「子ども食堂」と一言で言っても様々なタイプの「子ども食堂」がありますが、使用施設と運営形態に注目した時、三つのタイプに分けることが出来ます。個人の店舗などを利用したタイプ。町会館など公共施設を利用したタイプ。そして、福祉施設を利用したタイプ。今回取材している「つどい食堂」は、3つめの福祉施設を利用したタイプで、中区の「デイサービスセンターつどい」で開催されています。
発案者である施設長の奥野守さんは、夕方以降は業務時間外で人がいなくなる施設を有効活用できないだろうかとうところから、「子ども食堂」開設を思い立ちました。何もないところから始めるのに比べれば、設備の整った福祉施設にはアドバンテージがあるはず。その目論見は半分あたりで半分外れました。体の小さな子どもに対応するために、子ども用の食器を揃えたり椅子の高さを調整しなければならなかったのです。(→
前篇)
一方で、残り半分、目論見通りだったことについて、この後篇では取り上げていきたいと思います。
■テーマは「最小限の負担でやっていく」
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▲この日は学習ボランティアがいなかったので、奥野さんが宿題のアドバイスをしていました。 |
「つなぐ食堂」で提供される食事は無料となっています。
「子どもだけでなく、ボランティアで来られている方、学習援助の方も含めてですけれど、無料です(一般の大人は300円)」
しかも、食材費の援助はなしで、全て持ち出しでやっています。
「というのは、こちらの施設でいつもお昼ご飯を作っていますから、その時にちょっと多めに作っておくのです。お昼ご飯を作るついでに10食、20食を追加で作っても大きな負担ではない。またメニューも「子ども食堂」がある日は簡単に準備ができる丼とかカレーにしています。だからボランティアさんに調理してもらうのも、ご飯をよそったり、味噌汁を作ってもらったりするぐらいで、本格的に1から作るのではないようにしています」
このスタイルは奥野さんが当初から考えていたことでした。
「最初から、どれだけ効率良く、負担なくやるかがテーマだったんです。調理が一番大変だと思っていたので、それは昼食と一緒にするのがいいと考えました。極力負担は最小限にしないと続かないでしょう。やり始めてしまったからには辞められない。お金が無くなりました、辞めます、では寂しいでしょう」
奥野さんの「負担は最小限」というテーマは金額的なものだけではありません。
「ボランティアの方にも打ち合わせで何回も来てもらうとなると大変です。その日だけ、ちょっとの伝達事項だけで大丈夫。その日来るだけで全て出来るようにしてみたら、意外に出来るものでしたね(笑)」
奥野さんにお話を伺っていると、そのボランティアさんが1人、2人とやってこられました。今度はボランティアさんに話を伺ってみます。
■ボランティア団体”すみれ会”
「つどい食堂」をお手伝いされているボランティアグループの名前は”すみれ会”といいます。
「阪神大震災をきっかけに、ボランティアサークルが出来たのです。お年寄りのことを見るサークルだったのですが、当時は詐欺事件などもあったから怪しまれたりもして、まちの人たちには拒絶反応もありました」
阪神大震災のあった1995年は日本の「ボランティア元年」とも呼ばれている年です。被災地を助けようと始まった自発的なムーブメントはここでもあったのですね。この時のボランティアサークルが”すみれ会”というボランティアグループに発展します。
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▲食を通じてボランティアさんと子どもが交流する。 |
「今では校区の深井中町、深井清水町、深井北町に”すみれ会”はあります。最初はみんなで「つどい食堂」に手伝いに来たのですが、そんなに手がいらないことが分かって、今は各町持ち回りで3か月に一度になりました」
負担は最小限という奥野さんの方針はボランティアの現場でも活きています。
「大変さは何もないですよ。つどいさんが力を貸してくれるので。ご飯も作ってくれているので簡単ですよ。最初の頃は、カレーはあるけれど、ご飯が足りないなんてこともありましたが」
では、「つどい食堂」のボランティアの楽しさといえば何でしょうか?
「やっぱり子どもが可愛いですね。つどいさんも子どもをよう遊ばせてくれている。げんきな挨拶を聞いて、みんなと一緒にご飯を食べると美味しいですね」
そうこうしているうちに今度は子どもたちがやってきました。
■宿題の時間、ご飯の時間
子どもたちがエントランスに姿を現すと、いっきに福祉施設の空気が変わります。ビビットでカラフルな服装と高い声のおしゃべりで、目にも耳にも華やか賑やかです。
奥野さんは長机の受付けで、ポストから回収したチラシの申込書と、やってきた子どもたちを照合しています。どうやらこの日は1名の飛び入りもあったようです。
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▲宿題を教え合ったりする姿もありました。 |
受付けを済ませた子どもたちは2階にある食堂へ。
大きな厨房にカウンターで隣接した食堂も、月に一度子どもたちにジャックされる日です。
子どもたちは、めいめい同じ学年や仲の良い友達同士でテーブルにわかれます。宿題をやっている子もいれば、色紙で花を作っている子もいます。なんでも先生にプレゼントする花だとか。友達とおしゃべりしながらの賑やかなテーブルもあれば、1人でテーブルに座って宿題に集中している子どももいます。
奥野さんはテーブルをまわって子どもたちの様子を見ながら、コミュニケーションをとっています。
その間、厨房では”すみれ会”のボランティアさんたちの手で食事の準備が進んでいました。
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▲プレゼント用の花が出来ていきます。みんなが手伝いはじめ年齢を超えた交流も。 |
そろそろ食事の時間が迫ってきました。
勉強が一段落した子どももいれば、お花づくりが作業中の子どももいます。
「花のテーブルはそのままにしておいて、別のテーブルでご飯食べようか」
と奥野さん。作業テーブルの子どもたちが大移動すると、その先のテーブルで1人勉強をしていた子が不満をもらします。どうやら1人でご飯を食べたいよう。すると、奥野さんが、
「じゃあ、こっちのテーブルで1人で食べたらええやろ」
と、うまく采配しています。
「手を洗った子から並びや。ちゃんとお礼をゆうてお盆を受け取ること」
奥野さんに言われて洗面所で手を洗った子から、厨房と食堂の間のカウンター前に並びます。ボランティアさんが用意してくれた料理を載せたお盆を受け取り、テーブルまで運ぶ子どもたち。中に、体の小さな低学年の子がいると、奥野さんが代わりに運びます。
「いただきます」
と、ご飯を食べ始める子どもたち。奥野さんは、またもテーブルを回って様子を見ながら子どもたちの会話にまざります。
子どもたちの将来の夢は何? とりあえず就職する、デザイナー、芸能人、そして今の子らしくYoutuberなんて声も。
筆者も撮影していると「カメラマンってなるの難しい?」と聞かれたりします。
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▲豚丼におひたしに味噌汁。お腹いっぱいで栄養バランスも良さそう。 |
この日のメニュー豚丼はなかなかのボリューム。子どもによって、ご飯を食べる速度はまちまちで、早めに食べ終わった子から、遊びはじめたり、花作りの作業を再開したりしています。お姉ちゃんの作業を、一緒に来た妹が手伝いはじめたりして、テーブルの周囲は賑やかに。先ほど、1人で勉強やご飯を食べることにこだわっていた子どもも、いつの間にか笑顔になってデイケアの利用者のレクリエーション用の旗を持ち出して奥野さんと遊んでいます。
子ども食堂は、緊張した関係を解きほぐし、世代を越えた交流も促進するという実例をここでも見ることが出来たのでした。
■社会福祉法人が子ども食堂をする意義
こうして見ると、子ども食堂の開設場所として、福祉施設は適しているようです。
では、逆に社会福祉法人にとって子ども食堂をすることに何かメリットはあるのでしょうか? 改めて奥野さんに問うてみました。
「この建物自体は、竹林会という法人のものですが、私は地域から見たら社会資源の1つだと思うのです。公民館ではないですが、そのようなものだと思うのです。今までは高齢者だけが対象だったのが、小学生の子ども食堂になり、地域の人にはこの施設が社会にとっての資源の1つなんだよと認識してもらえれば十分です。金銭的なメリットがあるわけではありませんが、施設の存在意義が出てきたことはいいことだと思っています」
奥野さんが求めていたのは少なくとも直接的な見返りではありませんでした。
「同じような高齢者向けの施設や幼稚園・保育園など、可能性としては色んな施設で子ども食堂を開くことが出来ると思います。私たちのグループでは、泉北で幼稚園も経営しているのですが、幼稚園や保育園でやる意味はあると思います。夕方は教室が空くので使えますし、卒園生も利用者として来るでしょう。食事も「食事は毎日30食程度作ります、食材など20食準備することは、それほど負担ではありません。食材の一部の寄付や、ボランディアの方のマンパワーのおかげで経済的に運営できています。地域の皆さんの得意分野を集約して(つどって)この施設の存在意義があると思います。多くの保育施設や高齢者施設で子ども食堂を開けば、小学校区につき一つは子ども食堂を開くことが出来るのではないかと思います」
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▲「赤あげて! 白あげないで……」お年寄りのレクリエーション用の旗で遊ぶ子どもも。奥野さんが真剣な表情でゲームに挑戦。 |
第三のタイプの子ども食堂である、福祉施設を使った子ども食堂「つどい」は可能性を示してくれたように思います。すでに主要な設備は整っており、子ども向けに多少のものを買いそろえれば対応でき、ランニングコストも食材費程度となれば、立ち上げも運営も他のタイプに比べれば容易でしょう。
「各校区に一つの子ども食堂」、100を超える子ども食堂を開くには、この第三のタイプを広げていくことは不可欠に思えました。
「さかい子ども食堂ネットワーク」が生まれて一年。堺市ではその支援も得て子ども食堂の輪は広がっています。今、これから必要なものは何と、奥野さんは考えているのでしょうか。
「こうして取材して取り上げてもらうことには意味があると思います。子ども食堂のイメージは人それぞれだと思うのですが、やっている方は明るく楽しくやっていても、外部から見たらまだ貧困対策の暗いイメージばかりです。そんなことはないのだと多くの人に知ってもらうのは意味のあることだと思います」
まだまだ知られていない子ども食堂の実像を知らしめていくためにも、つーる・ど・堺ではこれからも子ども食堂やその周辺の取材を続けていきたく思います。