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雑記帖 No.192

美味しくベトナムを知るセミナー「ベトナムの舞台芸術」(2)

ベトナム芸能編

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歴史的にも文化的にも、堺とは関係の深い東南アジアの国のひとつがベトナムです。堺市博物館では、第20回無形文化遺産理解セミナーとして「ベトナムの舞台芸術 フエ宮廷雅楽とカーチューを中心に」が開催されました。二部構成のうち、第一部はベトナム料理研究所の主宰トミザワユキ先生から、ベトナムコーヒーとベトナムスイーツが振る舞われ、ベトナムコーヒーの淹れ方実演を見せていただきました。
長く中国文化や政治の影響を受けていたベトナムですが、19世紀末からはフランスによって植民地化され、コーヒーのプランテーションがはじまります。フランスのくびきを脱し、日本軍の進駐や、アメリカとの戦争など苦難の歴史を乗り越えて独立した今、ベトナムは輸出量世界第2位のコーヒー大国となっています。トミザワさんには、喫茶文化も含めてベトナムコーヒーの魅力を紹介していただきました。
そして、第二部ではベトナムの伝統芸能の世界について講演していただきます。

第二部の先生は、ベトナムの水上人形劇を研究している伊澤亮介先生です。
「1986年のドイモイ政策以降、ベトナムは経済発展しています。日本もODAや円借款で発展に貢献し、海外旅行先としても定着してきました。昔はベトナムはカンボジアのアンコールワットなどと抱き合わせのツアーが組まれていたのが、最近はベトナム独自のツアーも人気です」
かく言う伊澤さんも、最初はベトナムを訪れた旅行者の1人でした。
「もともとは中国史を勉強していました。社会人になったあと新婚旅行でいったベトナムで偶然水上人形劇を見てとても感動したのです。それまでアートにも人形劇にも興味のなかった人間だったのに。それで仕事を辞めて、大学に入りなおして研究することにしたのです」
というわけで伊澤先生が専攻されているのは水上人形劇で、今回のお題となっている「フユ宮廷雅楽とカーチュー」は専門外とのこと。この「フユ宮廷雅楽とカーチュー」は無形文化遺産として共にユネスコ世界遺産に登録されています。ユネスコ世界遺産とは、「顕著で普遍的な価値を有する遺産や自然地域などを人類全体のための世界の遺産として保護保存する」ことを目的にしたものです。ベトナムで世界遺産になっている無形文化遺産は12件(日本は21件)あります。
2つの文化遺産を解説する前に、まずはベトナムのたどった歴史について知っておかなくてはなりません。


■無形文化遺産の背景
ベトナムには紀元前からの長い歴史があります。BC2800年頃とされる伝説的なヴァンラン国。BC800年代からBC300年代には東南アジアでは最古の青銅器文化とされる北部のドンソン文化や中部のチャム文化が栄えます。
そして時代が進むにつれ、巨大な中国との対峙がはじまります。BC111年には、中国を統一した漢が南下し、ベトナムに交趾郡を置きます。中国の支配下に置かれた北属期のはじまりです。中国支配に対してハイ・バー・チュン(チュン姉妹)の反乱が40年~43年に起きますが後漢によって制圧されます。北属期は長く続き、ベトナムが中国から独立したのは900年後の939年の呉権(ゴ・クエン)による呉朝の成立を待たねばなりません。1010年には李朝が成立。大越の国号も使い始めます。続く1225年から始まった陳朝では、中国に習って科挙制度も始まります。この陳朝は中国を支配したモンゴル帝国/元の軍事的侵攻を跳ね返した後、政治的には朝貢関係を築きます。
その後、中国の明に一時期支配されますが、1428年から黎朝が始まり、この時代に明の雅楽が取り入れられます。続く阮朝は1802年から始まり、フランスによる植民地支配を受けながら1945年まで続きます。


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▲伊澤亮介さんの講演に100名ほどの聴衆が集まりました。(撮影:渕上哲也)


地図に目を移すとベトナムは南北に細長い国です。この日取り上げられるフユ宮廷雅楽のフユとは中部にある古都で、日本でいえば京都のようなまちと紹介されます。また少数民族の少数民族文化も非常に多く、全国に無形文化が散らばっています。
伊澤さん曰く、
「ユネスコ世界遺産の無形文化遺産にもほぼ毎年リスト入りをしています。2008年にはベトナムの雅楽が、2009年にはカーチューが緊急保護リスト入りしています」
存続が危ぶまれている無形文化遺産としてカーチューは緊急保護リスト入りしたのですが、それは何故なのでしょうか。

それを知る上で、ベトナム文化を見る時に重要なポイントがあります。
「ベトナム文化は『民間』と『博学』に分ける傾向があります。カーチューも雅楽も『博学』に入るのですが、『博学』であることも存続が危うい理由の一つです」
伊澤さんが専門とされる水上人形劇や少数民族の芸能などは『民間』にあたります。これはいうなれば大衆芸能です。一方『博学』とはいわば教養芸能・ハイカルチャーです。敷居の高いハイカルチャーを維持するのはどんな文化圏でも同じかもしれませんが、ベトナムの場合は独特の特別な事情もあります。それは歴史で見てきたように、中国文化の強い影響からくるものです。


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▲現在のベトナムのまちかどの風景。※


たとえばベトナムは日本と同じく文字として漢字をベースとしてアレンジをしたチュノムと呼ばれる文字を使ってきました。チュノムは、日本の万葉仮名同様に漢字の音のみを使ったり、意味と音を組み合わせて日本の国字のようなオリジナルの漢字を作ったりもしています。文章は漢字・チュノム交じりで書かれることになるので、高い教養が無いとなかなか読み書きを使いこなせないものとなっていました。そして、1945年以後はチュノムは排除されラテン文字をベースにしたクォック・グーが使われるようになったので、漢字とチュノム交じりの『博学』芸能は一層一般大衆からはますます縁遠いものになってしまったのです。

では、ベトナム文化の背景を駆け足で紹介したところで、いよいよ本題です。ベトナム芸能の詳細に見ていきましょう。


■博学と民間のベトナム芸能


【フエ宮廷雅楽】
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▲フエ宮廷雅楽。※


これは宮廷雅楽の名前の通り、各王朝の儀式の際に奏でられた音楽ならびに舞踏です。フエはベトナム最後の王朝である阮朝の都ですが、この宮廷雅楽のルーツは11世紀に李朝で誕生したといわれています。
「ベトナムではなんでも李朝に起源があるとされることが多いのです」
と、伊澤さんは解説します。最初の民族王朝である李朝は、ベトナム人にとってはブランドなのでしょうね。
「15世紀の黎朝の時代に、楽器の編成、舞の形式、楽章などに関して、中国明朝の制度をほぼそのまま受け入れたとされています。その後19世紀の阮朝にも継承され、ベトナム独自の要素を加えながら発展しました」
1945年に阮朝が滅び宮廷が無くなったことで、フエ宮廷雅楽は衰退しますが、研究・保存の努力により復興し、2003年に無形文化遺産に認定されます。この遺産認定までの道のりには、日本人である徳丸吉彦教授の尽力もあったとか。ただ、こうした経緯があるので、阮朝のものを正確に再現しているのかはわからないのだそうです。
口頭の説明だけではイメージしにくいということで、伊澤さんおススメのフユ宮廷雅楽動画も上映されました。
日本の雅楽に比べると、楽器も大きく違いますし、衣装も違います。同じ中国起源のものとはいえ、もっと古い唐代に起源のある日本の雅楽とは由来から違うもののようです。一方で、同じアジアで中国の影響を強く受けた文化圏の芸術ということで。どこか響きあう所もあるように思いました。
この時の映像では、舞に女性たちが登場します。これは漢の支配と戦ったチュン姉妹を題材としたもの。民族的英雄を華やかに演じていました。『博学』とはいえ、エンターテイメント要素は強めな印象でした。


【カーチュー】
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▲カーチュー。※


カーチュー(歌籌)は、観客が金額の書かれた札(籌)を投げ入れたことから名付けられたそうです。歌と竹の拍子木を担当する女性、三弦のギターを演奏する男性、他の2人に指示を出す太鼓担当の男性の三人構成で行われます。
「重要なのは指揮者といえる太鼓を叩く男性で、一番経験のあるお年寄りの奏者が担当することが多いです」
カーチューの起源には伝説があり、仙人から魔除けと癒しの楽曲を教わったグエン・シンという音楽を愛する自由奔放な若者が各地を回って人々の病を癒しているうちに、口のきけないホアという女性を癒した。シンとホアは夫婦となり、ホアはシンから歌とリズムを教わり、シンが昇仙した後は、カーチューの祖となった。
老人、ギターの男性、歌とリズムの女性の三人構成はここから来ている......あるいは三人構成から起源伝説を生み出したのでしょう。
実際、カーチューは宮廷儀式に起源がある貴族や権門の優雅な遊びでした。『博学』らしく漢文やチュノムで書かれた古詩に節をつけて歌うもので、理解するのに高い教養が必要なためベトナム人であってもわかる人間は少ないそうです。そのため、緊急保護リスト入りするほど、カーチューが衰退してしまったのです。

さらにカーチューの衰退にはもう一つ理由があります。ベトナムが植民地となったフランス統治時代から衰退がはじまり、独立後ベトナム共産党が社会主義政権を樹立させた時代には、売春と関係のある堕落した遊戯とみなされ、封建的なブルジョワジーのものとして禁止されてしまったのです。
復活は1990年代に入ってから。ベトナム政府がドイモイ政策によって開放路線に舵を切ると、カーチューも自由な演奏も許されるようになりました。さらに2000年代になると、アメリカのフォード財団による援助など様々な支援の動きがあり、2009年にはユネスコ世界無形文化遺産の緊急保護リスト入りしました。
こちらの動画も伊澤さんに見せてもらったのですが、カーチューの三人編成は太鼓(年配男性)=仙人、三弦ギター=シン、歌とリズム=ホアといった具合に伝説と対照になっているのが良くわかりました。

以上で、お題目としてあがっていたテーマの解説は終わりなのですが、やっぱり伊澤さんの専門である「水上人形劇」のことも外せません。


【水上人形劇】

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▲水上人形劇。※


ベトナムの人形劇は世界でもちょっと他に類を見ない水上人形劇となっています。人形を動かす仕掛けは、水中を通り舞台の背景に張った幕の後ろで人が操作しています。仕掛けを隠すために、水は必ず濁った水でないといけません。海外で公演する場合は、人形劇の故郷の土をもっていって水を濁らせるのですが、日本では土の持ち込みが許可されず入浴剤を入れて水を濁らせたのだとか。

元来この水上人形劇は専門職が行うのではなく農閑期であるテト(旧正月)の時期に農民が行うものでした。ベトナムでも寒い季節なので水も冷たい中演じなければならないのでなかなか大変なことでした。そして、この人形を操る技は村にとって門外不出のものだったため、かつては結婚して他所にいってしまう女性には教えることはありませんでした。


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▲腰まで水につかって上演する。※


では、伊澤さんを感動させ、人生を変えた人形劇はどういうものだったのかというと、それは観光客向けに復活した水上人形劇だったのです。
「今は大学で水上人形劇を習ったエリートともいえる人たちが人形劇を行っています。かつてのように門外不出のものではなくなったので、今では女性も技を習っており、半分ぐらいは女性になっています。ただ、観光客向けにアレンジされたものなので、言葉がわからなくても平気なもの、筋がないものになっています。竜が出てきて火を吹いたり、鳳凰が出てきたりといったものです」
なんだかテーマパークのアトラクションのような印象です。しかし、かつての水上人形劇はそうではありませんでした。
「昔は三国志や西遊記もあったし、チュン姉妹やベトナム独立の英雄ホーチミンの人形劇もありました。しかし、今は田舎にいくと、木でできた古い人形がほっぽりだしてあり、腐りつつあります」
水上人形劇の衰退の原因は戦争でした。フランスからの独立戦争(インドシナ戦争)やアメリカとのベトナム戦争と長い戦争で農村が大きな被害を受けるようになると、農民の生活は人形劇どころではなくなったのです

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▲水上人形劇の人形は木製。※


ようやく観光客向けのエンターテイメントとして復活した水上人形劇ですが、農村から郷土芸能としての水上人形劇は失われてしまいました。博学の宮廷雅楽やカーチューもそうですが、なんらかの援助や対策を取らないと消えてしまうものです。戦争や社会構造の変化などにより、無形文化遺産が移ろいやすく、維持していくのがいかに難しいのかの実例といえそうです。
宮廷も無くなった今、劇場で観光資源としてでも別の形で遺していくことは大切なことでしょう。しかし、ユネスコ世界遺産の元来の精神が、世界中にある様々な文化の違いを認めて、相互理解のためにも人類共通の遺産として遺していこうというものであることを考えれば、なるべくオリジナルに近い形で遺していくこともやはり大切なのではないかと思えました。

今回のイベントでは、食と芸術の二つを通じてベトナムという国が生み出したものと、その背景にある歴史を知ることが出来ました。私たちが身近に飲むインスタントコーヒーが実はベトナムから来ていたことや、宮廷雅楽の保護に日本人も関わっていたことなどは驚きでした。
かつては世界に開かれた港市であった堺で世界遺産・文化遺産を通じて世界を知ることができるイベントが、これからも開催されることを期待します。

※写真提供:伊澤亮介

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