インタビュー

伊藤康貴 バレーボール選手(堺ブレイザーズ)

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profile
1989年生まれ。長野県松本市出身。
ポジション:ウィングスパイカー
出身校:丸子実業高(現・丸子修学館高、長野)→順天堂大
華やかに見えるトップレベルのアスリートにも、表からは見えない苦難があるものです。
バレーボールV・プレミアリーグ堺ブレイザーズの3選手の現役引退が発表されました。最後の大会となる第67回黒鷲旗全日本選抜大会を前に、これまでのバレーボール人生を振り返ってもらうインタビューシリーズは、リベロの井上裕介選手に続き2年間キャプテンを務めた伊藤康貴選手に登場願いました。
■7人しかいないバレーボール部員として
堺ブレイザーズ一筋の伊藤選手の現役生活は6年間。直近の2シーズンはキャプテンも務めました。伊藤選手のバレーボール人生はどのようなものだったのか、ご本人に語ってもらいましょう。
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▲背番号11 伊藤康貴選手。ポジションはウィングスパイカー。
――伊藤選手がバレーボールをはじめたのはいつからで、どんなきっかけだったのですか?
伊藤「中学1年生の時にバレーボール部に入部したのですが、同時にまちのクラブで硬式の野球をしていて、実は野球をメインでやっていました。本当は野球をやりたかったのですが、翌年3年生が抜けてバレーボール部の部員が7人になってしまった。僕はそれまでずっと土日は野球の練習でバレーボールの部活には出ていなかったので、このままだとバレーボール部が活動できなくなるということで、バレーボールに専念することにしたのです」
――ちなみに、それぞれのスポーツでポジションは何をされていたのですか?
伊藤「野球はピッチャーとファーストです。背も大きかったので。バレーボールは今と同じウィングスパイカーですね」
――Vリーグでプレイしようと思ったのは、いつなのでしょうか?
伊藤「Vリーガーとしてやりたいと思ったのは、高校3年生の時ですね。就職するか進学かで迷っていた時に、(順天堂)大学から声をかけていただきました。大学4年間でみっちりバレーボールをするうちにVリーグでプレイしたいという気持ちが固まってきました」
――学生時代の活躍はどうだったのでしょうか?
伊藤「(丸子実業/現丸子修学館)高校時代は、最高で全国で準優勝、大学では日本一になることが出来ました。学生時代はありがたいキャリアを積むことが出来たと思います」

■絶対このチームで最後まで
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▲サーブ練習をする伊藤選手。伊藤選手の強烈なサーブは、堺ブレイザーズの武器のひとつ。黒鷲旗でも得点源として期待です。
――伊藤選手のVリーガーとしてのキャリアは堺ブレイザーズ一筋ですね。
伊藤「Vリーグに入る時から、絶対このチームで最後までやりたいと思って入りました。出るつもりは1ミリもなかったです」
――それだけ堺ブレイザーズというチームに魅力があったのですね。
伊藤「入ってみたら、沢山の方に応援されているチームでした。1年目の時に優勝させていただいて、それが一番の思い出で胸に残っています。僕が入った頃は勝つのは当たり前で、優勝以外は評価されなかった。今、チームの成績が落ちてきて弱くしてしまった。その責任を感じています。出る時には強くして出ようと思っていたのですが、弱くしてしまった状態で引退することには悔しくて残念です」
■ずっと堺から離れたくない
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▲伊藤選手は2年間、キャプテンとしてチームをまとめました。
――6年間過ごされた堺で、思い出になった場所などはありましたか?
伊藤「僕は長野県の松本市という田舎のまちの出身なのですが、その後大学で千葉、Vリーガーになってから堺へ来て、堺が大好きになって、出来れば離れたくないですね。結婚して2才半の子どもと0才の子どもがいるのですが、子どもを育てやすい環境だなと思います。大仙公園や大泉緑地、ハーベストの丘にも子どもと一緒によくいきました。ご飯も美味しいところがいっぱいあって、堺東にもよく行きました」
――バレーボール選手って、バレーボール界以外の友達って出来るものですか?
伊藤「なかなかないですね。良く行くお店の店員さんと仲良くなったり、偶然お店で隣り合ったお客さんと仲良くなったりとか、それぐらいですね」
――では仲が良いのはチームメイトですか? 特に仲がいい選手とかはいますか?
伊藤「みんな仲がいいですよ。一緒にご飯を食べに行ったり。基本的に仲がいい」
――試合を拝見していても、堺ブレイザーズはコートに出ていない選手たちもコートに向かって力を送っているかのような印象を受けますね。チャレンジの時に肩を組んで輪になったり。
伊藤「試合に出ていない人も、全員が一緒に闘うというのは、キャプテンとして大事にしたかったことです。ファンの方も熱くなって応援してくれる方が多い。応援してくれる方も含めて相手に襲い掛かっていくというのが、ずっと堺ブレイザーズのやり方です。そういうのを今の若手に引き継いでいってもらいたいですね」
ファンと一体となって闘う堺ブレイザーズの伝統。しかし、それは優勝以外は許されないような堺ブレイザーズの伝統であったはず。近年の堺ブレイザーズの低迷の原因について、伊藤選手はどう見ているのでしょうか。
■堺ブレイザーズのチームのあり方を再確認する
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▲外国籍選手への比重が増す中、堺ブレイザーズを強くするにはどうすればいいのか。
――伊藤選手は、ここ数年堺ブレイザーズの成績がふるわないのは何が原因だと考えられていますか?
伊藤「優勝した時も、第一戦で闘ったメンバーも若くはなかった。その後、中心の選手が抜けてしまったということもありますし、リーグのレベルも上がってきたこともあると思います。それまでに比べて強烈な外国籍選手も増えてきました」
――なるほど。堺ブレイザーズとしては望ましいことではありませんが、リーグのレベルがあがったのなら、それはバレーボール界としては望ましい進化といえるでしょうか。
伊藤「いえ。僕は日本のバレーボール界としては決していいとはいえないと思います。強烈な外国籍選手がいるチームが勝つというのが果たしていいのか。堺ブレイザーズも若くて優秀な選手が多い。そこにもっと強烈な外国籍選手が来たら、(勝ち星を)獲れるようになるでしょう」
――でもそれでいいのか、外国籍選手の強さだけに勝利が左右されるようなリーグで果たしていいのか、ということですよね。では、そんな傾向が強まる中で、堺ブレイザーズはどんなチームになっていってほしいと思われますか?
伊藤「若い選手たちには、どんどん経験していってもらいたいと思います。しかし、プレー云々よりも、堺ブレイザーズにとって大切なことは、地域密着型のチームであるということ。サポーターの皆さんを大事にする。サポーターが1人でも増えるような、日ごろからの立ち居振る舞いや、プレーをして欲しいと思います。バレーボール選手である僕らがバレーボールを頑張るのは当然です。その前にこのチームのあり方を再確認してほしいと思います」
――堺ブレイザーズは熱烈な応援が特徴といえるチームですものね。
伊藤「サポーターの皆さんはどこへ行っても会場に来てもらえる。そんな皆さんに強い堺ブレイザーズを見せたかったです。その中で結果が出なくて、もどかしい思いもしました。志半ばで去ることになりますが、これからは僕もサポーターの1人として、外から応援したいと思います」
――会場へ行けば伊藤選手と一緒に応援できるんですね(笑)
伊藤「はい(笑)」
■トップレベルのアスリートを目指す君へ
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▲2017年12月2日(土)の堺大会。最終盤のマッチポイントの場面、サーバーに立った伊藤選手を会場を揺るがすような声援が包んだ。
――これからVリーガーを目指す子どもたちや若い世代のバレーボール選手に対して、伊藤選手からアドバイスをいただけますか?
伊藤「僕はジュニア、小学生の頃はVリーガーになるなんて1ミリも考えていませんでした。もちろんトップレベルのアスリートを目指すことも大事なのですけれど、スポーツを通して人間性を高めることがもっと大事です。俺はトップレベルのアスリートを目指すんだというだけで、子どものままではトップレベルのアスリートにはなれません。大人としてもしっかり一流にならないとトップレベルのアスリートになることは出来ないでしょう」
――競技の性質としても、一つの連携ミスが即失点につながるバレーボールは他のスポーツと比べてチームワークが重要なスポーツのように思えます。そうした競技の性質も関係しているのではないですか?
伊藤「そうですね。バレーボールはコミュニケーションが一番重要なスポーツです」
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▲「このチームでプレイできて僕は幸せでした」と伊藤選手。
――もうひとつ、伊藤選手は大きな怪我も経験されました。スポーツに怪我はつきもので、これからも怪我をしてしまう選手は出てきます。ご自身の経験を踏まえて、怪我についてもアドバイスをいただけますか?
伊藤「大きな怪我をしたのはVリーガーになって2年目なのですけれど、それまで僕はそんな大きな怪我をしたことがありませんでした。膝を手術して、コートに復帰できるのは9か月後だと言われたのです。それを言われた時は、また戻れるんだ良かった! と思ったんです。怪我をした時は、こんな怪我ではもう戻れないと思ってましたから。だから前向きな気持ちで手術にも望めました。リハビリは長かった。体育館に来てみんな必死で練習をしている中、僕は歩く練習をしている。早く戻りたいと思って焦ってしまって、結局長引かせてしまった。術後1年たってようやく良くなってきて、この2年は前のように戻れてきました。そんな自分の経験からも、絶対に焦ってはいけない。9か月の怪我が1年の怪我になる」
――長いリハビリの間は、何を支えにしてこられたのですか?
伊藤「支えは無かったですね。孤独でした。チームがバリバリ動いているのに、自分はリハビリ。孤独な戦いでした」
――怪我を乗り越えて、ようやくプレーが出来るようになったのがこの2年だったのですね。
伊藤「普通にバレーボールが出来る喜びがありました。サポーターの方に愛されるこのチームでバレーボールが出来たのは嬉しかった。今シーズンのホームゲームは日曜日は負けてしまったけれど、土曜日は勝つことが出来た。あの土曜日は割れんばかりの歓声で、最後に僕が入った時これまで経験したことのないような雰囲気でした。プレイで示せば、その分の声援を送ってくださる。こんな応援をしてもらえるのは、日本にこのチームだけだと思うので、このチームでプレイできて僕は幸せでした」
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堺ブレイザーズ
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