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挑戦!! 堺環濠ウォークラリー スタンプを集めろ!

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春のお散歩をちょっと楽しくする「堺環濠ウォークラリー」が開催中です。
これは江戸時代に再建された堺の周囲を取り巻いていた環濠の周辺にある史跡や名店を尋ね歩いてアプリでスタンプを集めちゃおうというウォークラリーです。期間は2018年3月24日から4月23日まで。
この記事では、「建物・史跡・場所」カテゴリーを中心に魅力を紹介します。
■環濠の船着き場から出発!!
さて、このウォークラリーに参加するためには、まずアプリをダウンロードする必要があります。お持ちのスマホの「App Store」「Google Play」などから、「Can Go」で検索(CanとGoの間にはスペースを入れてください)し、アプリ「Can Go カンゴー」をダウンロードしましょう。
このアプリだけでもウォークラリーを楽しむことは可能ですが、観光案内所やいくつかのラリーポイントに置いてあるスタンプラリーポイントマップをゲットしておくこともおススメします。
アプリを起動してメニューの【使い方】を確認。同じくメニューの【スタンプラリー】から【マーカー確認】で、スタンプを押せるマーカーのスポットが確認できます。
メニューの【スポット案内】を起動させると、スマホの画面に周囲の風景が映るのですが、それを辺りにかざしてみるとウィンドが画面に現れます。これはかざした方角にあるラリーポイントを示しているのです!! ウィンドをタッチすると、ラリーポイントの情報が掲示され、地図の表示やルート案内までしてくれるという優れもの。これは方向音痴の方でもちょっと安心なのではないでしょうか!?
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▲アプリを立ち上げ、スマホをかざせばその方向にあるラリーポイントが画面に表示されます。

どこから始めてもいいのですが、今回は南海本線「堺」駅近くのラリーポイントNO.2【環濠クルーズのりば】からスタートすることにしましょう。
最初のマーカーも、ここでゲットしてみます。ラリーポイントのどこかにマーカーがあります。マーカーは、わかりやすい所に貼ってあることが多いので、それほど困らずに発見できるかと思います。
マーカーを見つけたら、メニューの【スタンプラリー】から【スタンプGET】を選択。カメラでマーカーを捉えて、画面上のマーカーをタッチ! これで一つ目のスタンプをゲットできました。
出発する環濠クルーズ船を見送りながら、次のラリーポイントへ向かいます。ちなみに、ラリーポイント全部を徒歩で回るのはちょっと距離があります。たっぷり散歩が好きな人ならいい距離だと思いますが、自転車で回るのもおススメです。堺駅前にはレンタルサイクルがあるので、利用されてもいいと思いますよ。
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▲マーカーを見つけてスタンプゲットだぜ!!

■400年前に海を渡った堺旧港の守り人
ラリーポイントNo1.は堺旧港にあります。環濠クルーズ乗り場からは、環濠の北岸を河口に進み水門を通って行くこともできます。少し足を伸ばしてラリーポイントNo12.【パンゲア】を回ってもいいですね。また、南蛮橋を渡って環濠の南岸から向かっていくコースなら、堺駅南口近くのラリーポイントNo13.【DEAR CUP】、No14.【Bar CLASSICAL】も回ることができます。
堺の港はもともとは、一駅北の七道のあたりにあったそうですが、江戸時代の中頃に大和川が付け替えられて川の運ぶ土砂で海が浅くなると、港の位置は何度も変えられて今の位置に落ち着きました。この巾着袋のような形をした港の底あたりの岸辺に佇んでいる銅像がラリーポイントの【ルソン助左衛門像】です。
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▲片手をあげ、肩てに遠眼鏡を持つルソン助左衛門像。背景には水門。

ルソン助左衛門こと、納屋助左衛門は安土桃山時代の堺の貿易商です。NHKの大河ドラマ『黄金の日々』で若き日の松本幸四郎が演じて人気を博しました。近年では『真田丸』でも再び松本幸四郎の配役で登場して話題になったことを覚えている方もいるでしょう。
二つ名になっている「ルソン」とは、ルソン島のあるフィリピンのこと。1571年のマニラ陥落によって、フィリピンはスペインの植民地となり、マニラは国際貿易の拠点となっていました。助左衛門は海を渡りルソンで様々な品を買い付けて日本に輸入しました。
『太閤記』によると、助左衛門が持ってきたルソンのなんでもない壺に、千利休がとんでもない値段をつけたことで、助左衛門は財を築きます。その後、それがばれて秀吉の怒りを買うのですが、助左衛門は危険を察知するとルソンへと逃れ、その後カンボジアに渡ってカンボジア国王の信任を得て豪商になったともされています。
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▲堺旧港。右端に龍女神像。旧堺燈台を含めた3ショットも可能なので、ぜひチャレンジしてください。

権力者に逆らって鼻を明かしたルソン助左衛門は、ドラマの影響もあって堺市民には人気のある歴史上の人物でしょう。この銅像はゼネラル石油株式会社によって贈られ昭和55年10月に堺市民会館の敷地に建立されました。堺市民会館が建て替えられるということで、こちらに引っ越しをしてきたのですが、貿易商の助左衛門にとって港はよりふさわしい場所のように思えますね。
また、ルソン助左衛門と湾を挟んで対岸には向かい合うように港のシンボルである龍女神像があり、二体はなんだかペアのようです。晴れた日には空と海が青く輝き、うまく二体と記念撮影すればインスタ映え的にもいいポイントではないでしょうか!?
■堺のハートランド~宿院界隈~
堺旧港から内陸の方(東)へ、環濠を龍神橋を渡っていくことにします。ちなみに、龍神橋のたもとラリーポイントNo3.【堺泉酒造】の近くには日本が誇る建築家丹下健三の生家跡もあったりします。筆者はちょっとお腹が空いてきたので、ラリーポイントNo16.【生そば よし井】さんののれんをくぐることにしました。
こちらでいただけるのは暖かいせいろ蕎麦。溶いた生卵と一緒にいただくスタイルは他ではちょっとないお蕎麦の食べ方でしょう。ご近所の方がふらりと入ってきて頼んだ「ホームラン」というメニューが気になるので、そちらもどなたかチャレンジしてみてください。ついでにマーカーを撮影してラリーポイントをゲットすると、お店の人に喜んでもらえました。
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▲生そば よし井でせいろ蕎麦をいただきました。

阪堺線「宿院」電停の近く、ラリーポイントNo5.【さかい利晶の杜】のお隣には茶聖千利休生家跡もありますが、ご近所にはラリーポイントNo17.【本家 小嶋】、No19.【丸市菓子舗】と和菓子屋さんもあるので、利休を偲びながらお好みの和菓子をゲットすることも出来ますよ。
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▲さかい利晶の杜にて、三つめのスタンプをゲット。

さて、ご紹介したい史跡としては、やはりラリーポイントNo11.【宿院頓宮】です。ここは摂津一宮住吉大社のお旅所として知られています。日本の神話を紐解けば、住吉の神のお告げで朝鮮半島へと出兵して帰国した神功皇后の船団がこの地にたどり着いたのが堺の始まり。たとえばご近所の甲斐町の甲斐とは、神功皇后の兜に由来します。また船団が住吉沖に差し掛かった時に突如船が進まなくなり、この地に社を築くようにとお告げがあったことが住吉大社の始まりです。今でも毎年8月1日に住吉大社から住吉の神様がお神輿に乗って御渡りをしてくるのは、その神話を反復する行為といえます。せっかくなので頓宮でもマーカーをゲットしてみました。
この界隈は古い堺のおへそのような場所で明治のころは中心地としての賑わいもあり、聖俗両面のハートランドといえるでしょうね。
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▲宿院頓宮の飯匙堀。(マーカーは飯匙堀じゃないのですが)4つ目のスタンプをゲットしました。
■二つの国の境~大小路~
宿院頓宮から少し遠回りして、今では阪神高速道路の足元に埋められてしまった環濠・土居川のあたりへ向かえば、ラリーポイントNo21.【麺屋うさぎ】、No24.【(株)郷田商店】、No23.【ロジェ】、No22.【i-ROAS(アイローズ)】と食べ物関係のお店を回ることが出来ます。
そのまま大小路シンボルロードを海の方向(西)へ向かうと、阪堺線の通る大道筋に突き当たります。この角地にはラリーポイントNo7.【大小路(国境)】があり、アプリでは【晴明辻】として登場します。
ここには大小路の由来を説明した、不思議な形をした掲示板がありますが、これは環濠の形をかたどったものです。形を縁取る水色のラインは、もちろん環濠を湛えていた水をイメージしているのだとか。
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▲大小路シンボルロードのモニュメント。
「国境」とはなんの国境なのかというと、この大小路は、旧国で言うところの摂津の国と和泉の国の国境だったのです。かつてはこの道は今と違って方角的にまっすぐ東へ向かい長尾街道と合流していたそうです。その先の三国ヶ丘の方違神社のあたりから東が河内の国であり、三国の境であることから、堺という名前がついたといわれています。堺でも、この大小路より北(摂津)が北荘、南(和泉)が南荘というエリアわけがされていました。
さて、このモニュメントの隣には【晴明辻】の石柱があります。晴明とは、小説や映画にも登場する人気キャラクター陰陽師安倍晴明のことです。和泉市の信太の山の狐が母親など数々の伝説に彩られていますが、平安時代の京の都で活躍した実在の陰陽師です。
なぜ京都から離れたここが【晴明辻】と呼ばれているのかというと、ひとつには古代の日本人の心情では(国境など)境界線上には神秘の力と信じられていたからでしょう。安倍晴明も京都堀川(川も境界線とされる)にある橋の下に使い魔を隠していたとされています。もうひとつは、堺には中世から近世にかけて陰陽師が多く住んでいたということもあるようです。陰陽師というと、伝奇作品の影響もあって日常とはかけ離れた印象もありますが、実際には天文学を学んでカレンダーを作って配布したり、吉凶の相談を受けたり、庶民の生活に密接に関係した存在でした。昔から人口の多い都市だった堺には、それだけ陰陽師の需要があったということでしょう。
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▲モニュメントの横にある晴明辻跡。

ちなみにこの近くのラリーポイントとしては、堺が堺になる以前の古い土地の神を祀ったラリーポイントNo10.【開口神社】と、その参道の門前市である山之口商店街にあるNo20.【紙cafe】がまずあげられるでしょう。大道筋には、ラリーポイントNo18.【SAKAINOMA】、山之口筋を北へ向かえばNo9.【菅原神社】も回って、いよいよラリーも最終局面、戎島へと向かいます。
■一夜にして生まれた戎島
大道筋の阪堺線「花田口」電停前にウォークラリーで一番北にあるラリーポイントであるNo6.【ザビエル公園】があります。中世堺の南蛮貿易の時代には、この場所に豪商・日比屋了慶の屋敷があり、宣教師フランシスコ・ザビエルを手厚くもてなしたばかりか、了慶は洗礼を受け、のちには自宅を教会堂(南蛮寺)としクリスマスのミサも行ったと伝えられています。公園の名前は、ザビエルにちなみますが、それだけキリスト教と縁が深い場所であったのです。
なお、ザビエル公園は後の通称で、もともとの名前は戎公園なのですが、公園の西側にある環濠・内川を越えると、その向こうが戎島というエリアです。
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▲広いザビエル公園。さてマーカーはどこに?

この戎島は、1664年の8月に海から出現したという記録があるのです。堺の港を埋めた大和川が付け替えられる前の話なので、どういう海のメカニズムで生まれたのかはわかりませんが、石津川や潮の流れによって堆積した砂が閾値を越えて陸上に現れたのでしょうね。こうして生まれた新しい土地は、新田になったり、歓楽街になったりしたのですが、明治に入って日本の近代化に大きな役割を果たした施設が出来ました。それが、ラリーポイントNo4.【堺紡績所跡】です。
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▲明治天皇も視察に来た堺紡績所跡。天皇御幸は明治の一大イベントでした。

この紡績所は、幕末に西洋の技術をいち早く取り入れていた薩摩藩が鹿児島の紡績工場に続いて、1870年(明治3年)に日本で2番目の様式紡績工場として建設したものです。開国したばかりの日本に流入した海外からの安価な機械製綿織物は、日本の伝統的な綿織物工業に大打撃を与えました。それに対抗しようと、後に明治政府も国内に官営紡績工場を設立するのですが、それは明治11年以降の事。堺紡績所はそれに先駆けたもので、明治10年には明治天皇が視察に訪れています。この史跡に明治天皇の大きな石碑があるのは、そんな理由があったのです。
紡績所がこの位置に建てられたのも、環濠が脇を流れており物資の輸送が容易だったからでしょう。その環濠にそって南に進み、戎島にあるもうひとつのラリーポイントNo15.【TrattoriaL.S.C.】を回って千歳橋を渡れば、再び大小路に出て堺駅前にたどり着きます。これでぐるりとラリーポイントを一周してきたことになります。
堺環濠ウォークラリー一周レポート、いががだったでしょうか。
古代から、中世、江戸、近代にいたるまで、重層的な堺の歴史をゆきつもどりつしながら、名店めぐりもできるラリーだとお分かりいただけたでしょうか。以上の24ポイントのうち、4ポイントのスタンプをアプリで集めれば豪華賞品にご応募することが出来ます。ぜひチャレンジしてみてくださいね。

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