笑顔とお米の国の表通りと裏通り フィリピン紀行(2)

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かつてルソンと呼ばれ堺とは縁の深かったフィリピンに旅をすることになりました。
マニラで行われる芸術祭「マニラフリンジフェスティバル2018」に招待された関西に拠点を置くTheater Group Gumbo(劇団ガンボ)に同行することになったのです。
今回の記事は、その顛末のフィリピン紀行その(2)です。前回は、フィリピンの料理・食事事情を見てみましたが、今回はアート事情についてです。
■フリンジ精神
さて、このフリンジフェスティバルというものは、今では世界中で開催されているのですが、そもそもは1947年に開催されたエジンバラ国際フェスティバルに招かれなかった8つの劇団が、国際フェスティバルの「周辺(フリンジ)」で勝手に始めたのが由来だそうです。
フリンジとは、カーテンの裾のついているヒラヒラのことを指したりしますが、周辺とか縁という意味。本体の周辺にあるものです。
自分たちで作り上げるスピリッツが共感を呼び、あちこちにその精神は広がり、今では世界の多くの主要都市にはそれぞれ独立した運営組織があってフェスティバルを開催しています。わざと開催時期をずらしているので、まちからまちへフリンジフェスティバルを渡り歩いてショーを披露して生活しているアーティストも少なくありません。
そんな中でマニラフリンジは、フィリピン人のプロデューサーがニューヨークフリンジで運営を学び、帰国して4年の準備期間を経て立ち上げたばかりで、今年(2018年)で5回目というまだ若いフェスティバルです。今年は87組のアーティストが参加し、16の会場で、2月7日から21日間もの長きに渡って開催されました。
そんな中、筆者が同行した劇団ガンボは最終の2日間が割り当てられました。
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▲パイナップルラボのジェームズさん。実行委員会のスタッフとして完璧なサポートしてくれました。写真は最終日の打ち上げの時のもの。
一行がマニラについた日程では、多くのショーは終わっており、また時間的にもリハーサルや公演の合間を縫って現地のショーを見るのはなかなか困難でした。
しかし、フィリピンでのアートはどのようなもので、どんなショーが受けるのかを、初めてフィリピンにやってきた一行はどうしても知りたかった。何かショーを見ることは出来ないだろうか? フェスティバルの実行委員会のジェームズさんに相談すると、彼は素早く手配をしてくれました。しかもチケット代は無料だといいます。
「だって、アーティストが他のアーティストのアートを見ることは大切だからね」
アーティスト同士が助け合い、自分たちの手でフェスティバルを盛り上げるのがフリンジ精神なのです。そればかりか、せっかくなので街中でよく見かけた三輪バイク(トライクル)で会場まで行きたいというと、それも手配してくれるといいます。
一行は、ジェームズの親切によって、2つのショーを無料で観ることが出来ることになったのです。
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▲無料でショーのチケットを手配してもらいました。アーティストがお互いのアートを良く知ること、そして一緒に盛り上げること。このフリンジ精神を、マニラフリンジのスタッフは全力でバックアップしてくれました。

■トライクルでゴー!
ラボで待っていると派手な三輪バイク(トライクル)がやってきました。フェスティバルの専属トライクルらしく、ポップなアートが描かれています。このトライクルの運賃も無料にしてくれて、ジェームズときたら太っ腹です。
ところが、驚いたことにこの決して大きくないトライクルに、運転手、ジェームズも含めて合計6人が乗るというのです。バイクの横につけたサイドカーに3人が入り、運転手の後ろに2人がまたがって搭乗完了。
このサイドカーが曲者で、道路キワキワの低い位置に乗ることになるので、前を走る車の排ガスをもろにかぶることになってしまいます。混んだ道と暴走気味の車の流れを縫うように走るジェットコースター的なスリルはありましたが、乗る位置が道路すれすれ故周囲の車からの直接吹き付ける排ガスをあびるのにはちょっと閉口しました。
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▲三輪バイク(トライクル)。渋滞ばかりのマニラでは重要な”足”です。芸術祭専属車らしくポップな塗装です。

夜のマニラのワイルドライドを堪能して、一行はショーの会場があるショッピングモールに到着しました。
ここもなかなか豪華で凝った作りで、日本のバブル期ならありそうなショッピングモールです。会場は、このモールの吹き抜けを見下ろす位置にあるガラス張りの大きなホールでした。
ショーのタイトルは「SOMNUS:A MODERN CIRCUS ART SHOW」……現代サーカスのアートショーでした。
受付けのスタッフからは、無料で観覧する私たち一行は、客席が空いたら座ることが出来るという説明がありました。しかし、このショーかなりの人気らしく、ひっきりなしにお客さんがやってきます。スタッフは、笑顔で資料を渡してくれます。
「素晴らしいショーだから、あなたたちに見てほしいの。とてもファンタジックなの。ぜひ楽しんでね」
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▲まてどはじまらないショー。最初は何かトラブルでもあったのかと思ったのですが、これが日常茶飯事なのでした。その理由は一体……?

しかし、そのショーが開場してもなかなか始まりません。30分、1時間たってもです。日本だと開場から開演までは30分というのが定番ですし、他の国のフリンジだと15分程度ということもありました。1時間も待つというのは、めったにない無い長さです。一方、周囲を見渡すと、席についた観客は皆楽しそうに談笑しており、イラついている様子も怒っている様子もありません。
「これがフィリピン時間というやつだろうか? 本当にショーははじまるの?」
戸惑う日本人を置き去りにしたように時間が過ぎていき、ようやくショーが始まったのは更に随分時間がたってからでした。
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▲ショーはストーリー仕立てで、不思議な本を開くとファンタジーが動きだす趣向。

さてどんなショーだったのかというと、サーカスといっても「モダンサーカス」とあるように、ピエロがいて空中ブランコがあってというような古いサーカスのイメージとは違い、一貫したテーマがあり物語性が感じられるアクロバティックショーでした。日本でも人気のサーカスショー『シルク・ドゥ・ソレイユ』などを思い浮かべてもらえば近いのですが、アスリートがパフォーマーとして登場して超絶体技を披露する『シルク・ドゥ・ソレイユ』に比べると、マジシャンやダンサーなどが中心でエンターテイメントショーの印象が強いショーです。
物語の内容としては、狂言回しのような男女が不思議な本を開くと、ファンタジーがあふれ出てくるといったもの。本から現れる幻想存在として、美しい衣装をまとったパフォーマーがジャグリングをしたり、天井からつり下げたエアリアルフープを使ったダンスを披露してショーが展開します。
随分またされたショーでしたが、残念ながら最後まで楽しむことはできませんでした。開始時間があまりにも押してしまったため、次に見る予定のショーの時間に食い込み始めていたのです。私たちは中座して次のショーを見にいくことにしました。
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▲エアリアルフープ。高さがないので迫力が今一つ。1人1人の技術が映える工夫がもうひとつ欲しい。全般的に、洗練さが足りないと感じました。

ところが、これまた待ち合わせ時間に遅れて迎えに来たトライクルに乗って次の会場に向かった所、開演時間は過ぎているはずなのにショーはまだ始まっていませんでした。おかげでショーは頭から見ることが出来たのですが、私たちの頭には疑問符が浮かびます。
「やはり、これがフィリピン時間なのだろうか?」
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▲「BODABIL」の司会のお2人。演奏は生演奏でした。英語に時折タガログ語を交えながらのトークはバカ受けでしたが、筆者にはフィリピンジョークを理解できるだけの英語力がなかったのは残念です。

このショーのタイトルは「BODABIL」。19世紀末からアメリカで流行した歌や踊り演劇を織り交ぜたショー形式・アメリカン・ヴォードビル(Vaudeville)へのオマージュのようなショーです。
男女ドラァグクイーンの司会で、1人ずつパフォーマーが登場します。
プログラムの解説を見ると、ミュージシャン、マジシャン、コメディアン、アクロバットが登場するとあります。
実際ショーが始まってみると、パフォーマーはセクシーな衣装の女性で、それぞれのパフォーマンスをしながら次第に服を一枚ずつ脱いでいって最後はほとんど裸同然になってバストを揺らして乳首を隠す胸飾りを振り回して終わるというのがフォーマットでした。いずれもパフォーマンス要素よりもストリップ要素が強く、ヴォードビルというよりは、よりエロティックなイメージのあるバーレスク(Burlesque)といった方がしっくりくるような印象でした。
どうやら、この「BODBIL」は、休憩をはさみながら長々と続くようです。まだ旅の疲れが残っていた一行は、二度目お休憩の時に会場を後にすることにしました。
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▲マジック、歌、ダンス、とパフォーマンスは色々あれど、最終的に必ずパフォーマーが服を脱いでバストの胸飾りを振り回すというオチになるのでした。
■フィリピン時間の謎
二つのショーを見て、もやもやとした疑問が残りました。
ひとつはヴォードビルといいながら、非常にエロティックなバーレスク風のショーだったこと。もうひとつはショーがいつまでたっても始まらない「フィリピン時間」です。
「フィリピン時間」については、翌朝設営のため会場入りした時に、ジェームズに疑問をぶつけた所「残念ながらそれがフィリピンなんだ」というのが返答でした。この返答の意味を「それがフィリピン人気質なのだ」という程度の意味かとその時はなんとなく思ったものでした。
しかし、その理解もなんだかおかしいのではと思うようになります。
まず、ジェームズをはじめフィリピン人スタッフはフレンドリーなだけでなく、約束した時間にはきっちりとやってくる几帳面さを持ち合わせていました。そして、劇団ガンボの公演では、開演の1時間以上も前に到着する人も少なからずいることに気づかされました。
人によって個性があるのは当然とはいえ、フィリピンの人たちはルーズなのか真面目すぎるのか、この現象には何か理由があるような気がしてきました。一体これはどういうことなのでしょうか。
この謎はその後もずっとついてまわり、ひとつの仮説として解答を見出すには、まだしばらくフィリピン紀行を続けねばなりませんでした。
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▲素晴らしい照明家のミオさん。前日のショーの照明が今一つで期待していなかったのですが、ミオさんが手掛けた瞬間ステージがまったく別物に。完璧なライティングを見せていただきました。

そしてヴォードビルがバーレスクになっていた疑問に答えてくれたのは、フィリピン演劇界のトップと目されるロディ・ベラさんでした。
シンガポールの大物演劇人アルヴィン・タンさんの紹介で公演を見に来たロディさんと一緒に食事をしたときに尋ねてみると、
「戦前はヴォードビルスタイルが流行っていたのが、戦後になってストリップショーのようになっていったんだ」
この戦争というのは、太平洋戦争のことです。
長くスペインの植民地だったフィリピンは、1898年からアメリカの植民地となっていました。アメリカン・ヴォードビルが流行していたのもアメリカの植民地だったこともあるのでしょう。
戦後、フィリピンのショーは、安易に受ける方向にいったのは何故なのか。これも後々そのわけにも思い至るようになりますが、この時は深く考えておらず、ロディさんに背景を聞くようなことをしませんでした。
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▲フィリピン演劇界でもナンバー1の大物なのに、とても気さくなロディさん(中央)。脚本家でもあり、役者でもある。ロディさんが脚本を手掛けた映画「ダイ・ビューティフル」はあるトランスジェンダーの死を扱った実話をもとにしたもので日本でも公開された。来日して日本の劇団とのコラボレーション経験もあり、「フィリピンの従軍慰安婦を題材にした脚本も書いたことがある」そうです。

このロディさんに、フィリピンの歴史を学ぶにはどこへ行けばいいのかと尋ねてみました。日本とフィリピンの歴史的な関係を知りたいと思ったのです。
事前に調べたところ、かつて戦国時代に日本人街があった場所の近くにはキリシタン大名でフィリピンに亡命した高山右近像の建つ公園があるそうですが、行く価値はあるでしょうか? ロディさんは肩をすくめます。
「あれは小さな公園で、周囲を車が回っているだけだから、行っても意味がないよ。行くならサンチャゴ要塞に行くべきだよ。あそこに行けばフィリピンの歴史が良くわかるよ」
ロディさんと会った翌日は時間に余裕があったこともあり、ロディさんお勧めのサンチャゴ要塞へ向かうことにしました。
今にして思えば、ロディさんの言葉は天の導きだったかもしれません。サンチャゴ要塞では思わぬものと出会うことになり、ヴォードビルや「フィリピン時間」の背景にあるものについて考えさせられることになるのです。

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