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特別展「百舌鳥古墳群 巨大墓の時代」レビュー(1)

 

ユネスコ世界文化遺産登録後ににわかに注目度が増した「百舌鳥古市古墳群」。
しかし、地元の堺市民だって古墳のことをどれぐらい知っているの? と問われればちょっと心許ないかもしれません。それもそのはずで、そもそも古墳時代は謎多き時代なのです。
今回の取材では、百舌鳥古墳群のど真ん中、仁徳天皇陵(大山古墳)のお膝元にある堺市博物館で開催中の特別展「百舌鳥古墳群 巨大墓の時代」の見学に行くことにしました。
案内していただいたのは、学芸員の橘泉さんです。

 

■古墳って何?

 

▲ドローンで撮影した空から見た仁徳天皇陵(大山古墳)。(映像:関西大学)

 

ユネスコ世界文化遺産登録後、びっくりするほどお客様が増えたという橘さん。たしかにこの日も平日の午前中だというのに、観覧者の姿が絶えません。以前の閑散とした印象とは大違いです。

――特別展、盛況ですね。この特別展はどんな狙いの展覧会なのでしょうか?
橘「今回の特別展には大きく2本の柱があります。1つは、古墳自体があまり知られていないので、まず古墳や古墳時代がどういうものだったかお伝えすること。もう1つの柱は、日本には沢山の古墳群があるのに、その中で百舌鳥古市古墳群がなぜ世界遺産になったのか。各地の古墳群と比べてどういう特徴があるのかを展示にしました」

では、1つ目の柱からみていきましょう。
特別展の入り口から入ってすぐには、仁徳天皇陵の立体模型と大きなモニターに映される動画が目を引きました。動画は地面から上がって上空から古墳群の様子を見るものです。
――これはドローンによる撮影ですか?
橘「そうです。150mの高さから撮影したのですが、それでも古墳の鍵穴の形がよくわかりません。仁徳天皇陵がどれだけ大きいのかということですよね」
――ずいぶん前から大仙公園から気球をあげる計画があって実験もされていましたが、気球からでもちゃんとみられるんでしょうかね?
橘「どうなんでしょう。かなり高くあげないと見えないですよね」
--あまり高く上げすぎると危険かもしれないですしね。

 

▲美形古墳として知られるニサンザイ古墳の立体模型。

 

――こちらの立体模型は、大山古墳以外のものもありますが、今回の展覧会のために作ったのでしょうか?
橘「いえ。堺市博物館で昔作って保管してあったものです。その後調査が進んで、より正確な形がわかった古墳もあるので、今使えるのは一部なのですが」
――古墳の調査もどんどん進んでいるものなのですね。

 

 

■長い古墳時代

▲最古の古墳とされる箸墓古墳。卑弥呼の墓とも言われています。

 

橘「一口に古墳時代といっても400年近い長さがあります。こちらでは古墳時代を前期・中期・後期にわけてそのう移り変わりがわかるように展示しました。古墳時代前期の写真は、箸墓古墳。最古の古墳と言われています」
――最古の古墳で、前方後円墳なのですか? 前方後円墳が出来る以前に円墳などがあったのではないのですか?
橘「それ以前の弥生時代のお墓は墳丘墓と呼ばれています。弥生時代は地方ごとにお墓の形が違っていますが、古墳時代になってほぼ同じ形のお墓が全国に出来るようになるのです」
――全国で古墳が作られるようになるのですね。
橘「全国で何か共通した意識を持つようになるのがこの時代ですね。国が出来る一歩前の段階。難しく言うと国家形成期にあたるのが、古墳時代です」
――その最初の古墳が箸墓古墳なんですね。
橘「卑弥呼のお墓と言われたりしていますね」

 

▲古墳時代後期には、須恵器が副葬品として登場する。

 

橘「古墳時代前期は、お祀りに使う鏡や石製品が多かったのですが、古墳時代中期になると、鉄の武器や武具など鉄製品が多くでてきます」
――武力が重要な時代だったのでしょうか。百舌鳥古市古墳群はこの時代ですね。古墳が巨大化する時代で堺市民には一番なじみがある時代ですね。
橘「堺市にも古墳時代後期の古墳群があります。中区陶器にある陶器千塚古墳群です。陶器千塚古墳群は、お墓の構造や副葬品から、須恵器作りに関わった人々のお墓だと考えられています」
――副葬品にも須恵器が多いですね。
橘「後期の副葬品には器が多いですね。お墓の構造が変化して埋葬施設が広くなったこともあります。器の中からはハマグリが見つかったりして、食べ物を一緒にお供えするという思想が広がったのではないかとも考えられます」
――一口に古墳時代といっても、400年近い時間の中で、小さくない変化があったことがわかりますね。

 

■古墳の作り方、古墳時代の暮し方

▲古墳を築造するのに使ったであろう木製の鋤。ほとんど今のスコップと同じような形をしています。

 

――これは当時のスコップですか?
橘「今とほとんど変わらないものが当時も使われていました。このコーナーでは百舌鳥古墳群の築造についてとりあげています」
――百舌鳥古墳群の古墳は、平地の土を掘って、掘った土で墳丘を作るスタイルだったのですね。
橘「仁徳天皇陵を造るのに、どれぐらいの土が必要だったのか。アフリカ象にして約34万頭分の重さの土が必要という表記をしてみたのですが、余計にわかりにくくなったかもしれませんね(笑)」
――ともかくすごいということだけは伝わりますね(笑)。

 

▲古墳時代の草間彌生さん(現代アーティスト)? 古墳時代の機織り機の全体像がわかった埴輪を復元したものです。

 

――以前の企画展でも、古墳時代は今につながる道具が伝わってきた時代とおっしゃっていましたが、このスコップもそのひとつですね。他にはどんなものがあるのでしょうか?
橘「例えば、機織り機ですね。これまでも機織り機の部品らしきものは良く見つかっていたのですが全体像は良くわかっていませんでした。それが栃木県下野市の古墳から、機織り機の埴輪が見つかって、どんな構造だったのかがわかったのです。その埴輪を復元したものがこちらです」
――素敵な水玉の服を着てますね。
橘「古墳時代の草間彌生みたいでしょ。布自体を染めていた可能性や、模様を描いていた可能性があります」
――古墳時代の芸術ですね。
橘「堺市南区の野々井遺跡からは弦楽器を弾く埴輪も出土しています。今回の展示では、楽器も復元しています」
――小さな琴みたいな楽器ですね。これは観覧者が弾いていいんですね。
橘「おや、調律がおかしくなってますね。直さないと」

 

▲堺市博物館の他の学芸員さんが作ったという古墳時代の弦楽器。

 

古墳時代には、進んだ金属加工技術も朝鮮半島から伝わりました。それは武器や武具だけでなく、装身具などにも使われていました。金のビーズや金の帯び飾りなども現代にあってもおかしくない。むしろ、大量生産品に囲まれた現代日本の生活では、ため息の出るような一点物の高級品として扱われるような品物でしょう。どうやら古墳時代の生活は文化的にも豊かなものだったようです。

さて、次回(2)では、特別展の2本目の柱である、個性豊かな様々な全国の古墳群について紹介し、百舌鳥古市古墳群がどのような古墳群だったのかを浮かび上がらせてみましょう。

 

堺市博物館
堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内
072-245-6201

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