音が色で見えるという共感覚の持ち主・現代音楽の作曲家メシアン。彼は鳥類学者でもあり、あらゆる鳥の声を聴き分け、鳥の歌声は作品に取り入れられているのだとか。そのメシアンの没後25年後の2017年、「メシアンへの道」と題したコンサートが若手演奏家集団「アンサンブル音坊主」によって、堺で開催されます。
不思議な音楽家の作品を、風変りな名前の楽団が演奏するこのコンサートの主催は堺市文化振興財団です。堺市文化振興財団としても、新しい挑戦だというこの企画について、アンサンブル音坊主のヴァイオリニストで、堺市出身という蓑田真理さんにお話を伺いました。
■音坊主誕生への道
蓑田さんは、第33回堺市新人演奏会で優秀賞を獲得しています。文化振興財団が白羽の矢をたてたのも、蓑田さんが堺出身で優秀なアーティストであることと大きく関係があるとか。一体どんな音楽歴を歩んできたのでしょうか。
まずは蓑田さんの音楽との出会いから……。
「姉と兄がいるんですが、音楽が好きな母の意向で、プロにならなくてもいいから、一人ひとり楽器を習わしたかった。姉がピアノを、兄がヴァイオリンをやって、私はこれがやりたいといったらしいですよ。上2人は途中でやめた中、私はずっと続けたんです」
高校進学は音楽科を選び、東京の桐朋学園へ進みます。10代半ばでの早い進路の決断です。
「刷り込みかな。周りから言われて自分はちょっと出来るのかなというのがあって。でも、自分で決めたこと。やりたいという思いがあった。桐朋学園を選んだのは、素晴らしい先生がいたからです」
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▲蓑田真理さん。 |
親元から離れての寮生活は、当初は4人部屋で、途中からは1人部屋になっても一畳半ほどのスペースしかない過酷なものでした。
「箱入り娘というわけじゃないけど、そういうところにいた人がいきなりいって、悲惨な寮でしたけど、自分がやりたいことをやれる環境はありがたかったですね。切磋琢磨という言葉がぴったりというか、悩んで大きくなりました。ホームシックになっている暇もなかった」
桐朋学園は私服で、当時は高校と大学が同じキャンパスにある自由な学風の学園でした。
「桐朋学園は面白くて、自由だけどやることは自分でやりましょうね、という学校でした。朝5時か6時には練習室が開いて、音楽をやる子は朝練に行くのがステータスみたいな所があって、みんな始発に乗って行ったりするんです。そのうちに行かなくなるんですけど(笑)」
小学校や中学校では音楽に専念する子は特殊な存在でしたが、桐朋学園はその特殊が普通の場所でした。
「今まで大阪という限られた人数の中でやっているのが、東京、全国から同じような環境の子が集まってくる。井の中の蛙だったのが、こんなすごい人たちがいるんだと、そんな焦りもありました。難しい曲があって弾けない。弾けたとしても、弾けるだけじゃだめなので、どう表現するのか、自分は何ができるんかな、という悩みにぶつかります。さらに、学んで知識がついてくると頭でっかちにもなって、今までは感覚的にやってたものが、どうやっていたんだっけとわからなくなる。心と思いが結びつかない」
こうした悩みから解放されたのは高校3年生の卒業試験の頃だったそうです。
「何か(ドラマティックな)エピソードがあったわけじゃなくて、先生や他の人の助言ももらいながら、自分で向き合って、自分で答えを出していったんです」
アンサンブル音坊主の結成は、桐朋学園大学へ進んでからのことでした。
「大学2年か3年の頃でした。学園祭をきっかけに、学内でのコンサートをやるために、音坊主を結成しました。作曲をやっている子もいたので、彼らの曲を弾く。当時は現代音楽のグループはいなかったから、現代音楽を主に扱う変な人の集団でした」
現代音楽を演奏するという方向性は、結成以来のものでした。
「(現代音楽の作曲家)スティーヴ・ライヒの作品の日本初演をやったのが思い出に残っています。現代音楽はクラシックに比べると面白い所があって、クラシックだとすでに作曲家が亡くなっていていないので、文献を探したりするのが大変なんです。でも現代音楽だと作曲家が生きているのでコミュニケーションを取れる。作曲家から、アドバイスをもらったり、一緒に相談ができるんですね。今、思えばスティーヴ・ライヒにも連絡をとってみればよかったですね(笑)」
そうして始まったアンサンブル音坊主は、学内のコンサートから派生して、様々に活動の場を広げていきました。
「自分たちのやりたいことをやっているだけで、お金も取っていなかったし、ただ単純に楽しかったですね」
しかし、そんな楽しい時間も長くは続かなかったのです。
■分かれ道
大学を卒業する頃になって、音坊主の活動は中断します。
「海外の学校へ進むものもいれば、地元に帰ったり、フェードアウトする人もいて、活動しなかった時期がやってきたんですね」
音楽の道を志して音楽の大学まで卒業した人たちに、その後職業としてはどんな進路があるのかも聞いてみました。
「難しい質問ですね。ヴァイオリンだと大きく分けると、教えることと、オーケストラで演奏することの2つが主軸として働く口があります。音大を出たからといって、音楽をずっとやっているかというとそうでもない。音楽を離れちゃう子もいます。稼ぐことに関していえば、日本の環境はよろしくない」
程度の差はあるにせよ、ヨーロッパだから素晴らしい環境というわけでもなさそうです。
「ヨーロッパでも、歴史をたどると音楽家は王様のために音楽を作って演奏した。民衆のものではない、という文化がなんとなくあります。しかし、音楽が身近なものではないとしても、それを知ると知らないでは違う。自分の感性が広がるものなので、皆さんにぜひ聞いていただきたいんです」
2006年を最後に、音坊主の活動は中断に入ります。蓑田さん自身も卒業後フリーランスとなって、音楽を教えたりオーケストラで弾いたりが日常となります。
しかし、その日常は決して満足できるものではなかったようです。
「それは自分のクオリティの向上とは別でしたから」
職業として音楽に関わるだけの日々は、決して音楽家としての質の向上につながるとは限らない。そんな必ずしも満足できない状況で10年の月日が過ぎます。
■再結成にたどり着く
2016年、10年ぶりに音坊主の仲間が再結集します。
「この歳になって今音楽に関わっているものとして、仕事は仕事であって、自分がやりたいことが自由にやれる環境ではないのです。それに対して、仲間と何かをするのは勉強になる。自分のモチベーションも上がるというのが、活動再開のきっかけの一つではあります」
10年ぶりの再会は、どんな感慨を抱くものだったのでしょうか。
「10年経って少しは自分たちのしたいことも出来るようになったかな。その間、皆勉強してきたバックグラウンドは違うけど、会って音を出すと元に戻る。音楽でやりあうと、あんまり時間がたったとかそういう感覚はない。そう思い合えるメンバーもなかなかいないので、恵まれているなと思います」
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▲アンサンブル音坊主の東京公演より。(2017.8.4 代々木ムジカーザにて) |
再結成した音坊主も、やはり現代曲を取り上げます。
「学生時代もそうでしたが、現代曲はもちろんやります。それはメインです。しかし、現代曲だと身構えてしまうところがあるので、現代に行きつくまでのバロック、古典から順に並べてと、プログラミングも考えています」
そうして、2017年11月に蓑田さんにとっては、堺での凱旋コンサートともいえる、「メシアンへと続く道」が開催されることになりました。
10年の時を経て再結成した音坊主が取り上げるメシアンとは一体何者なのか。どうして現代曲にこだわるのか。そんなことを後篇ではお聞きします。
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アンサンブル音坊主