谷勢蔵が取り上げられていました。第2章も画家ということですが、岸谷勢蔵とは随分趣きが違う人物が登場します。お楽しみに!(第2回へ続く)

 

堺市博物館
堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内
072-245-6201

 

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