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まちあるき No.43

黄金のまち堺から聖山高野山へ 第2回【後編】

 ~高野街道 観光ガイドとテクテク十三里~ 北野田→狭山

はたして前編で予告された『神話と歴史の境目にいる人物』とは誰なのか? ナゾがナゾを呼ぶ西高野街道の旅。高野山ウォーク&クイズラリー第2回も後半戦に突入です。
両性類の灯台守 カエルと、ホモサピエンスのおねえさんは、北野田を出発して現在堺市中区福田と大阪狭山市山本の市境を南に向かって歩いています。


■隠(かくれ) 12:00
ane.jpg「このあたりは、正式な地名にはなってないけど『隠(かくれ)』と呼ばれている地域なのよ」
kaeru.jpg「うわー。『隠』なんて忍者でもいそうな地名だね。白土三平(※)の漫画みたいで格好いい!」
ane.jpg「この地名がついたのには諸説あるの。ひとつは南北朝時代に西高野街道を見張る場所に五本の松があって、丁度金剛山が隠れて見えなくなるので『金剛山隠れ』と名付けられた。これがなまって『こごせかくれ』と呼ばれた説。次に、桃山時代に行われた豊臣秀吉の『太閤検地』の時に、隠し田があったからって説」
kaeru.jpg「『隠し田』なんて、ますます白土三平の世界!」
ane.jpg「そして、大阪夏の陣で敗北した豊臣方の大野道犬(おおのどうけん)が、この地に隠れたという説」
kaeru.jpg「ムキーッ! 大野道犬! 堺を燃やしやがった、あんにゃろめですかっ!」
ane.jpg「道犬は徳川方に捕縛され、堺衆の恨みを買ったため堺で火あぶりにされた。これには、すごい逸話がオマケでついてて......」
kaeru.jpg「え、すごいって......ゴクリ」
ane.jpg「刑を終え検分役が近づいた所、焼死体になったと思われた道犬は突如起き上がって脇差しを奪い、検分役を斬り殺して灰になり崩れ落ちたのよ......」
kaeru.jpg「ひーっ。超ホラー!」
ane.jpg「道犬は堺区柳之町の月蔵寺に葬られ、今もお墓があるわ」

※白土三平
『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』など忍者漫画の第一人者。忍術・剣術のエンターテイメントと人間ドラマ、そして重厚なテーマで傑作として知られる『カムイ伝』は完結しておらず、作者は80才で現在第三部構想中とのこと。なお元祖美少年忍者カムイが活躍するスピンオフ作品『カムイ外伝』はアニメ化もされ、漫画・アニメとも傑作として高い評価を受けている。


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▲この交差点からゆるやかな上り坂が延々と続きます。登り切ったあたりに隠自治会館があります。 ▲隠自治会館から、どーんとだんじりが登場。お祭りにそなえてお手入れでしょうか?


『だんじりと布団太鼓』
堺のだんじりは明治時代に禁止されています。あまりにも人びとが熱中しすぎ、だんじり同士がぶつかって時には死者まで出る騒ぎになったからです。日露戦争の勝利後曳行は許され、淡路島で曳かれていた『布団太鼓』を買い付けたのが、布団太鼓のはじまりだとされます。現在の堺市では、そんな経緯もあって布団太鼓の地域とだんじりの地域が混在しています。


■阿弥陀池 12:05
ane.jpg「見て! カエル。すごい景色よ」
kaeru.jpg「綺麗な池だねーこれが阿弥陀池かーあれは金剛山かなー」
ane.jpg「逆よ。逆!」
kaeru.jpg「えっ......。......。......」
ane.jpg「さすがに言葉を失っちゃってるわ。......河内平野が一望できる絶景ポイントね」
kaeru.jpg「カ、カエルのおうちの灯台が、煙を吐いて火事ケロー!」
ane.jpg「え、堺が火事......って、あれは関電のお化け煙突よ!」

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▲阿弥陀池を背にして北を望む。煙突は関電の煙突。はるか向こうにうっすらと六甲山系がみえます。
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▲正面が阿弥陀池。左が高野街道ですが、一端右に折れて陶荒田神社を目指します。 ▲春うらら。このあたりは田畑も目につきます。花も咲き絶好の散策日和りです。


■陶荒田神社 12:20
ane.jpg「さあ、いよいよ『神話と歴史の境目』に遭遇するわよ」
kaeru.jpg「あ、あの黄金の冠をかぶった人ケロか?」
ane.jpg「あれは、大田田根子(おおたたねこ)さんよ」
kaeru.jpg「おおた猫? たねともこ?」
ane.jpg「ちがーう。おおたたねこ
kaeru.jpgおおたたたたたたたっ。ぎゃふ。し、舌噛んだケロっ!」
ane.jpg「大田田根子さんは父親が神様・大物、母親が活玉依毘売っていうすごい人なのよ!」
kaeru.jpg「パパが神様ってことはハーフゴッド!? 高野街道にも芸能人ばりのハーフブーム到来ケロ! 『神話と歴史の境目』を体現してるって遺伝子的なことだったとは!?」
ane.jpg「ふふ、慌てない。慌てない。時は第十代崇神天皇の御代。民の半分以上が死亡するような疫病の大流行があったの。その時、崇神天皇の夢に大物主が現れ、自分の血を引く大田田根子を探して自分を祀らせれば疫病は治まると告げたのよ」
kaeru.jpg「それで大田田根子が、奈良の三輪神社の神主様になったんだ!」
ane.jpg「さて、この崇神天皇こそ『神話と歴史の境目の人物』なの。学術上、実在の可能性が見込める最初の天皇ではないかと言われているのよ」
kaeru.jpg「神話と歴史の境目って、そういう意味だったケロか!」
ane.jpg「崇神天皇の業績が一部分けられて神話時代の初代『神武天皇』という存在が出来たのでは? という説もあるようね。たとえば大和朝廷の王権が確立の証がこの陶荒田神社なの」
kaeru.jpg「陶器の神様を祀っている神社がどうして?」
ane.jpg「この神社は朝鮮半島から渡来した陶工集団の守り神で、このあたりは日本の陶器発祥の地にして、陶器製作の最大拠点だったの。陶器は高級品として、朝廷に従った地方の豪族に下賜され、遠く宮城県鹿児島県からも出土されているそうよ」
kaeru.jpg「なるほど。崇神天皇と大田田根子の逸話は、大和朝廷が成立してく歴史的な経緯から生まれた伝説かもしれないんだ~。じゃ、一杯勉強した所で、お昼ご飯だケロ!」


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▲大田田根子様による解説。神様なので、一人、二人ではなく、一柱、二柱と数えます。ちなみに、姓と名前はどこで切るのかよくわからないとか。 ▲今でも陶芸家の参拝の絶えない陶荒田神社。陶器について詳しく知りたい人には、『堺市立泉北すえむら資料館』がオススメだそうです。
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▲丁度境内の桜が満開でした。 ▲寡黙な狛犬くん。じっと東を見つめています。


■十一里石 13:45
kaeru.jpg「ようやく十一里石までたどりついたケロ!」
ane.jpg「今回のウォークラリーで西高野街道を歩くのはここまで。ずっと堺市と大阪狭山市の境目を歩いてきたけど、街道を外れてゴールの大阪狭山駅へ向かうわ」
kaeru.jpg「うー。まだまだ街道を歩きたい気もするケロー」
ane.jpg「あら。ゴールの前には、日本最古のダム式のため池である狭山池と、狭山池博物館があるのよ。こちらも見所だわ」
kaeru.jpg「確か狭山池にはマスコットキャラの『さやりん』がいるケロ! カエルもかわいさでは負けないぞーっ!」

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▲高野山女人堂まであと十一里! 土地の有力者である岩室村の中林家によって建てられました。背の高い立派な里石です。
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▲狭山池のマスコット『さやりん』とはこの子です。竜の子という時点で、カエルはただの獲物ですね。 ▲十一里石から狭山池に向かう緩やかな坂からPLの塔が見えます。ウォーク中、方角を確かめるのにお世話になりました。


■狭山池/狭山池博物館 14:00
ane.jpg「これが1300年の歴史を持ち、2001年に13年に渡る『平成の大改修』によって生まれ変わった狭山池よ」
kaeru.jpg「福田の人達は、この狭山池の水が手に入らなくて苦労したんだよね(『前編』参照)」
ane.jpg「日本書紀の崇神天皇紀にも、『河内の狭山には水が少ないので池や溝を掘ろう』という記述があるわ。今も大阪市住吉区に残る依網池(よさみ池)は、崇神天皇の命によって出来た池で、堺市にまたがる大きな池だったそうよ」
kaeru.jpg「狭山池と依網池は西除川でつながってたんだね」
ane.jpg「狭山池は奈良時代(行基)鎌倉時代(重源)江戸時代(豊臣秀頼)、そして平成と何度も改修されていて、河内平野の人びとを潤したのよ。最大時には50以上の村が恩恵にあずかったんだって」
※( )内は改修者。
kaeru.jpg「うわー。歴史上のビッグネームが時代を超えて狭山池に係わってたんだ」
ane.jpg「狭山池博物館では、『平成の大改修』の際に、堤の一部がそっくり切り出されていて、過去の改修による変化が地層の積み重ねのように眺めることが出来るのよ。さあ、行きましょう」

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▲ダム式のため池としては日本最古の狭山池。 ▲池の堤には桜並木。大阪狭山市民の憩いの場になっています。
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▲世界的建築家 安藤忠雄氏の設計による狭山池博物館。流れる水の滝のカーテンが来客を迎えてくれます。 ▲平成の大改修の際に切り出した実際の堤。ガラスケースの向こうには1400年前から使用されていた木材がそのまま保存されています。


■狭山藩 上屋敷跡 15:30
kaeru.jpg「ここが狭山藩の上屋敷跡? 記念碑はあるけど普通の住宅地ケロ」
ane.jpg「この辺りの土地割りは現在も当時のものを引き継いでいるのだそうよ。地図と見比べてみると面白いわよ。それと上屋敷の大手門は、堺区の西本願寺堺別院(御坊さん)に移され今もあるわ」
kaeru.jpg「御坊さんの門ならカエルも見たことがあるケロ! それにしても狭山藩のお城代わりが、この上屋敷と下屋敷の陣屋だったのか。小さな藩だったんだね」
ane.jpg「江戸時代にお城を築けるのは五万石以上の大大名だけだったからね。狭山藩は一万一千石で、小さな藩だったのは確かだけど、超有名武将の血脈なのよ」
kaeru.jpg「へ? カエルも知っている武将ケロ?」
ane.jpg「もちろんよ。その武将とは、小田原北条氏。かの北条早雲を始祖とする一族なのよ!」
kaeru.jpg「えっ! 北条氏って、ヒデヨシの小田原征伐で滅亡したんじゃなかったの!?」
ane.jpg「当主だった氏直は助命されて高野山に流されていたのよ。そして氏直が若くして病没すると、氏直に従った叔父の氏規が家督を継ぎ、氏規の子・氏盛が狭山藩の初代藩主になったのよ」
kaeru.jpg「ふむふむ。徳川家康が氏直の養父だった縁もあって、徳川の世になっても家は存続してたんだね」
ane.jpg「親徳川の藩なんだけど、幕末には反徳川の天誅組が奈良を目指して西高野街道を走った時には、狭山藩は天誅組を饗応して穏便にすませたんだって」
kaeru.jpg「もめて戦うと面倒な事になりそうだからかな? その後天誅組は幕府と戦闘して壊滅しているし、そう考えると見事なスルー力だケロ」
ane.jpg「そうね。明治の廃藩置県後も北条家は子爵となって華族に序せられているのも、何があっても生き延びる戦国武将、風雲児早雲の血脈らしいといえばらしいかな?」
kaeru.jpg「名所もこれで最後ケロね。いよいよゴールケロ!」
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▲1616年にこの上屋敷が完成した時と同じ家が今も数軒だけど同じ場所に住んでいるそうです。下屋敷跡はあの狭山遊園として親しまれていました。 ▲記念碑の前を通る道は、上屋敷の大通りにあたります。

■ゴール 15:50
kaeru.jpg「今回のウォーク&クイズラリーも楽しかったケロ。次回も楽しみー」
ane.jpg「カエル。楽しそうにしている所悪いんだけど、ここで残念なお知らせがあるの......」
kaeru.jpg「ほへ?」
ane.jpg「私たちは、次回のウォーク&クイズラリーに参加できないのよ」
kaeru.jpg「どうしてケロ! コースが河内長野に入るからケロか? 堺市民のカエルは仲間はずれケロか!」
ane.jpg「そ、それは、その......」
kaeru.jpg「はっきりいうケロよっ!」
ane.jpg「じ、実は、参加申し込みをしたら既に定員一杯だったのよっ!」
kaeru.jpg「ぬふーっ。なんたるうっかり。お姉さんが戦国武将なら一瞬で滅亡しているケロ! とんだドジっ子ケロ!」
ane.jpg「なんですって。どっちが、戦国武将に相応しいか『信長の野望』(※)で勝負よっ!」


お姉さんのうっかりで申し込みに失敗してしまったカエルとお姉さん。はたして二人の旅はこれで終わってしまうのでしょうか!?
刮目して次回を待て!


※『信長の野望』
草分けともいえる戦国シミュレーションゲーム。プレイヤーは戦国武将となって天下統一を目指します。

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▲狭山駅でゴール! お楽しみの抽選は外れちゃいました。残念! ▲今回もたっぷり歩きましたよ!


※予想以上の大人気「ウォーク&クイズラリー」後半戦からでも参加したい人は、情報チェックを忘れずに! つーる・ど・堺のかわら版でも随時情報をアップ! していくのでこまめにチェックしてね。

第5回~第8回は「はしもと広域観光案内所」が担当します。
TEL   0736-33-3552
電話受付のみ(8/9 から受付開始)

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