堺区北旅篭町は戦災を逃れたエリアで、町家歴史館清学院は、16世紀に開基した修験道の寺院で、明治時代初期まで寺子屋として使われていました。清学院で教わった子どもの中には、後の堺の偉人・河口慧海もいました。慧海の生家は、清学院から目と鼻の先の距離にあったのです。
現在は町家歴史館として一般公開されている清学院ですが、2017年8月20日、100年の時を経て寺子屋が開かれました。
観光ボランティアガイドさんからの提案で始まったというこの寺子屋の開催は1日2回、8月20日と21日の2日間。その最初の1回目を見学させてもらいました。
■100年ぶりの寺子屋
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▲清学院の長机の前に座った子どもたち。
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清学院の奥の座敷に、子どもたちの姿がありました。普段は展示してある江戸時代から使われていた座卓は、さすがに折り畳みの長テーブルに代えられていましたが、子供たちが並んで座ると丁度いいサイズ感です。
この日の先生は発案者の観光ボランティアガイドさんたちが務めます。
「ここは昔寺子屋として使われていました。寺子屋は年齢関係なしで、年の違う子もみんな一緒に勉強しました。わからない子には年上のお兄さんやお姉さんが教えてあげたんですよ」
この日も、兄弟姉妹でやってきた子どもたちもいて、丁度昔の寺子屋が再現されているかのようでした。親御さんたちがガイドとまちあるきツアーに出発すると、いよいよ寺子屋がスタートしました。
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▲紙芝居風に堺の歴史を知る。
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先生の授業はまずは堺の歴史から。
「今日はユネスコの世界遺産の国内推薦が決まった古墳のお話をしようと思います。みんなユネスコってわかるかな?」
怪訝な表情の子どもたち。さすがにユネスコは聞きなれません。
「じゃあ、古墳は?」
「見たことある!」
と、子どもたち。住宅地に点在する古墳は、堺では日常的に見慣れている存在です。
古墳が作られた時代は、たくさんの王の上に大王がいて、古墳は権威の象徴だったり、外国の使節を驚かせたというお話を紙芝居風にパネルで説明していきます。
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▲火縄銃の重さを実感。
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次は堺の伝統産業に繋がった火縄銃(種子島)について。
こちらもまずは歴史から。
「織田信長って知っている?」
と聞くと、今度も「知ってる!」との声。戦国三英雄の秀吉や家康はなかなかメジャーです。その信長たちの時代、日本にたどり着いた中国船に乗っていたポルトガル人の持っていた火縄銃をいち早く知り完全模倣したのが堺でした。戦国時代が終わってからも堺では火縄銃が作られ、江戸時代から続く鉄砲鍛冶屋敷は丁度清学院と裏にあります。
「ここから鉄砲鍛冶屋敷が見えるよ」
と、促されて子どもたちは縁側から裏の屋敷の様子を伺います。背の低い子は年上のお姉さんが抱きかかえてあげたりして、なんだか寺子屋らしくなってきました。そして、鉄砲鍛冶屋敷から借りてきた実物の火縄銃が子供たちの目の前に。
火縄銃は銃身が木の台座から取り外されています。堺では各パーツを別の職人が作る分業制で、それが現在の堺の伝統産業に続いているのです。
「重い!」「絶対こっちの方が重いわ!」
子どもたちはパーツに触れたり持ち上げたりしています。お次はふいごの模型です。観光ボランティアお手製のふいごは、ちゃんと稼働して仕組みがわかるようになっています。
「鉄砲鍛冶屋敷には日本で一番大きなふいごがあるんだよ」
やはり座学だけよりは、こうして実物に触れる学習の方が子供たちの反応はいいようです。
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▲昔の教科書を参考に手習い
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火縄銃でひとしきり盛り上がったあとは、古い教科書の登場です。貴重な実物の教科書を見せてもらい、そのコピーと紙が各人に配られます。手習い用の文章と、図鑑の役割をしていた動物たちの絵が描かれているページです。大きな子どもは教科書の字を写し書きをし、小さな子たちは動物の絵を写したりしています。
■アミューズメントとしても楽しめた清学院
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▲慧海を主人公にした紙芝居。若いころの慧海の写真に「イケメン!」を子どもたちも騒ぐ。慧海はかなりの美坊主です。
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清学院で学んだ偉人「河口慧海」を主人公にした紙芝居も行われました。
「みんな三蔵法師と孫悟空は知っているかな?」
経典を求めて鎖国していたチベットに密入国した河口慧海は、日本の三蔵法師と呼ばれているのですが、子どもたちは三蔵法師は知りませんが、孫悟空なら知っています。といっても、あの大人気アニメ/コミック「ドラゴンボール」の方なわけですが。
「ドラゴンボールのもとになったお話や」
と、先生は説明。なんとかわかりやすく説明しようとする工夫と苦労がしのばれますが、ちょっと笑ってしまいます。子どもたちは、河口慧海が、富士山よりも高いヒマラヤを踏破して奥地へ踏み入ったことにも驚いていましたが、それと同じぐらい慧海が「お酒もお肉もずっと食べないと誓った」ことにも驚いていました。食卓にお肉が無いことの方が身近な驚きですものね。
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▲庭の井戸のポンプを押して遊ぶ。
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休憩時間では、庭にある井戸のポンプで水を汲んで、子どもたちは大騒ぎ。小さな清学院ですが、子どもたちにとっては手押しポンプひとつで、なかなかのアミューズメント施設になるようです。
休憩のあとは、竹とんぼの要領で、パック牛乳を利用したパックトンボを作ったり、折り紙を楽しんだりしました。
こうして一通りのプログラムが終わる頃には、まち歩きツアーに出かけていた親御さんたちも清学院に帰ってきました。
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▲パックトンボの羽に色を塗って作成。
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では、子どもたちにもインタビュー。何が楽しかったですか?
「工作が楽しかった。河口慧海がめっちゃ偉い人ってわかった」
「折り紙が楽しかった」
寺子屋のひと時は、子どもたちにとって、これからも残る夏の体験になったのではないでしょうか?
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▲修験道の寺院だった清学院。
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最後にこの寺子屋イベントを企画した大人たちの話も聞いてみましょう。
堺市の文化財関係の取材ではよくお世話になっている文化財課の小林初恵さんは、
「子ども向けのイベントを開催するのははじめてですね。清学院は貸館をしていない施設ですから、今回もガイド機能として、寺子屋風景の再現につながるということで開催したのです。準備も全部、ボランティアガイドの土井さんたちがやってくださって」
この「寺子屋風景の再現」については、途中こられた見学客の方からも好評だったようです。では、1回目の寺子屋を終えた土井健一さんにもお話を聞きました。
「実は夢枕のお告げがありまして……というのは冗談ですが、せっかく夏休みなのだから清学院で寺子屋が出来ないだろうか。そう思いついたのは6月のことでした。準備時間もあまりなかったのですが、堺市文化財課も素早く協力してくれて開催することができました」
寺子屋で寺子屋をするから意義がある。堺市も観光ボランティアガイドも思いは同じようです。
「堺ならではの体験ができる。堺の子供にしか体験できないことができればと思います。堺市だけではできないことを、ボランティアガイドさんとも協力して、今後も意義を考えながら(清学院などを)活用していきたいです」
何度も訪れたことがある清学院ですが、今回ほど清学院らしい清学院を見たのははじめてのことでした。何百年もの時を刻み、歴史の中で実際に使われてきた本物の建物だからこそ持つ力を、このイベントで本来の使われ方をすることで清学院は見せてくれたように思います。今後の文化財の活用や、イベントの開催を考える時にヒントになるのではないでしょうか。