| トップページ |
雑記帖 No.271

堺かるたの想い出~今井雅子さんが語る『堺かるた』秘話~

2018年 第4回堺かるた総会

01_sinboku1.jpg

堺市のご家庭には、今もひょっとしたらどこかに古いカルタがしまい込まれているかもしれません。
昭和50年代に、児童文化詩のコラムから生まれた『堺かるた』は堺市内の全小学校に2~3セットずつ配られて副教材として使用されたばかりでなく、休み時間にかるたに興じたといいます。自分たちの住む地域のあれこれが出てくるカルタは身近な存在で、当時の小学生なら、好きな句の1つ2つはあったのではないでしょうか。中には、個人的に入手して遊んでいたという家庭もあったとか。
長年使用されたことから、かるたが傷んだり欠損したりして遊ぶことも難しくなったことから11年続いた競技会も終了し、いつしか『堺かるた』も下火になりましたが、近年になって『堺かるた』が復刻し、2015年には再販されることになりました。それに伴い「堺かるた大会」も復活。昔と同じように子どもたちが夢中になってかるだの腕を競い合っていました、昔と少し違うところがあるとすれば、今の時代を反映して、その中に海外の多様なルーツを持つ小学生たちもいたことでしょうか。ひらがなで書かれたかるたは、日本語の習熟の一助にもなるのではいかと思ったものです。

01_sinboku1.jpg
▲復刻した『堺かるた』。


さて、この堺かるたの復刻と再販はつーる・ど・堺の親会社である株式会社ホウユウも印刷でお手伝いしているのですが、今回は堺かるたの普及を目指す「『堺かるた』の会」の第4回総会にお邪魔することになりました。今回は、現在の堺を代表する作家の1人今井雅子さんも登壇し、堺かるたについてお話いただくことになっています。


■堺かるた発展のためには?
「『堺かるた』の会」第4回総会は、堺東にあるダイワロイヤルネットホテルにて開催されました。
来賓の挨拶の中には、『堺かるた』を生み出した児童文芸誌『はとぶえ』に触れる方が少なからずいました。堺市教育委員会次長の田所和之さんも、その一人です。
「40代前後の堺市民にとって、『堺っ子体操』『堺かるた』『はとぶえ』は、レゾンデートルの三本柱です」
と強調。堺かるたを復刻するに際して、2か月かけて資料を探したというエピソードも披露し、「復刻した時は涙が出るぐらい嬉しかった」と述べられました。『堺かるた』が、復刻・再販から4年たち、ブーム再燃し始めたのですから、次は「はとぶえ」の番でしょうね。


堺市こども会育成協議会会長飛石隆夫さんからは、来年も市小学校で「堺かるた大会」が開催されることになったと報告。堺清陵ロータリークラブ会長物種唯修さんからは、堺かるた大会にトロフィーとメダルを寄贈したと披露。
「(チーム制の堺かるた大会で)一緒に大会に出た友達と同じメダルを持つことになります。これは一生の思い出になるでしょう。ロータリークラブとしては出来るかぎり続けていきます」
これは嬉しいバックアップ宣言ですね。年に一回の「堺かるた大会」が、堺でかるたを楽しむ子どもたちの甲子園になるといいですね。

01_sinboku1.jpg
▲『堺かるた』の会会長南秀樹さんより感謝の言葉。詠み手不足の警鐘を鳴らす。


しかし、「堺かるた大会」の運営には課題があるようです。
『堺かるた』の会会長南英樹さんは、会長挨拶でこの日の総会に会員のみならず一般の参加者があったことに感謝した後、この課題について触れました。
「2月の『堺かるた大会』では詠み手が不足しました。これからは詠み手養成が必要になってきます」
とのこと。これは今、30代、40代になっている、かつて堺かるたで遊んだ大人たちの出番ではないでしょうか? ぜひ詠み手として立候補してほしいですね。

さて、平成29年度の活動報告と平成30年度の活動計画案の発表、役員紹介と続き、いよいよ今井さんの講演となります。


■堺の宝、堺かるた
脚本家・今井雅子さんは、NHK連続テレビ小説「てっぱん」の脚本などで知られていますが、堺市民にとってはなんといっても堺を舞台にした映画『嘘八百』の脚本家としてでしょう。あるいは、阪堺線をテーマに堺市内の高校生向けに行った脚本指導のことを記憶している方もいるかもしれませんね。
出身は今の南区で、堺かるた全盛期を高倉台小学校の小学生として過ごしていたという、『堺かるた』ど真ん中の今井雅子さんのお話のタイトルは「石ころを宝石に――堺の宝、堺かるたを光らせる」です。

01_sinboku1.jpg
▲『てっぱん』『嘘八百』で知られる堺出身の脚本家今井雅子さん。


今井さんは、このお話をするにあたって、575のかるた調の標語を用意されていました。
たとえば、
「はとぶえと堺かるたは堺の宝」
といった調子です。今井さんは堺かるただけでなく、「はとぶえ」に投稿することで書く楽しさを知り、堺かるたで堺の歴史を知ったといいます。堺の子どもを育むものとして、この2つは「堺の宝」として大切にすべきものだと主張されます。

何しろ、今井さん自身が堺かるたの申し子です。
「堺っ子 かるたでのばす 国語力」
実際、堺かるたで言葉のリズムを見につけたことが、将来の脚本家今井雅子を生んだのだそうです。
「大学時代は仕送りがなかったので、標語やエッセイの賞金で稼いでいました」
堺かるたが生活費として文字通り今井さんの血肉になり、またこの時の経験が後のコピーライター今井雅子を生んだのでした。

01_sinboku1.jpg
▲今井さんも『堺かるた』で国語力を伸ばし脚本家となった。


意外なエピソードとしては、
「校長は 別所先生 これご縁」
当時、今井さんが通う高倉台小学校の校長先生は『堺かるた』を作った別所八十次さんだったというのです。『堺かるた』の会会長の南さんですら、別所さんに会ったことはないと聞きます。筆者にとっても、堺かるたの取材をしていて、生きた別所さんを見たことがある人に出会ったのは初めてでした。

まだまだある今井さんの標語ですが、最後にひとつ紹介しておきたいのは、
「点字でも 楽しむ方法 考案中」
です。「嘘八百」をはじめとした作品の音訳・点訳を手がけているという縁もあって、今井さんは今年堺の視覚・聴覚障害センターで講演もされたそうです。視覚・聴覚障害者が堺かるたを楽しむにはどうすればいいのだろうか。それは問われて初めて気づいたことでした。


■堺かるたのレジェンド
01_sinboku1.jpg
▲今井さんとの記念撮影はひっきりなし。


講演終了後、会場を別室に移して、懇親会での会食となりました。
テーブルについてからも、今井さんは質問や記念撮影に気軽に応じられ、食事をとる暇もないほどでした。
そんな中申し訳なく思いつつも、インタビューを試みました。
――今年で4年目になる『堺かるた』の会ですが、『堺かるた』の会が出来たことを知ってどう思われましたか?
今井「すでにあるものやと思っていたので、今までないと知って驚きました」
――確かに、ないと不思議なほど熱心に取り組んでいた小学校もありました。
今井「『堺かるた』はすべての小学校で、標準的に取り組んでいるとも思っていたので、そうでなかったということも驚きでした」
――地区によってばらつきがあったようですね。札に多くとりあげられていた今堺区や西区は熱心な小学校が多かったとか。高倉台小学校はやはり別所さんがいらっしゃったわけですが、どんな方だったのですか?
今井「朝礼の時にお見かけするぐらいで、子どもと積極的にかかわっておられたという印象はないですね。時代もあると思うのですけれど。どこか雲の上の存在というような方でしたね」

別所さんは、古風な威厳のある校長先生らしい校長先生だったようですね。別所さんとの具体的なエピソードをお持ちの方がなかなかいない中、今井さんの体験談は貴重なものでした。
次の講演へ向かわなければならないにもかかわらず、今井さんは電車の時間ギリギリまでねばって駅へと向かわれました。さすが『堺かるた』が血肉になった今井さんからは、一際の『堺かるた』愛を見せてもらったのでした。

01_sinboku1.jpg
▲『堺かるた』の会の委員会メンバー。『堺かるた』の普及、盛り上げをよろしくお願いします!


今井さんをはじめ『堺かるた』で育った世代が親となり、子どもたちが小学校に通うようになった今、新たな『堺かるた』ブームが起きるのも必然だったかもしれません。これを一過性のブームにしないためにも、「『堺かるた』の会」の一層の活躍を期待しましょう。


堺かるたの会

検索

2019年6月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

お気に入りに追加

| トップページ |