堺能楽会館(S)の開場50周年(K)を祝うプロジェクト(P)、すなわち堺能楽会館開場50周年プロジェクト(SKP50)は、大和座狂言事務所の狂言師安東元さんプロデュースによって2か月に1回開催される記念の公演シリーズです。
2018年3月3日に開催された第1弾は『狂言 ✖「本読みの時間」』と題して、狂言とプロの語り手によるコラボレーション「本読み狂言」。そしてオーストラリアとシベリアの民族楽器のデュオ「スンダランド」によるライブに、朗読公演ユニット「本読みの時間」による朗読と、50年の歴史ある能舞台にとっても初体験のプログラムが続きました。(
前篇)そしてこの日の公演の締めとなるのは異色のプログラムの中で唯一の正統派? 本狂言「清水」でした。
■本狂言~清水~
「清水」の登場人物は2人。主人と従者の太郎冠者です。
大名は安東伸元さん。太郎冠者は安東元さんが演じます。
時代は、戦乱が収まり平和な世の中になった頃。皆が茶の湯を嗜むようになり、武人だった主人も茶の湯をはじめるにあたって、茶の湯には大切な名水を求めることにします。どこの名水が一番だろうと太郎冠者に相談すると。太郎冠者は野中の清水が一番だといいます。
せっかちな主人は、特別な桶を託すのでいますぐ清水をとってこいと太郎冠者に命じますが、遠い野中までいくのは大儀なので太郎冠者は嫌がります。
「野中に行くまでに鬼が出るんだそうですよ」
と口から出まかせをいいますが、そんな泣き言を主人は許さず、太郎冠者は桶をもって野中へ向かわされます。
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▲主人から桶を託されて太郎冠者は、野中の清水を汲みに行く。 |
嫌々野中へ清水とりに向かう太郎冠者ですが、途中でいい言い訳を思いつきます。鬼に襲われたことにして逃げかえればいいのだと。リアリティを出すために主人の大切な桶も打ち捨て、必死の体をつくろって屋敷へ駆け戻ります。
「何があった!?」「鬼が出たんです!」「桶はどうした?」「置き去りにしてきました~」
こう言えば済むだろうと思っていた太郎冠者ですが、事態は思わぬ方向へ進みます。
「それは桶を取り戻しにいかねば」
下手に主人に現場に行かれてしまっては嘘がばれてしまいます。
「えーっと、逃げる時に後ろでばりばりと音がしましたらから、きっと鬼が桶を食べてしまったんだと思います。いっても無駄です! 危ないです!」
しかし、止める太郎冠者を振り切って主人は野中へ向かいます。
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▲「神鳴」と同じ武悪の面を使って偽鬼を演じる。 |
ここで太郎冠者は再びひらめきます。
主人に先回りすると、鬼の面(武悪)をつけて、鬼のふりをして主人を脅かしたのです。
鬼を前にして驚き平伏する主人を前にして、太郎冠者は調子に乗って、主人に仕える太郎冠者に蚊帳をつらせろとか、良い扱いをするようにと約束させます。
これこそ身分が下のものが機知によって上のものに反撃するという狂言らしい、そして世界中の喜劇に共通する構造です。室町の庶民たちも、太郎冠者が主人をやりこめる様に、自分を重ね合わせてうっぷんを晴らしたのでしょう。
さて、ほうほうの体で逃げ帰った主人ですが、何食わぬ顔で戻っていた太郎冠者と先ほど出会った鬼の声がそっくりだということに気づきます。冷静に考えれば、なぜ鬼が太郎冠者の肩を持つようなことを言うのか不思議です。
疑惑を抱いた主人は再び野中へ向かうと言い出します。主人に疑われていることにあせった太郎冠者は再び武悪の面をかぶるのですが……さて、太郎冠者はこのピンチを乗り越えられるのか。お話の結末は、これもぜひご自身の目で確認してくださいね。
■演者たちの感想
今回の公演は、多くの人にとって初めて体験するアートとの出会いになったことでしょう。と、同時に多くの演者にとっても能舞台との出会いは初めてのことだったようです。
以下、演者へのインタビューです。
●「スンダランド」等々力政彦さん
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▲等々力さんのパネル解説。シベリアにあるトゥバ共和国の位置は? |
――どういう経緯でシベリアの音楽をされるようになったのですか?
等々力「もともとは音楽ではなくて、小学生の頃からシベリアの植物に興味があったのです。大学生になって念願かなって植物目的でシベリアへ行った時に、そこで出会ったトルコ(チュルク)系のトゥバの先住民の音楽に魅了されてしまったのです。初めて聞いた音楽なのに、そこにあったのは違和感よりも感動でした。なぜか自分の内面の知らない所が分かってくるような気がしました。それで自分から音楽を教えてもらおうと思って、1990年以降トゥバに通っています」
――このトゥバの音楽というのは、一体どんな時に歌う、どんなことを歌った歌なのでしょうか?
等々力「お祭りやハレの日に歌う歌ですね。歌の内容はラブソングだったり、山の素晴らしさを称える歌だったりします。トゥバの歌も日本の俳句と同じで歌詞の縛りがあって、頭韻を踏むんです」
――堺能楽堂では初めて演奏されたそうですが、印象はどうでしたか?
等々力「舞台の振動がすごかったですね。迫力がありました」
●「スンダランド」三上賢治さん
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▲日本のディジュリドゥ奏者の草分け的存在三上さん。音楽を通じて世界をまたにかけて活躍し自分も「レインボーウォーリアー」だと感じるようになったそうです。大阪市大正区で「Avalon Spiral」というお店もやっています。 |
――三上さんは、どうしてディジュリドゥをされるようになったのですか?
三上「長い話になりますよ(笑) 僕はもともとカメラマンだったのです。当時、音楽活動をする友人に誘われてイギリスのグラストンベリーのフェスに取材もかねて行ったのです。丁度、その頃僕はカメラマンを一生の仕事にしていいのか悩んでいた時期でした。フェスに行くと、ディジュリドゥを担いでいる人が沢山いた。当時、世界的にブームになっていたのですね。僕は音楽をやったこともなかったのだけれど、試しに吹いてみると簡単に音が出たのです。普通なかなか音が出ないのですけれど。その時が、自分は音楽をやっていいのだと思えた瞬間でした」
――グラストンベリーのフェスティバルといえば世界最大級のロックフェスで、長い歴史もあります。それからずっとディジュリドゥをされているのでしたら、三上さんは日本での草分けになるのではないですか?
三上「それから魅了されて、5年、10年、結局20数年と時間が経ちました。そうですね。今、注目されているディジュリドゥ奏者のGOMAも、僕が縁でディジュリドゥを知ったんだよ」
――しかし、オーストラリアのアボリジナル・ピープルのディジュリドゥとシベリアのトゥバの音楽が、なぜか合いますね。不思議です。
三上「違和感ないでしょ(笑)」
●「本読みの時間」甲斐祐子さん
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▲「本読みの時間」主宰の甲斐さん。 |
――甲斐さんはどうして、「本読みの時間」をはじめられたのですか?
甲斐「いいものを見せびらかせたいという気持ちからですね。私は子どもの頃から芝居をしたり、みるのも好きでした。そして本を読むのも好きだったのですけれど、今でも本は好きで、このセリフを知り合いのあの俳優さんの声でやってほしいなと想像していたのを現実にやってみた。そういうことなのです。最初は20人、30人が入る程度のカフェから始めました」
――本好きの妄想を実現されて羨ましい!(笑) では、「本読み狂言」の方はどういう経緯で?
甲斐「(安東)元さんからやりたいと言われて、『神鳴』の台本をもらったのが始まりでした。元さんが狂言をわかって欲しいし、見やすくしたい、という希望をもっていて、(竹房さんと)3人でどうすればいいか話をしました。話し合ううちに、セリフを片方だけにしてナレーターを入れよう、関西弁のやり取りにしようと決まっていき、結局本読み狂言用に台本を起こし直しました」
――今日はナレーションから、「本読み狂言」、「本読みの時間」と大活躍の甲斐さんでしたが、堺能楽会館の舞台としての感想はいかがですか?
甲斐「声の響きがすごいです。無理をしない声でできる。機材を使わないで出来るのがいいですね」
●「本読みの時間」竹房敦司さん
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▲「本読みの時間」。毎回アドリブをいれてしまうという、ナレーターの竹房さん。 |
――甲斐さんにもお聞きしたのですが、「本読み狂言」誕生はどのようなものだったのでしょうか?
竹房「朗読と狂言で絡む。これをどうすればという所がスタートでした。僕は狂言をしゃべることは出来ないので現代語で。狂言は大和言葉だから、では関西弁にしてしまいましょう。また狂言では、狂言師が舞台上で自分で自分は何者かを語るのですが、それはしたくなかったので、ナレーションを入れることにしました」
――なるほど、それで『神鳴』の医者は、ナレーションで紹介されたのですね。
竹房「音だけでやるので工夫が必要でした。『神鳴』で医者が鍼を打つシーンは、本狂言では動作の面白さがある。それを音だけで表現するのはどうしようか。それを考えて北斗神拳でやってみたのです」
甲斐「竹房さんは、毎回ネタを盛るのです。今回は708の経絡秘孔とかビットコインとか、時事ネタを入れることもありますね」
――時事ネタを入れるところは、狂言の批判精神にも通じますね。狂言とコラボレーションして良かったことは何かありますか?
竹房「狂言は発声の部分で、言葉に対するこだわりがある。そこを改めて知ることが出来て勉強になりました」
――堺能楽会館の能舞台の印象はどうでしょうか?
竹房「音響がいい。響いてきます。それと松の前、つまり神様の前でやるということで、空気感が全然違う。ぴりっとしたものがありました。普通の舞台だと照明があたって観客が見えないのですが、ここだと全員の顔が見えるのも良かったです」
――『神鳴』に続いて新作の「本読み狂言」も準備中と聞きましたが。
竹房「ええ。狂言についての勉強も重ねていますよ」
●「大和座狂言事務所」安東伸元さん
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▲大和座狂言事務所の狂言師安東伸元さん。 |
――今日の公演の感想はいかがでしょうか?
安東伸元「一番最後に古典をもってくると〆になりますね。それが古典の力だと思います」
――元さんがやっている様々なジャンルとのコラボレーションについてはどう思われているのでしょう?
安東「(コラボレーションをはりはじめた)根っこはこちらですよ(笑)。私もオペラや新劇に客演したこともあります。最近はクラシックとやることもあります。向こうが歌うと、こちらは能楽の動きで応じる。西洋の古典と日本の古典は同じ古典として通じるところがあると思います。丁度、能楽とバロック音楽が生まれたのも同じぐらいの時代ですし」
――安東先生こそ、海外の芸術など、コラボレーションの先輩だったのですね(笑)
安東伸元「私は海外でも公演したこともあるけれど、向こうでは必ず世阿弥や禅について質問されます。しかし、どれだけの日本人がその質問に答えることが出来るでしょうか。日本の学校では古典を教えることが政府によって意図的に外されているように思いますね。たとえばイギリス人ならシェイクスピアを自分たちの芸術家として誇りに思う。それに対して、日本で能楽や世阿弥のことは教科書でもほんの何行かでしょう。これで愛国心なんかを感じるはずがない」
●「大和座狂言事務所」安東元さん
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▲大和座狂言事務所の狂言師安東元さん。 |
――お疲れさまでした。今日の公演を終えて感想を一言お願いします。
安東元「今日一番良かったのは、(能楽が)はじめての方が全体の半数以上も来てくださったことですね。皆さんに堺能楽会館を知ってもらったことが良かったですね」
――SKP50の内容も次第に決まってきたようですね。
安東元「そうですね。11月までの公演の内容も決まってきました。多くの方に見に来て欲しいですね」
SKP50の第一回のレポートいかがだったでしょうか。安東元さんも手ごたえを得ていたように、過半数の方が能楽初体験だったようです。館主の大澤徳平さんも、「いつもの客層とまったく違う」と驚き、喜んでいました。
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▲館主の大澤徳平さん。昨年11月に大澤家のファミリーヒストリーを卒論にしたいと訪ねて来た学生さんが、能楽にはまってしまって弟子入りし、ついにはデビューすることになったとか。「若い世代が来てくれて嬉しい」 |
異色の公演は、能楽の敷居を低く、間口を広げる力を持っているようでした。SKP50は、2か月に一回、奇数月に開催されます。能楽ファンの方も、そうでない方もぜひ一度堺能楽会館に足をお運びください。