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まちあるき No.44

黄金のまち堺から聖山高野山へ 第3回

~高野街道 観光ガイドとテクテク十三里~ 金剛→滝谷

西高野街道を行く両性類の灯台守 カエルとホモサピエンスのお姉さんの旅。まさかの定員オーバーでウォーク&クイズラリーに参加できなかったカエルとお姉さんは、二人きりで高野街道を歩くことにしました。
二人は堺市を離れ狭山池を越えて大阪狭山市を縦断します。

kaeru.jpg「今回のウォークラリーは、カエルとお姉さんの二人旅。いったどんな見所があるのかな?」
ane.jpg「河内平野から金剛山地、和泉山脈の狭間に突入していくのよ。不思議な名前の坂道とか、面白くて由緒のある地名が沢山でてくるから楽しみにして欲しいわ。それと、このウォークラリーにとっては生みの親ともいえる人物の故郷を通るの」
kaeru.jpg「え、観光コンベンション協会の人ケロか?」
ane.jpg「リアルな企画の生みの親の話じゃないっ!」
kaeru.jpg「もーもったいぶるんだからぁ。ともかく、金剛駅からスタート!」

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▲高野沿線でおなじみの特急『こうや号』。あらためて見ると昭和レトロといった風情で、かえって新しいデザインかも? ▲金剛駅前。駅近くの風輪寺と狭山神社をまわってから、高野街道に合流するコースをとりました。


■風輪寺・狭山神社 10:40~10:55
ane.jpg「大阪狭山市といえば、1400年前に作られた狭山池よね。この狭山神社には、狭山堤神社も併設されていて、狭山池開発の功労者『入色入彦命』が祭られているの」
kaeru.jpg「入色入彦命のお陰もあって河内平野の人も両性類も大助かりケロ。カエルも拝んでおくケロよ」
ane.jpg「どちらの神社も延喜式神明帳(927年)で、全国に200社しかない官弊大社という偉い社格になってるわ。狭山堤神社はもともと狭山藩下屋敷跡に建てられた『狭山遊園』の池の近くにあったのが、狭山神社の境内に移されてきたんだって」
kaeru.jpg「大社なのに引っ越しさせられるなんて、定年したお父さんが邪険にされるみたいで、ちょっと切ない話だなぁ」

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▲風輪寺。河泉二十四地蔵霊場の九番。巡礼コースとしてはかなりマイナーだそうで、全二十四番を回った人は超地蔵通かも!? ▲狭山神社。小さな神社ですが綺麗な森を背負っていて古式ゆかしい印象です。近くには『シロノサカ』と呼ばれる急勾配の坂があり城郭があったようです。


■西除川と狭山池 11:15~11:30
ane.jpg「ほら、西除川が狭山池に注ぎ込んでいるわ。この西除川をせき止めてダム式の池にしたのが、狭山池というわけよ」
kaeru.jpg「狭山池はカエルのライバル『さやりん』が生息するテリトリーケロ!」
ane.jpg「ライバルっていうか天敵じゃないの? 相手は竜の子なんだから。蛇の親玉みたいなもんでしょ。カエルなんてひとのみよ」
kaeru.jpg「うう、食物連鎖には抗えないでケロ~。しょせん『カエルはカエル』。蛇にも竜にも、ましてや人にはなれないケロ」
ane.jpg研ナオコのヒット曲(※)みたいにいわないの! ほら、これからあの『岩室』のガスタンクを目指して坂をのぼっていくのよ」
kaeru.jpg「岩室? なんだか硬そうな場所だね」
ane.jpg「岩室っていうのは洞窟を利用した保管庫のことよ。前回の旅で陶荒田神社に行った時、泉北地方一帯が陶器の一大産地だって教えてもらったでしょ。作った陶器を岩室に保管していたんだって」

※『かもめはかもめ』
1978年、研ナオコのヒット曲。作詞作曲は中島みゆき。「かもめはかもめ、当たり前や!」と人生幸朗師匠がよくネタにしていた。


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▲西除川が狭山池に注ぎ込んでいます。昔は天野川と呼ばれていました。西除川は農業・生活用水の他、野田城の堀となっていたように、軍事上も重要な河川だったのでしょう。 ▲狭山池の南端から北を望む。対岸の狭山池博物館が見えます。
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▲亀の甲の交差点から見上げる大阪ガスのガスタンク。転がってきたらどうしよう!? 岩室といい、硬そうな地名が多いですね。 ▲天野街道へのハイキングコースを教えてくれるツール・ド・大阪の看板。つーる・ど・堺としては見逃せないですねー。この道はガスタンクの横を通ります。


■道標石・天野街道 11:45~
kaeru.jpg「高野街道よ! 私は帰ってきたケロ!」
ane.jpg「この道標石は、十一里石と十里石の間にあって、高野街道と天野街道の分岐になっているの」
kaeru.jpg「十一里と十里の間に置かれているのに、高野山まで十里って書かれているケロよー」
ane.jpg「昔の人は結構アバウトなのよ」
kaeru.jpg「ところで、天野街道って何なの?」
ane.jpg「高野山に向かうのが高野街道で、天野山に向かうのが天野街道なの。高野山が高野街道の最終地点である女人堂までしか女性が入れなかったのに対して、天野山にある金剛寺は女性も入れたので『女人高野』とも呼ばれたのよ」
kaeru.jpg「天野山に金剛寺があって、金剛山は別の場所なんだ。金剛ってなんじゃらほい?」
ane.jpg「ダイヤモンドのことね」
kaeru.jpg「なんだってー! 金剛山ってダイヤの山ってこと!? うおー。お姉さん、ツルハシとスコップを用意してーっ」
ane.jpg「そうじゃないわよ。仏教では、ダイヤモンド(金剛)の堅い性質から、金剛は心の中の煩悩を打ち砕くものとされ『真理を本質とする』金剛界っていう考え方があるの。弘法大師空海が持ち帰った『金剛界曼荼羅』も有名ね。......って、人の話聞かないで天野街道に走りだしちゃったわ。そっちは金剛寺なんだけど」
kaeru.jpg「ダイヤーっ!」
ane.jpg「ちょっとーっ。まちなさいって! カエル跳びで跳んでいかないでってばっ」
走り去るカエル追いかけるお姉さん。

バサッバサッ。

しかし二人の頭上には巨大な黒い影が......。

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▲道標石。「左かうや山 十里 右あまの山 二里」の道標。 ▲天野街道のお地蔵様。天野街道にも沢山のお地蔵様がいらっしゃいました。
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▲『歴史の道100選』に選ばれている天野街道。陶器山の山頂近く。暑い日でしたが、この街道だけはひんやりとしていました。 ▲天野街道で蝶々も一休み。



■三都神社 12:20
kaeru.jpg「天野街道ですっかり道に迷ってしまったケロ......お姉さーん! どーこー!」

カエルの叫びに返ってくるのは、鳥の鳴き声ばかり。

kaeru.jpg「蛇も怖いけど、鳥も苦手だケロ。とくにモズの連中はなんだって、カエルたちを木に突き刺して日干しにするんだケロ。松崎しげるバリに真っ黒になってしまうケロ」

バサバサ。羽音と共にカエルの頭上に黒い影がさします。

kaeru.jpg「ぎゃーっ。カラスっ」

カエルが見たのは、空を覆うような巨大なカラスの姿。
カラスから逃げるように走ったカエルは、神社の境内にたどり着きます。
そこには見知ったお姉さんの姿がありました。
kaeru.jpg「お姉さーん! カ、カラスが、超でかいカラスがっ!」
ane.jpg「どうしたのカエル? なになにカラスに追いかけられた? それはひょっとしたら、神の使いかもしれないわよ」
kaeru.jpg「どゆこと?」
ane.jpg「この三都神社は、もとは熊野神社と呼ばれ、和歌山は熊野三山の熊野三所権現をお祀りしているの。三都神社のあるここ今熊(かつての今熊村)も、今(新しい)熊野神社から名付けられたのよ。そして、熊野三山といえば、神武天皇を道案内した神の使い八咫烏(※)が有名でしょ」
kaeru.jpg「じゃあ、あのカラスは神の使いで迷子になったカエルを助けてくれたってコト? 鳥類なのに、なかなかやるケロ」
ane.jpg「助けてもらったわりに上から目線ね......」


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▲天野街道から下って三都神社にあがる坂。裏参道になるのでしょうか。今回のウォークは坂だらけです~。 ▲三都神社の本殿。かつて熊野神社でしたが、昭和に入ってから商売繁盛を願って西宮の恵比寿様を合祀し三都神社と呼ばれるようになったとか。
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▲恵比寿様はお耳が遠いので裏にまわって槌で木の板を叩いてお知らせします。 ▲石段から町を見下ろし、おむすびたべたよ。裸の大将のごとく。

『八咫烏』
日本のみならず世界各地の神話で、カラスは夕暮れ時に巣に向かって飛ぶことから、太陽と関係の深い神秘的な動物とされています。道案内をするというのも、巣にかえるカラスの姿からイメージされたのでしょう。なお、八咫烏の「八」は、「大きい」という意味だと考えられています。


■おわり坂 12:45
kaeru.jpg「うひゃー。すごい坂があるよ。これがひょっとして『おわり坂』?」
ane.jpg『おわり坂』の名にも三つの謂われがあるそうよ。ひとつは、河内木綿などを大阪・堺へ運ぶ荷車に『おわれ』ながら坂を下り、登り切って『おわり』と一息ついたからという説。次に、江戸時代の狭山池改修を行った尾張衆がいたという説」
kaeru.jpg「河内木綿の誕生と狭山池の改修は第二回のウォークラリーで知ったよね」
ane.jpg「三つ目の説は、高野山から戻ってくる時の最後の難所で、これでおわりの『おわり坂』
kaeru.jpg「どの説もありそうケロ。でも、なんでこういうのって三つあるのかな? 三大なになにとかも良く聞くし」
ane.jpg「二つじゃネタが少なくてつまんないし、四つじゃネタを盛りすぎて話がくどくなるからじゃないの? 的確にまとめないと笑いが取れないでしょ」
kaeru.jpg「まるで『すべらない話』ケロ」
ane.jpg「昔っから、ダウンタウンの松っちゃんみたいにお笑いにうるさい人がいたってことよ」


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▲おわり坂の交差点。正面の交通量の多いいちょう通りも坂道ですが、こちらは『おわり坂』ではありません。 ▲こちらが『おわり坂』。観光マップには平坦な道にそって「おわり坂」と書いててちょっと混乱しました。どの道が「おわり坂」かを教えてくれたセブンイレブンのお兄さんありがとう!
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▲ここにもお地蔵様が。三津屋川を渡る地蔵橋の脇にたっていました。 ▲西除川の支流である三津屋川。サイダーが流れていたりはしません。


■十里石 13:30
kaeru.jpg「これが十里石ケロか? これまでで一番目立たない里石だよ。うっかり見逃しそうになっちゃったよ」
ane.jpg「そうね他の里石にはあった地蔵堂も併設されてないものね」
kaeru.jpg「そっか、なんか寂しいと思ったらお地蔵さんがいないんだ! まさか、ここはお地蔵さんに見捨てられた町!?」
ane.jpg「どんなホラーよ。そんなわけないでしょ。お地蔵さんはみんなのアイドルだから。実はこの十里石のある茱萸木(くみのき)、当時の茱萸木村(くみのきむら)は、高野街道に十三里石を置く発起人となった小左衛門五兵衛の故郷なのよ」
kaeru.jpg「? だったらなおのこともっと立派な里石の方が良かったんじゃないの? どうして?」
ane.jpg「どうしてかはわからないんだけど、故郷だからこそってのはあるかもね」
kaeru.jpg「ホモサピエンスは故郷に錦を飾るとか言わなかったっけ?」
ane.jpg「ほら、街道においた里石は小左衛門と五兵衛が全部お金を出したんじゃなくて、土地土地の人達から有志を募って建てたわけでしょ?」
kaeru.jpg「そうだったね」
ane.jpg「もし発起人の二人がとりわけ立派な里石とかたてちゃったら、他のみんなも頑張って立派な里石を建てないとって気になっちゃうでしょ」
kaeru.jpg「親戚同士でお年玉の金額を合わせておくみたいな、話になってきたケロ」
ane.jpg「あくまで推測なんだけど、二人の気遣いだったんじゃないかなーって気はするわね」
kaeru.jpg「これで大阪狭山市ともお別れケロね。次の里石はようやく一桁の九里石。河内長野へGO! だケロ!」
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▲十里石。女人堂まであと40キロ! ようやく序盤を踏破したといったところ。 ▲茱萸木村の現在。小左衛門と五兵衛の故郷です。
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▲大阪狭山市と河内長野市の境になっている西除川。河内長野側から撮影。 ▲現在の西高野街道の道標。昔の十三里石の面影をちょっとなぞっているようです。



■次回予告!
ane.jpg「近いわりにはあまり足を運んだことがなかった大阪狭山市だけど、歩いてみると古い歴史のある落ち着いた町だったわね」
kaeru.jpg「天野街道も自然一杯で、市街からすぐに入れる道とは思えなかったケロ」
ane.jpg「どこか仏教伝来以前の空気もただよう、『神さびている』エリアといえるかしら?」
次回の二人旅は河内長野へ。平安時代に魔物から京都を守護したマジカルヒーローゆかりの地を訪れます!

※予想以上の大人気「ウォーク&クイズラリー」後半戦からでも参加したい人は、情報チェックを忘れずに! つーる・ど・堺のかわら版でも随時情報をアップ! していくのでこまめにチェックしてね。

第5回~第8回は「はしもと広域観光案内所」が担当します。
TEL   0736-33-3552
電話受付のみ(8/9 から受付開始)

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